ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

きらびやかな横浜中華街のシンボル「関帝廟」 【横浜中華街Ⅰ】

2020-06-19 16:33:48 | 中国歴史文化

横浜の夜を過ごすなら「中華街」というのは定番であるが、コロナ騒動で中華街の夜は閑古鳥が鳴いていたと聞く。緊急事態宣言が解除され、徐々にお客は戻りつつあるようだという。

3年前の話であるが、ちょうどこの時期に出張で横浜に行った。たまたまホテルが中華街の近くということもあり、時間を見つけ散策した。過去に行ったことの記憶はあるが、それがいつだったか覚えていない。ただ記憶に残っていた唯一の建造物が「関帝廟(かんていびょう)」だった。この廟(寺院)は、三国志で有名な関羽が祀られている。

日本が開国され横浜の港が開かれたのは、ご承知のとおり幕末の1859年。多くの外国人が横浜を訪れ、居留地をつくり暮らすようになった。その中のひとりの中国人が関羽の木像を抱いて、現在の地に祠を開いたのが関帝廟の始まりだとされている。
歳月を経て、1990年に、中国の伝統建築技法を駆使し建造されたのが、現在の第四代関帝廟。このきらびやかさは中華街の中でもひときわ目立った存在である。

なぜ、あの三国志の関羽が祀られているのか? これに疑問を持つのは私だけではないと思う。関羽はご承知のとおり、信義や義侠心に厚い武将であるのは三国志を読まれた方は同意されるはず。ウィキペディアによると、民衆によってさまざまな伝承や信仰がうまれ王朝が関羽を神格化したと。さらに、関羽は塩の販売に関わっていたという言い伝えがあり、その商売に欠かせないそろばんを発明したという俗説までが生まれた。そのために世界中に散らばっている華僑の商売繁昌の神として祀られているということらしい。


とにかく見てのとおり、牌楼の門をはじめ本殿、さらには本殿の屋根の龍などには中国伝統技法による細かな木彫に鮮やかな色や金箔が施されている。とくに本殿内の装飾品や天井、壁面等々には見るも鮮やかな極彩色で宇宙が表現されている。
訪ねたときは閉院10分前だったが、外にある大きな香炉からは線香を焚いた煙がもくもくと上がっていた。驚いたことに、匂いがない。地域のことを考慮しての匂いなしの線香かな、と。
横浜は、港のある景色、居留地、近代建築物などなど見応えのあるスポットも多いが、この中華街の景色に改めて圧倒され、中国建造物の趣にあらためて関心を寄せている。再度、ゆっくりこの地を歩いてみたいと思っている。

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旅立ちに、一枝の柳

2020-03-14 17:11:08 | 中国歴史文化

"柳" "道" "河"、といえば?何を連想するだろうか。簡単そうで難問かもしれない。
中国の漢の時代からの風習が、いまも日本の随所に見られる。柳が植えられているのは川沿いが多い。

その横には道が通じている。この光景は確かにどこでもある。

 

学校卒業し、また転勤で住み慣れた所を離れるときに、

柳の一枝を折って手渡し旅(輝かしい未来)の無事を祈った、というのが中国の故事にある。
つまり「旅立ち」を意味する言葉である。

この時期は卒業、入学、そして転勤などで移動が多い。

 

しかしながら、いま新型コロナウィルス感染でいろんな事が延期、中止を余儀なくされている。

一刻も早く終息し平穏無事な日常を取り戻し、明るい旅立ちができることを願っている。

 

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今年初めての、李白。

2018-01-14 13:26:29 | 中国歴史文化
こんな歳になって漢詩に惹かれる。しかし、思うように詠めない、理解もできない。当たり前っちゃ、当たり前だ。少しずつでも、という気長な話ではあるが・・。
そんな気持ちで今年触れたのが、やはり中国古典文学なかの最高峰と言われる「李白」。

中国の先人の詩は、現代では想像し難い果てしない物語が詠まれているものが多い気がする。
中でも悲愴感を詩に認めるのは極めて難しい。短い言葉で、その思いを想像、連想させることは。
そして詠み手側が、書き手側の意図を汲み上げことができるかにも、その詩の深さが、また意味合いが異なってくる。

こんな思いを抱きながら「李白」を詠んでみた。

望廬山瀑布(廬山の瀑布を望む)
日照香炉生紫煙
遥看瀑布挂前川
飛流直下三千尺
疑是銀河落九天
 
日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず、遥かに看(み)る瀑布(ばくふ)の前川(ぜんせん)に挂(か)かるを。
飛流直下(ひりゅうちょっか) 三千尺(さんぜんじゃく)、疑(うたご)うらくは是(こ)れ銀河の九天(きゅうてん)より落つるかと

太陽が香炉峰を照らし紫の靄を漂わせ、遥かに遠い川の向こうには滝がかかっている。
三千尺もの高きからまっすぐほとばしって、
まるで天の川が天の一番高いところから流れ落ちたようだ。

悲愴感の中で暮らす李白に、この瀑布(滝)は新たな出発を成す力強いエネルギーになった光景だったのだろう、と想像できる。
今年初めの詩としては心に沁みるものだった。



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風水思想を反映している中華街の門。

2017-06-14 13:49:28 | 中国歴史文化
中国では、城や寺院に必ず「門」が存在する。日本の鳥居にあたるものであるが、その存在感は極めて大きい。それは、中国文化のルーツとして中国人の暮らしに根付いている「風水」というのが大きくかかわっているようだ。
それを見てとれるのが、横浜中華街にある10基の門である。そのうちもっとも風水に影響された主門が、東の「朝陽門」、南の「朱雀門」、西の「延平門」、北の「玄武門」の4基である。

調べてみると、風水思想のベースになっている五行説では、それぞれの方角を表す「色」と「聖獣」が決められいる。東は「青」で「青龍」。南は「朱(赤)」で「朱雀」。西は「白」で「白虎」。そして北が「玄(黒)」で「玄武」。それぞれが豪華絢爛にこれらのモチーフが反映されている。

中国では古来より、皇帝が城を築くとき、城内に入ってくる邪気を見張るために東南西北のみに通路を開き、門衛を置いた。それらは「春夏秋冬」「朝昼暮夜」という陰陽五行に基づく色である「青赤白黒」で彩られ、さらに各方位の守護神として人々に根強く信仰された四神を据えたといわれている。
横浜中華街を大きなお城として、主門4基の守護神が邪を見張り、街内の繁栄と安全をはかるために大きな役割を果たしているようだ。

朝陽門(チョウヨウモン)
日の出を迎える門。朝日が街全体を覆い繁栄をもたらす。守護神は青龍神。色は青。


朱雀門(スザクモン)
厄災をはらい、大いなる福を招く。守護神は朱雀神。色は赤。


延平門(エンペイモン)
平和と平安のやすらぎが末永く続くことを願う。守護神は白虎神。色は白。


玄武門(ゲンブモン)
子孫の繁栄をもたらす。守護神は玄武神。色は黒。

写真は一部Yahooから転載
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関帝廟と同様に、この街の心のシンボル「横浜媽祖廟」。

2017-06-12 16:02:06 | 中国歴史文化
2006年、横浜が開港150周年迎えたたとき、横浜中華街に落慶開廟したのが「横浜媽祖廟」。この街の新たなシンボルとして厚い信仰を集めている。

関帝廟のあとに訪ねたが、閉廟され外からしか観れなかったが、見て(写真)のとおり、関帝廟以上の装飾をまといきらびやかな寺院として君臨している。
ここに祀られている神は、宋代に実存した巫女といわれ、のちに天后、天妃、天上聖母などと尊称された「媽祖(俗称)}である。

28歳のとき天に召され神になり、海上を舞い難民を救助する姿が見られたとされ、廟を建て護国救民の神として祀られるようになった、という。
媽祖の神通力が知られ、歴代の皇帝も敬意を表するようになったとされている。その後、航海を守る海の神として、また災害や疫病などから護る神として華僑が住む世界各地で信仰されているようである。

関帝廟と同様に、きらびやかな極彩色の伽藍が、いらかを連ねる荘厳な寺院として日本の華僑の人たちのよりどころになっている。

つづく。次は「中華街の門」





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