禅寺を訪ねる理由のひとつに庭園がある。日本の四季を楽しめる池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)も美しくて大好きであるが、砂庭式枯山水を眺めていると時が止まっているかのような悠久の美を感じさせてくれる。
枯山水庭園はご承知の通り、散策が目的の庭ではなく、室内から静かに鑑賞するための庭である。石や砂の配置や組み合わせから、さまざまな風景を想像し自然と自らの存在を一体化し自分を見出すための庭という概念をもつ。だから心も体も自然に整っていく。
白砂の模様は水の流れを表現している。この砂紋が、川に見えたり大海に見えたり雲海に見えたり・・・。人によって解釈はさまざまで、水を使わないのに水を感じさせる。砂の中にある大きい岩は、不老不死の仙人が住むといわれる「蓬莱山(ほうらいさん)」に見立てたり、複数の岩や石を組み合わせて山が表現されている。
その枯山水庭園を紙上で表現しようと試みている。砂の紋様は線で表し、山や石は仏様や般若心経、そして墨で創作しようと描き始めた。あくまでも想像の世界なので、いろんなチャレンジが可能になる。それを楽しみたいと思っている。
現代の枯山水庭園は仏教思想的な意味合いは薄く、自然の景観を表現するために岩や石を置く。その配置は、どの部屋からもバランスよく見えるよう設置し、特定の場所からしかすべての岩や石が見えなかったり、また縁側や窓から見るのが一番美しい配置になっていたり、庭によってさまざまのようである。さらに、どの位置から眺めても必ずどこかの一つの石が見えないように配置される場合もあるようだ。
先入観を持たずに、自由に解釈すれば自分の世界がもっと広がり楽しく鑑賞できるような気がする。