前回の記事で書いたように、中国では七夕のことを「乞巧(きっこう)」と言っていた。その乞巧が、日本に伝わったときは「七夕」ではなく、「棚機(たなばた)」と書かれていたようである。
それは、七夕に登場する織女(しゅくじょ)星は機織りや裁縫の仕事、牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星とされていたからのようだ。
その織女星にあやかって機織りや裁縫が上達するようにと祈るようになった、と言われている。乞巧の夜に、庭先に祭壇を設け、針を供え星に祈りを捧げ、月の光の下で針に糸を通すという、風習がいまでも中国にはあると聞く。
そのような “棚機伝説” が日本に伝わり、“七夕伝説” に変わっていった。伝わった当初の棚機がいまもそのままの“棚機伝説” ならきっと日本の織物関係、繊維関係、アパレル関係の企業等は業界PRとして新たな伝説を創り上げていたかもしれない。だが、残念ながらそういったという話は聞いたことがない。
織女星と牽牛星、天の川、上弦の月という題材をフルに使ってメルヘンティックな世界に誘ってくれる「七夕」は、いまでは子どもたちの “願い事” をかなえるための祈り祭事として楽しまれている。
ちなみに中国では、七夕の夜、織女星に向かって針を月にかざし糸を通している絵が残されている。(写真)