先日、あるお店で、船場汁なるものを食べる機会があった。そのお店の御主人曰く、昔、大阪の問屋街である船場で生まれた料理の一品ということだった。魚類と野菜類を煮込んで作る具沢山の汁のことをいうらしい。
塩サバの身、頭、中骨などを切り、コンブをいれて水から煮る。アラが出汁の決め手で切り身だけでは味が出ない。具が煮えたら醤油で味を整え、薬味としてネギを入れる。そしてサバの臭みをとるために、また冬には体が温まるので欠かせないのが生姜である。
頭や中骨などのアラまで余さず使いムダがないこと、単価が安いこと、時間をかけずに食べられ、体が温まることなどから、忙しい問屋街で重宝され定着したらしい。船場地域ならではの料理といえそう。
船場汁をいただいた際に、ちょっと古い話であるが「船場料理を楽しむ会」という講習会に参加したことを思いだした。当時、船場料理というものは聞いてはいたが、どういう料理を船場料理と言うのか、またどういう概念のものなのか、というのに興味を持っていた。
お話をしていただいたのが近江晴子さん。近江さんは長年大阪の町人の生活史を研究している方なので暮らしの中の食文化に精通されている方である。
よく聞く郷土料理や地場料理と同じようなものには違いないだろうが、大阪・船場という商売処の小さい限られた地域に根付いた料理である。
ご存知のとおり、大阪・船場は薬や呉服、材木、米などを扱う大棚が並び、旦那さん、御寮さん、若旦那にいとさん(お嬢さん)たち家族と、番頭さんや丁稚などの使用人が寝食を共にしていたとこである。
普段は質素な食事であったようだが、大棚になればなるほど毎月の行事が多く、その行事にはご馳走が作られていた。そのご馳走を作っていたのが仕出し屋。だから船場地域には仕出し屋がしのぎを削っていたという。
その仕出し屋が後に料亭になり、大阪の食文化の土台を築いていった。この船場の料理が、いまの京料理につながっていったというもの事実のようである。近代の、日本の食文化の原点が船場にあり、まさに暮らしの料理として生きているという。
船場に店を構えていた大棚の一年間の行事や節句にあわせ、大阪の地の食材を使って作ったものを船場料理ということになるのだろう。
料理の内容というよりも、船場の暮らしに根付いた食文化を「船場料理」という名で呼ばれているのだろう。
その時の体験会でいただいた「船場弁当」(写真)の料理を紹介します。
柿膾(なます)
河内蓮根 白和え
泉南 太刀魚塩焼き
大阪しろ菜 薄揚げ炊合せ
富田林 板持海老芋と旬野菜 煮しめ
むかご塩蒸し
さつまいもの密煮
田辺大根の菜飯 赤飯
昆布佃煮
玄のこ おはぎ
料理は浪速魚菜の会
調理 広里貴子さん
監修 近江晴子さん