かなり前の、年初めて煎茶の稽古だったと記憶している。
呉偉業(ごいぎょう/号を梅村)の詩にふれたときのこと。
寒いときは、渋さに少し苦味がきいた玉露があう。そんな思いを抱きながらー。
初稽古の日の床の間には、お軸いっぱいに墨で画かれた松が躍っていた。
松は樹皮に覆われ、その姿が天に昇るように見えるから、中国では龍に例えられている。日本では松とあわせ竹・梅とお祝い事の代名詞である。
お軸の隣のボードには、その夜の勉強の題目になる漢詩が書かれていた。この漢詩(下記&写真)は、滅亡した明の時代から清朝の時代の皇帝に仕えた高官で詩人の呉偉業という人の作品である。
呉偉業は、詩人として天下にその名を馳せていた。36歳の時、明は滅亡し、清朝に仕えることを余儀なくされた。中国の伝統的な考えでは二つの朝廷に仕えることは大変な軽蔑の対象となった。これが彼の一生の悔いとなり、以後明朝の滅亡を悼む詩を作り続けた。
そのときの、呉偉業の心境を綴った「梅村」という詩である。
枳籬茅舎掩蒼苔
乞竹分花手自栽
不好詣人貪客過
慣遅作答愛書来
閑窓聴雨攤詩巻
独樹看雲上嘯台
桑落酒香盧橘美
釣船斜繋草堂開
カラタチの垣、茅葺きの家は青い苔に掩われている。
竹をもらい、花を株分けして自分で植えた。
人を訪問するのは嫌いだが、人が尋ねてくれば大喜び、
返事を出すのは遅いのに手紙をもらうのは大好きだ。
静かな窓辺で雨の音を聴きながら、
詩集をひろげ、ポツンと立っている木にかかる雲を眺めながら高台に上る。
桑落酒(桑の実の落ちる頃醸した名酒)は芳しく、美味しい。
釣船が斜めに繋がれたところに、草堂の門が開かれている。
この訳から呉偉業が高官をやめ隠棲したところの住まいの雰囲気が伝わってくる。どことなく寂しさがにじみ出ている詩のように思える。
この詩の中に、竹をもらい、花を株分け、とある。花は梅であろう。そうすると松があるはず。木にかかる雲を、という木が松のことになる。この時代から松竹梅という三セットが登場している。ただ、この情景からの松竹梅はお祝い事ではない。逆に寂しい情感の中で表現されている。
それが今は、お祝い事や神聖なものの代名詞になっている。その変遷の経緯はわからない。
さて、稽古はじめに「松竹梅」が登場した。
宗匠がもう一つのこの漢詩を稽古の題材にしたのは訳があった。それは、その日の朝の新聞一面に細川元総理、都知事選挙に立候補表明、という大きな見出しが躍っていた。
佃宗匠は、細川元総理とは煎茶仲間である。細川元総理が隠棲を解いて政界に打って出たことへの讃なのか、いや警笛を鳴らそうとしているのか、私には読み取れなかった。
玉露の味が、一煎、二煎、三煎と微妙に変わっていった。