先日、船場ひなまつりで道修町(どしょうまち)の少彦名神社に展示されていた別所家の雛飾りを拝見した折に、本殿の前に輝く「張子の虎」が飾られてあった。
毎年11月22日、23日の両日は道修町の少彦名神社で「神農祭」が行われる。その神農祭のシンボルといえば、張子の虎。少彦名神社では、この神農祭で五葉笹につけた張子の虎が授けられる。
大阪船場の道修町は日本の薬業の中心地として発展し、日本を代表する製薬会社がこの地域に本社を構え、“薬のまち” として知られている。
江戸時代後期に大阪でコレラが流行り、三日も経てば亡くなるので “三日コロリ” と言われ、それに併せ虎や狼が一緒になって襲ってくる恐ろしい病気として「虎狼痢(コロリ)」と当て字されて恐れられた。
その時、道修町の薬種商が疫病除けとして「鬼を裂く」といわれる虎の頭骨など10種類の和漢薬を配合した丸薬をつくり神前で祈祷し、合わせて「張子の虎」もつくり施薬された。施薬は明治初年の「売薬規制」により廃止されたが、「張子の虎」は、少彦名神社独特の魔よけ・健康祈願のお守りとして知られるようになった。(少彦名神社資料参照)
船場に来る機会があれば、同神社にはよく参拝するが、参拝道の入口には、注連柱(しめばしら)があり、そこに「春琴抄の碑」があるが素通りしていた。今回、写真に収めたので簡単に紹介する。
ご存じ、春琴抄は谷崎潤一郎が大阪の道修町を舞台に描いた小説である。船場の商人の娘・春琴と奉公人・佐助の物語。盲目の三味線奏者に献身的に尽くす佐助の愛を描いた作品である。独特の文体を用いて表現されている小説で、後に多く映画化され話題を集めた。
その碑が目に留まり、これをツマに当時のことを妄想するのも楽しいものである。いまでも江戸時代に栄えた町として風土や風情を感じさせてくれるのが、ここ船場地域である。以前、長い間この地域に仕事場があったのでより一層の妄想が広がる。
リポート&写真/ 渡邉雄二 Reported & Photos by Yuji Watanabe
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/