日本全国には「浄土寺」という名の寺院が多くある。浄土の名がつく寺院は「浄土の世界」に通ずるところとしての役割があるのだろうか。夕陽や朝日の光は浄土の世界を想わせるかの如く輝き、浄土の世界の喩えとしてよく耳にする。太陽信仰として光は崇拝のシンボルとなっている所以なのかもしれない。
尾道にある浄土寺は尾道三山の一つとして、飛鳥の昔に聖徳太子が開創したと伝えられている、中国地方屈指の古刹である。瀬戸内海の要津として発展した尾道の人々が心寄せる寺として繁栄してきた。およそ七百年の時代を重ね、いまも尾道の発展を見守り続けている。
山門を入ると正面に本堂、その右手に阿弥陀堂と多宝塔が建つ。これらは中世仏教建築の代表的な建築物として現存している。それに対し、境内西側には方丈、庫裏及び客殿などは近世建造物で生活空間として庭園や茶室(露滴庵)などもある。
とくに本堂は1327年(嘉暦2年)の建立。入母屋造本瓦葺きで、和様を基調とした中世折衷様仏堂建築の代表作。多宝塔は1328年(嘉暦3年)建立され、和様建築で鎌倉時代末期の多宝塔として貴重な建造物のようである。
本堂 (国宝)
多宝塔 (国宝)
阿弥陀堂 (重文)
庭園と茶室
庫裏内
その本堂と多宝塔とともに国宝に指定されているのが近世以前の寺院景観を良好に残す境内地である。国宝のほとんどは建造物のみの場合が多いが、浄土寺は建物だけでなく、土地も含め国宝になっている。ちなみに土地を含めて国宝に指定された場所は清水寺(京都市)と宇治上神社(宇治市)と、ここ尾道の浄土寺だけ。全国でも珍しい場所として注目されている。
また、写真にもあるように鳩がたくさんいる。鳩被害で対策されている由緒ある神社仏閣もあると聞くが、ここ浄土寺は鳩にとっても住み心地の良いところのようだ。
それは、江戸時代、幕府禁制だった伝書鳩をお寺で密かに飼育し、商人たちがその伝書鳩を利用し貴重な情報を手に入れ、商人もお寺も繁栄につながったといわれている。その “伝書鳩おかげ” がいまに残っているようだ。
残念ながら見る事はできないが、寺裏門の天井には今でも鳩小屋が残っているそうである。尾道の繁栄にとって、鳩は貴重な役割を果たしていたため、今でも大切な存在として扱われているとのこと。
聞くところによると、夕陽が傾くときも美しいが、日の出の光に照らされた本堂、阿弥陀堂、多宝塔はもっと美しいという。毎日、早朝散歩で浄土寺まだ上がり手を合わすという参拝者からの情報だから間違いなかろう。癒しのまち・尾道に相応しい光景が目に浮かぶようである。
鳴滝山から臨む日の出
リポート&写真/ 渡邉雄二・栗山主税・ネット画像転用 参考資料/ ウィキペディアの参照
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尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/
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