七夕はどの地方でも行う祭事で、願いを書いた短冊を笹に吊り下げ祈願する祭事であるのは周知のとおりである。
ご存知のように、七夕は七月七日。七夕同様に、新暦の日にちの数字合わせで、三月三日、五月五日、九月九日と節句の歳時が続く。すべてが当然ながら新暦で行われている。
その昔、旧暦で行われていた歳時や祭り事は、いまの新暦でいうと当然ながら季節のズレが生ずる。
自然の摂理に基づいて行われていた事が、新暦に準ずると違和感が生じるのは言うまでもない。もちろん七夕もそうである。新暦では七月七日であるが、旧暦にあてはめると通年八月十日前後となる。
いつもは八月十日前後に夜空を眺めると、もしかすると天の川と織姫星と彦星と上弦の月が見られるかもしれない。上弦の月があっての七夕のようだ。この時期が一番織姫星と彦星が接近する。しかし天の川を挟んでいるから逢うことはない。
そこで、彦星が上弦の月に乗って織姫に逢いに行く。そんな楽しい伝説がある。だから七夕は、上弦の月を入れ”七夕伝説”が成り立っているらしい。
さて、お軸(写真)を見ると
これが七夕を表現するお軸なのだろうかと思ってしまう。
賛(文字)を観ても画を観ても、七夕を想像させる要素が全く見あたらない。では、画はなにかというと、たぶん毬(まり)だろうと思う。なら、葉っぱはなんだろう、となるが思い当たるものが出てこない。
賛の漢詩を詠むと最後に「乞巧(きっこう)」と書かれてある。この言葉が、中国でいう七夕のことである。
七夕は、古代中国の祭り事である。それが日本に伝わり日本の風俗や地域にあった七夕に変化していった。中国はいまも七夕を祝う風習はあるようだ。日本のようにお供えをするらしい。中国の場合、女性のお祝い事のようである。裁縫や手芸が上手になりますように、と。
賛に書いてある七針(針に七つの糸を通す穴がある)で七色毬をつくる。その毬を置いて、七夕の夜に天の川と2つの星、そして月をたらいに映し出し、梶の木の葉の裏に願い事を書いて浮かべるというお遊びがあるらしい。だから、毬に梶の木の葉を添えて七夕を表現している。
解説を聞いていると一つの祭り事でも、時代や地域、また人の捉え方で内容が異なる。基本情報をおさえながらそれぞれが、それぞれの捉え方で楽しむのがいいのかも。
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