「柴門草舎絶風塵」。お軸に書かれているのは「尋龍井楊老」という句の一節。"さいもんそうじゃ ふうじんをたつ"と読む。
この"柴門"とは、どのような門なのか?と宗匠から問いかけられた。柴というから枯れ木のことなる。木を寄せ集めて造った簡易で粗末な門のことだろう。
その粗末な門の奥には、世俗を絶って学問に励むための舎がある。文人や隠棲者に相応しい清らかな栖になる。
人との交流を出来るだけ避け、ただ学問に勤しむ様子をあらわしたもののようである。
そんな心情にぴったりの淹茶(えんちゃ)を三煎まで淹れ、味の変化を楽しませてもらった。"素心"という、素直でシンプルな淹れ方である。
水柱のぬるま湯を急須に注ぎ、そこに煎茶を入れる。暫し待ってから湯のみにつぎ分ける。煎茶のまろやかはあるものの渋みが強い。
そして急須に二煎目のぬるま湯を注ぐ。この二煎目はさらに渋みが強くたつ。煎茶の醍醐味を堪能できる淹茶であった。
京都には柴門があってその奥に庵が設けられている場所は随所にある。こんな場所に身を置くのも乙なものである。