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ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

梅妻鶴子で風雅に暮らす、林和靖。 【梅と鶴】

2020-07-23 16:29:42 | 文化想造塾「煎茶」

前回の記事に引き続き、今回も「鶴」をテーマにした内容である。ある人物が鶴をわが子のように愛したストーリーである。

お軸などの絵に鶴と梅、そして、そこに人物が描かれていたら、その人は、中国・北宋時代の詩人「林和靖(りんわせい)」と思って間違いない。梅を妻とし鶴を子として西湖の孤山で過ごしたといわれている。

その林和靖の生活ぶりが、「梅妻鶴子(ばいさいかくし)」という中国の四文字故事につながったといわれている。俗世を離れ、清らかで風流な隠棲生活をする人が、妻の代わりに梅を愛し、子の代わりに鶴を愛で一人で清らかに暮らす様を表している。

しかし、お軸(写真)の中に肝心の梅が見当たらない。鶴も梅も両方描いたらどこにもある絵になってしまう。お軸の中に描かれていないから面白い。茶席ならお軸の横に梅の木を添えて風雅を楽しむ。
今回は、梅探しをしてみたが見当たらない。

さて、漢詩を紐解いていくと、


有梅無雪不精神
有雪無詩俗了人
薄暮詩成天又雪
興梅併作十分春

という詩がボードに書かれていた。よく見るとこの詩の中に、「梅」がある。お軸にも添えた梅の木もないがボードの中にあった。すべてが揃ったわけである。

こんな風流な愉しみ方も乙なものである。


漢詩の訳は、
梅が咲いていても雪が降ってないと風景が生き生きとしたものにならない。
雪が積もっていても詩心がないようではせっかくの風景も平凡なものになってしまう。
夕暮れの時、詩ができ雪が降ってきた。梅と雪と詩を合わせると春の趣が十分に味わえる。

※本文中のお軸は「一茶庵」所蔵。写真は渡邉雄二

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鶴が、高貴な鳥といわれる所以

2020-07-20 11:41:28 | 日本の美

漆塗りで仕上げられている蒔絵(まきえ)の住所録の表紙に描かれている2羽の鶴を見ていると、一度は、わが目でこのように天を飛ぶ美しい鶴を見てみたいと思う気持ちが湧いてくる。



日本では、「鶴」と呼ばれるようになったのは平安時代だといわれている。
その鶴が “吉祥の鳥” といわれている所以がいくつかある。
それは、ご承知の通り、古来より鶴は千年も長生きするといわれ「長寿の象徴」として尊ばれている。また、雄牝でいつも連れ添っていることから夫婦鶴といわれ「仲良きことの象徴」とされている。さらに鳴き声が共鳴して遠方まで届くことから天に届く声といわれ「天上界に通ずる鳥」とされ、めでたい鳥といわれてきた。
これらの理由から、いまでも高貴な鳥として尊ばれているのではないだろうか。

 

自然になかに生息する姿も美しいが、やはり浮かぶのは、伊藤若冲の「旭日松鶴図」。旭日に、千年の吉祥を慶ぶ双鶴の姿である。

 

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王維の自然詩、"詩中に画あり"

2020-07-18 16:19:26 | 文化想造塾「煎茶」

中国古典では、"竹"や"月"を題材にした俳諧は多い。それを題材にするようになったのは、中国 唐の時代に画家であり詩人であり政治家であった“王維(おうい)”の自然詩の影響が大きいといっても過言ではない。

王維の詩の中でも「竹里館(ちくりかん)」は、その代表的なものであり、日本の国語の教科書に紹介されていたくらい有名な五言絶句の詩である。その「竹里館」を紐解いていくと自然詩の情感や情景が見えてくる。


獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照

和訳すると、
独り坐す幽篁(ゆうこう)の裏(うち)
琴を弾じて復(また)長嘯(ちょうしょう)す
深林人知らず

明月来たりて相照らす

解りやすく説明すると
ただ一人で奥深い竹やぶの中に坐って、
琴を弾いたり、声をひいて詩を吟じたりしている。
この竹林の中の趣は、世間の人は誰も知らないけれども、
天上の明月だけはやって来て、私を照らしてくれる。

という意味になる。

煎茶席で、師匠からこの詩を知っていますか、という問いに誰一人として声が上がらない。我々の当時の国語の教科書にも紹介されていたほどの有名な漢詩ですよ。と、言われても反応がない。それなら、いまからでも遅くないので、覚えましょう、と。師匠の後について何度も何度も唱和した。

王維の自然詩は “詩中に画あり” といわれる作風が多い。詩を読むだけで画が浮かんでくるといわれ、俳諧の創作手本になっている。また、 “画中に詩あり” という逆もいえる。

一般的には、独り竹林で琴を奏でるイメージは暗さが先行する。しかしながら、この自然詩にはその暗さや寂しさは微塵も感じられない。自然に同化し、俗の世界から超越したイメージが伝わってくる。

王維は自分の世界観をこの短い詩の中で表現している。それが後世に残る詩となっていまに伝え継がれている。この情感が素直に理解できるのはいつのことや、と思いながら夏の夕暮れに煎茶で喉を潤した。

写真は、「王維の詩」の画像から転載

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"おもてなしの心技空"が凝縮されている。【芸者】

2020-07-16 11:05:03 | 有形文化財

俗界から離れ、夜の花街で芸者さんをお座敷に呼んで遊ぶのは、お金持ちの旦那衆というイメージがある。いまの時代も、昔より門戸が開かれたといえ一見さんは座敷にはあげてもらえない。花街のお茶屋さんは、昔から「第二のお家」という気持ちで御贔屓さんをおもてなししている。そのお家に見ず知らずの人をあげない、という習慣がある。もっともな理屈である。

ここ数年、フェイスブックで京都祇園、金沢、高知、東京などなどの花街の芸者衆のお姉さんがたと繋がっている。芸者衆もSNS等で情報を発信し開かれた花街を紹介している。お陰で花街の伝統文化や習わし等に関心を寄せるひとりになっている。
昔、何度かお客さんに連れられ祇園のお茶屋さんに連れて行ってもらったことがあるが、俗界にたっぷり浸かっていた当時は、あのお遊びの粋さを知る由もなかった。



そのお茶屋さんには、御贔屓さんをおもてなしする芸者さんが、それぞれに所属している。芸者さんには、ご承知のとおり「舞妓」さんと「芸妓」さんがいる。舞妓さんは、十代からお茶屋さんに入り芸妓さんになるために数々の稽古事や行儀作法を学ぶ。その稽古事には、舞踊、お囃子(笛・小鼓・大鼓)、三味線に唄(長唄・常磐津・清元・小唄)、そしてお茶等々、かなり厳しい稽古が続くという。一つだけでも稽古するのが大変なのに、と思ってしまう。
晴れて21歳になると芸妓としてお店にでて、舞妓時代に鍛え磨かれた技能をお客様のお座敷で披露する。
芸妓さんと舞妓さんとの違いは歴然としている。その大きな違いはまず頭(ヘアー)。舞妓さんは地毛(自髪)で結うが、芸妓さんはカツラをかぶる。写真を見ると確かにそのようだ。着物は、舞妓さんは中振り袖で肩を縫い上げ、帯は長くだらりと垂れ下げる。そしておこぼ(こっぽり)を履く。それに対して、芸妓さんは袖も短く帯は太鼓結びが普通のようだ。



この花街には、伝統文化が根強く伝承されている。古くからの慣習や習慣、そしてお座敷、その空間、芸者さんの衣装や身形、さらにおもてなしをする技能等々あげれば切りがないほどある。厳しい世界であるのは言うまでもない。なによりもこの花街はおもてなしの “心と技と空間" が凝縮された世界である。
そんな花街の世界へ自分の意志でチャレンジする十代(中高校卒業)の女子が少し増えていると聞く。数少ない伝統技能文化の伝承者として頑張ってほしいと願っている。

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カワセミを眺めながら、冷水で淹れる煎茶を愉しむ。

2020-07-15 11:20:43 | 文化想造塾「煎茶」

「翡翠」と書けば、誰しもが宝石の “ヒスイ” と読む人が多いだろう。この漢字は別の読み方がある。水鳥の “カワセミ” とも読む。

煎茶席で掛けられていたお軸(写真)には、カワセミが一羽絵描かれていた。背中の羽の部分が鮮やかな水色、お腹部分がオレンジ色で、ブルーのくちばしが長いのが特徴の鳥である。羽は光によってエメラルドグリーンのように輝くブルーに変化するのも魅力で、 宝石の翡翠にたとえ “水辺の青い宝石” と呼ばれている。

煎茶サロンでは、そのカワセミをテーマに話が進んだ。席では、このような日本画的な絵のお軸が掛けられているのは珍しい。だいたい墨画のものが多い。カワセミは、色合いがとても鮮やかなのでよく写真の被写体にもなっている。川で見かけるとだいたい二羽でいる場合が多い。つまり、オシドリ同様、つがいで行動する鳥である。

二羽いるはずのカワセミが一羽しか描かれてない。それもよく観れば、なんと悲しそうな表情になっている。文学的に言うと、カワセミは ”愛の象徴” を意味する。それが一羽で、悲哀感が表現されている。ということは、待てども来ない愛しい人を想い悩む描写ということになる。
こんな悲哀の絵を鑑賞しながら、冷水で煎茶を六煎まで淹れ、一煎ごとに渋く変わっていく味を愉しんだ。

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