(バンコクの いせたんでかう ふきのとう)
10年程前の話だが、当時のバンコクには約3万人の日本人がいたそうだ。 バンコクは赤道に近く、年間を通して、ほぼ最高気温30度前後、最低気温25度前後という。雨季と乾季しかない熱帯だ。
赴任してきた大企業のサラリーマン一家は、勤務会社が所有する50坪もある高級マンションに住み、運転手つきの車で送り迎えだそうである。
妻は、日本人の奥様仲間と毎日ホテルでランチ。なにせ、物価が安いからそんなことができるし、日本では考えられない豪華な生活なのである。
したがって、日本に戻るとなると、憐れ兎小屋に帰るわけで、誰もが泣いて別れを告げるのだそうである。
さて、バンコク日本人会ではメナム句会というのがあって、毎月句会をやっている。私は一度だけだが参加したことがある。
雨季と乾季しかないバンコクで、俳句を作るのは大変ではないか、と思ったが、意外にそうでもないらしい。日本にはない珍しい動植物、風俗があってネタには事欠かないそうである。
この句の「蕗の薹」、日本からの輸入品ではあるまい。たぶんどでかいタイ産だろう。国際化が進むとこんな句も生まれるのである。
花はハマユウ(浜木綿)に似ているが
とんでもなく大きかった