一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

509   2012年2月 岩戸句会

2012年02月29日 | 岩戸句会

料峭やどれも海向く駅の椅子    正太

壷焼のなぜか男の匂いする

 

帰り道しかと料峭身八つ口     章子

別れとはあっけなきもの藪椿

 

背に受ける風の重さよ涅槃西風   遊石

料峭や我が世の旅の姿かな

 

強東風に抗う犬の太き声      豊春

喉嗄らし土産売子や春遅し

 

良く笑う女ばかりや梅日和     洋子

喝入れて雛を飾らん病み上がり

 

啓蟄や石斧のような石拾う     

するすると肝を抜かれし毛糸玉

 

料峭や地球儀を拭く六年生     炎火

春の雪デーサービスの長寿園

 

旅便りあふれる紙面春まぢか    稱子

動物園の海馬あかんべして立春

 

春寒し行く人なしの石畳      鼓夢

坂道に喘ぐ足弱寒の明け

 

 イーグルが舞う足元に蕗の薹    静江

早春を胸いっぱいに身を清め

 

家を出て5時間後には雪の街    空白

冬歩き帽子とメガネマスク着け

 

梅二輪今朝の日差しに解かるる     雲水

鶯が誘う三時になさりませ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

508   極楽橋料峭自刃の地に続く   敦子

2012年02月29日 | 

(ごくらくばし  りょうしょうじじんの ちにつづく)

 

 「極楽橋」という橋は、日本に数ヶ所あるようだ。実際の橋であったり、単なる地名であったりもする。

「極楽橋」の意味を単純に考えれば、この世からあの世(極楽)へ行くために渡る橋だ。

確かに昔の人は、極楽を信じていたかもしれないが、今の日本人のほとんどが、天国も極楽も、ましてや地獄など信じてはいない。これを、信仰や宗教の不在と嘆くこともできるし、夢想や妄想、虚偽からの解放と喜ぶこともできる。

 

さて、本家ではないかと思われる大阪城の「極楽橋」は、築城した秀吉の、渾身の命名ではないのか。

極楽橋を渡り、大阪城内を極楽と見立てた秀吉であったが、なんと皮肉なことに、その城内の山里丸が、秀頼・淀君らの自刃の地になってしまったのである。

実際は、極楽橋ではなく地獄橋だったのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする