一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

567  桃の丘大方を捨て描き始む

2012年04月26日 | 

(もものおか おおかたをすて かきはじむ) 

 絵も写真もそうだろうが、全体の見えている中からある一部を切り取る、その切り取り方が作者の考え方や感性を示すことになるのだろう。

 俳句にしたって同じことだが、視覚以外の聴覚、味覚、臭覚など五感の全ての中から、更に思考や空想まで含まれる中から作句するのだから、捨てるものの方がはるかに多い。

 いづれにしても私達には、知っていることなんて微々たるもので、知らないことが無限大にあるのだ。しかし、どうやら人間は、自分は何でも知っていると思い込みたがる動物のようだ。

あおき(青木)の花、ミズキ科アオキ属

 

コメント (2)
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