「私は存在しているのか」という哲学的命題を考えている私は、疑うことなく存在している。というデカルトの「我思う、ゆえに我あり」が、正しいとするならば、
夕焼けは、全ての人に平等に染まるが、人のために染まっている訳ではない。
夕焼けは、見た人には染まるが、見ない人には染まらない。
夕焼けは、感動した人には染まるが、感動しない人には染まらない。
という俳句的論理は、成立するだろう。
さて作者が、この句を「私」にしなかったのは、哲学的に思われるのを避けたのだろうか。それとも、エゴイストと思われるのを避けたのだろうか。
シュウメイギク(秋明菊) キンポウゲ 科
別名、キブネギク(貴船菊)名前にキクが付くが、キクの仲間ではなく アネモネの仲間