一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

746  がむしゃらに家業を継ぐや破荷  章子

2012年10月28日 | 

(がむしゃらに かぎょうをつぐや やれはちす)

 やれはす、やれはちす(敗荷、破れ蓮)とは、美しく咲き誇った蓮の葉が、秋になって風雨に破れた無惨な状態を言う。

 さてこの句、父親の家業を継ぐ羽目になり、戦後のどさくさや好景気に押されてなんとかやってきたが、その後バブルがはじけ、不景気になって早二十年。

気が付いてみれば、がむしゃらにやってきた家業も風前の灯。我が身も正に“破荷”、というわけだ。

 つまり、上の五・七を受けて、下五の季語が、結論を暗示している、という使い方が、この句の眼目である。 

 ジャーマンガーデンマム  キク科キク属

 

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