Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

3本の鉛筆 、8

2017-01-10 20:26:43 | 日記

  文といっても作文か感想文、もしかしたら日記を書けというのかしら?

父から貰った鉛筆を削りながら、私はあれこれと思案してみるのでした。

 中学生になってみると、作文の時間は更になく、何かのレポート的な調べ物はあっても

思いのままに文章を書く機会はあまりありませんでした。

来年の夏休み迄読書感想文は無いし、そう思うと自由文は日記ぐらいのような気がしました。

兎に角、折角の父の志です、一応大学ノートなる物を用意して気負って書いてみます。

しかしこれが驚くほどの 3日家坊主です。

日々書く事が、実際の出来事であるのに、

その日の出来事を記事として、脳裏から捻り出す事にこれ程苦労するとは思いませんでした。

  駄目だ!

何を書くにしろ書いていて楽しくありません。

当時、事実を書く事がこれ程詰まらないとは思いもしませんでした。

ぽいっと匙ならぬ鉛筆を投げ出して、空白の日が1日 、2日と出始め、その間隔も段々幅が開くようになり、

何時しかパッタリと日記が途絶えてしまうのにそう日数は掛かりませんでした。

折角の父の気持ちでしたが、恥ずかしい話し日記は全然書けませんでした。

   今から思うと相当書く事があったはずですが、当時の私は何故書けなかったのでしょうか?

多分それは日々をあまりにも主観的に捉え過ぎていたせいなのではないかと思います。

苦悩の波の真っただ中にいただけに、日々を過ごす事でアップアップ状態。

目まぐるしい日々の取りまとめや深い考察など、精神的にも全く余裕がなかったのでしょう。

今私が過去を振り返って書く事ができるのは、

落ち着いた第三者の目として過去の日々を甦らせているからなのでしょう。

  2本目の鉛筆もこの様にして、父の意図とは違う無残な生涯を遂げたのですが、

この鉛筆は本当に書き味の良い高品質の鉛筆でした。

程よい握り心地、なめらかな書き味 、容姿と同様その鉛筆としての機能に、当時の私は非常に満足しました。

その証拠に、私は学校帰りに文房具店に寄ると、きょろきょろとその鉛筆を探し値段を確認して置きました。

他の鉛筆との値段の違いも比較して 、価格調査も怠りませんでした。

 その結果、この鉛筆は結構高価な物と分かりました。

『お父さん、高い物を…』

そう思ってはみたものの、書けない物は如何しようもありません。

当時もそう思って自分自身げんなりしながら、何度か臙脂色の鉛筆を指先で回して眺めて見るのでした。

 書く事が無かっただけに、この鉛筆は長生きでした。

年1度の読書感想文や長い文章を書くレポートに使うのみで、計算や作図などには使いませんでした。

ひたすら何か長い文章を書く事に使いました。

それが私のせめてもの父への申し訳のような物でした。

 後日父が、如何だいあの鉛筆良かっただろうと聞くので、

もちろん私はとても書き心地がよかった、良い鉛筆だ、品質が良いのだねとにこやかに応対したものです。

実際にその通りの鉛筆でしたし、私の返事に気をよくしてにこやかな顔を見せる父に、

ここぞとばかりに、あの鉛筆箱で買ってもいい?と、お強請りしたくらいです。

 父はぎょっとした感じで、

(この反応は私の予期した通りでした。)

「あの鉛筆高いんだぞ。」

と、1本幾らすると思っているんだ、それを箱でだなんて、と、真顔で絶句してしまいました。

 そして、窺うように顔を上げると、にやにやしている私の顔を見て、

お前あの鉛筆の値段を知ってたのか、と、ここで漸く私に揶揄われた事に気付くと、

苦笑いして、ほっと溜息を吐き、

「いい鉛筆だっただろ。」

と、もう1度私に言って、うんと頷く私に安堵したような、満足したような笑みを漏らしたのでした。

 


3本の鉛筆、7

2017-01-10 17:59:58 | 日記

 2本目の鉛筆は中学生の頃に貰いましたが、臙脂色をした鉛筆の端にアルファベットが3文字入った物でした。

見るからに高級そうで、品の良いセンスの良さを感じるデザインでした。

父は会社で使っている物だが、使い心地の良い鉛筆だからと、

また前のように、お前の為に1本貰って来たんだと言って渡してくれました。

 へぇ~、良さそうな鉛筆だねと、

触り心地も滑らかなその表面の厚めの塗装に、私はこの鉛筆が何となく気に入りました。

アルファベットが入っているのも年嵩な者が使用する感じで、

教科に英語が入った中学生には、胸が時めく魅力を感じさせるのに十分な鉛筆でした。

 今回は父は直ぐに何か書いてみろとは言いませんでした。

小学校の時の私の様子で懲りたのでしょうね。父も子育ての学習を私の小学生時代に1つした訳です。

 それでも、それで何か文でも書いたら、とだけは忘れずに一言付け加えました。

それも、私が今回父は何も言わないなと、安堵というか、失望というか、気持ちの中で嘆息した直後、

一瞬の心の隙を突くように言うものですから、私は一寸してやられた感じがして苦笑したものです。

 「じゃあ、お前に渡したぞ。」

そんな事を言って父は行ってしまいました。

 鉛筆1本にどんな重みが有るのでしょうか?

その時私は何だかある責任のような物をこの真新しい1本の鉛筆に感じて、

今回は作文か、何か文章を書く時専用にした方がよいなと、改めてしみじみと手の中の鉛筆を見つめてみるのでした。

 こうやって掌の中の鉛筆を見つめてみると、心なしか鉛筆の比重が増したように感じたのでした。

 


3本の鉛筆、6

2017-01-10 13:18:10 | 日記

 最初の鉛筆はそんな感じで暫く机の中にいたのですが、

10日か2週間が過ぎた頃、父は漸く当時の文具の相場状態や、学年相応の鉛筆硬度に触れたようでした。

HBの鉛筆を持って来て、前の物と代えてくれました。

 「あの鉛筆安いんだな。」

お前の年ならこの硬さが良いそうだ。等、

誰に聞いたのか知りませんが、父はそう言いながら10日程前の自分の前言を申し訳なく思ったのでしょう、

持っていた新しい鉛筆を直ぐに使えるように、私の目の前の鉛筆削りでザリザリと削ってまでしてくれたのでした。

今回は私も父に素直にありがとうと言って、交換された鉛筆を受け取り、その鉛筆を筆箱に仕舞い込みました。

 しかし、父はその鉛筆を本当に直ぐに使って欲しかったのでしょう。

前言の失敗もあってか、今度は父の方が神妙な態度で、ちらちら私の顔つきや態度など観察しているようでした。

その場から直ぐに動かず、深緑の鉛筆の書き味を尋ねたり、何か書いてみないかと促したりと、

暫く腰を落ち着ける雰囲気でした。

 私にも、父は私に何か文を書いて欲しいのだなとピンと来るものがありました。が、そうそう作文の課題などありません。

その日もそういう課題はありませんでした。

そこで、父の目の前で当日の宿題プリントにでも使って見せたかもしれません。

 プリントより…、と父は言っていましたが、

前述通り、そうそう作文は学校でも課題になりませんでした。

この鉛筆はその後も殆どプリントの書き込みに使った気がします。

 只、当時からも私は作文が好きでした。

そうは言っても、この鉛筆が作文専用にならなかったのは、

作文する場面が少なかった事、1つの作文が1本の鉛筆では書き切れず、

2、3本は用意して書き継がなければならなかった事からでした。

そうしないと、途中で鉛筆を削る間を空ける事になり、その間に作文の気が削がれたり、

文章の続き具合が分からなくて再読する手間が掛かる事になるからでした。

また、書いている途中、鉛筆を削る手間が厭わしく、続けて書き続けたいという事もありました。

思うに作文するには余裕をもって、鉛筆は3本くらいが必要ですね。(小学生の場合)

 「今度は子供用鉛筆の箱を買ってもらうといいぞ。」

ふいに父は言って、やおら立って行ってしまいました。

『もしかしたら、謝りたかったのかな。』

父の前言に、内心相当腹を立てていた私は、この時父が謝罪したくて私の傍で長居していたのかなと思いました。

何しろ、父の言葉が腹に据えかねた私は、誰かにその事を漏らさないではいられませんでした。

私に限らず、この年代の小学生で寡黙な子がいるとは思えません。

同級生の誰かが自分の親に、または直接父に言ってくれたのかもしれません。

当時は友情や正義や義侠心など、小学生でも結構根強かったものでした。

少なくとも私達の小学校はそうでしたね。