文といっても作文か感想文、もしかしたら日記を書けというのかしら?
父から貰った鉛筆を削りながら、私はあれこれと思案してみるのでした。
中学生になってみると、作文の時間は更になく、何かのレポート的な調べ物はあっても
思いのままに文章を書く機会はあまりありませんでした。
来年の夏休み迄読書感想文は無いし、そう思うと自由文は日記ぐらいのような気がしました。
兎に角、折角の父の志です、一応大学ノートなる物を用意して気負って書いてみます。
しかしこれが驚くほどの 3日家坊主です。
日々書く事が、実際の出来事であるのに、
その日の出来事を記事として、脳裏から捻り出す事にこれ程苦労するとは思いませんでした。
駄目だ!
何を書くにしろ書いていて楽しくありません。
当時、事実を書く事がこれ程詰まらないとは思いもしませんでした。
ぽいっと匙ならぬ鉛筆を投げ出して、空白の日が1日 、2日と出始め、その間隔も段々幅が開くようになり、
何時しかパッタリと日記が途絶えてしまうのにそう日数は掛かりませんでした。
折角の父の気持ちでしたが、恥ずかしい話し日記は全然書けませんでした。
今から思うと相当書く事があったはずですが、当時の私は何故書けなかったのでしょうか?
多分それは日々をあまりにも主観的に捉え過ぎていたせいなのではないかと思います。
苦悩の波の真っただ中にいただけに、日々を過ごす事でアップアップ状態。
目まぐるしい日々の取りまとめや深い考察など、精神的にも全く余裕がなかったのでしょう。
今私が過去を振り返って書く事ができるのは、
落ち着いた第三者の目として過去の日々を甦らせているからなのでしょう。
2本目の鉛筆もこの様にして、父の意図とは違う無残な生涯を遂げたのですが、
この鉛筆は本当に書き味の良い高品質の鉛筆でした。
程よい握り心地、なめらかな書き味 、容姿と同様その鉛筆としての機能に、当時の私は非常に満足しました。
その証拠に、私は学校帰りに文房具店に寄ると、きょろきょろとその鉛筆を探し値段を確認して置きました。
他の鉛筆との値段の違いも比較して 、価格調査も怠りませんでした。
その結果、この鉛筆は結構高価な物と分かりました。
『お父さん、高い物を…』
そう思ってはみたものの、書けない物は如何しようもありません。
当時もそう思って自分自身げんなりしながら、何度か臙脂色の鉛筆を指先で回して眺めて見るのでした。
書く事が無かっただけに、この鉛筆は長生きでした。
年1度の読書感想文や長い文章を書くレポートに使うのみで、計算や作図などには使いませんでした。
ひたすら何か長い文章を書く事に使いました。
それが私のせめてもの父への申し訳のような物でした。
後日父が、如何だいあの鉛筆良かっただろうと聞くので、
もちろん私はとても書き心地がよかった、良い鉛筆だ、品質が良いのだねとにこやかに応対したものです。
実際にその通りの鉛筆でしたし、私の返事に気をよくしてにこやかな顔を見せる父に、
ここぞとばかりに、あの鉛筆箱で買ってもいい?と、お強請りしたくらいです。
父はぎょっとした感じで、
(この反応は私の予期した通りでした。)
「あの鉛筆高いんだぞ。」
と、1本幾らすると思っているんだ、それを箱でだなんて、と、真顔で絶句してしまいました。
そして、窺うように顔を上げると、にやにやしている私の顔を見て、
お前あの鉛筆の値段を知ってたのか、と、ここで漸く私に揶揄われた事に気付くと、
苦笑いして、ほっと溜息を吐き、
「いい鉛筆だっただろ。」
と、もう1度私に言って、うんと頷く私に安堵したような、満足したような笑みを漏らしたのでした。