Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

3本の鉛筆、2

2017-01-06 17:12:50 | 日記

 私はこの父に貰った最初の鉛筆、深緑一色の鉛筆が一番記憶に残っています。

最初に貰った鉛筆だからという他に、当時の父母の言動等から思い出深い物となっているのです。

もちろん、もうこの鉛筆は存在しません。

筆箱の同じ鉛筆に紛れて、何処で如何自分の使命の最終段階を迎えたのか私にも分かりません。

流行りの鉛筆トレードなどで誰かと交換したのでしょうか、

 いえ、多分、まだ新しいその頃は、父から貰ったものと分かり交換はしなかったと思います。

真新しい長い鉛筆、まだ使いでのある長さの鉛筆でないと、トレードの対象にはならなかった物です。

短くなりあまり使用しなくなると、その短さの鉛筆が溜まり、

どれが如何とも判別しにくくなってくると鉛筆もその生涯を閉じるのでした。

 私の場合はこんな短い鉛筆を欲しがる子に上げるか、思い切ってゴミ箱か、

又は自宅の机の中に何となく仕舞込まれているかでした。

 短い鉛筆も可愛い物です。

私は時折机の引き出しを開けて、そこに1年生の頃から入れ始めたころりとした鉛筆、

数種数本そこにある可愛い鉛筆を、ふと思い立った時に手に取り眺めてみたりするのでした。

 私だってピカピカの1年生の頃は子供用の色柄の鉛筆を使っていました。

可愛い鉛筆は小さくなるとより可愛らしいものです。

いくら大人っぽく見えても緑一色の鉛筆を使いたい訳がありません。

というよりも、この年代でそれほど大人っぽい物に憧れる子供がそんなにいるでしょうか。

私はまだ、使い慣れている子供らいい鉛筆の方が実はよかったのです。

 

 


3本の鉛筆

2017-01-06 12:05:36 | 日記

 前に書いた3本の鉛筆、父から貰った鉛筆は、

最初の物は深緑一色で全体が塗られた、当時よく目にした鉛筆でした。

小学校低学年で使っていた子供向けの絵柄の鉛筆とは違い、事務的なその雰囲気が大人っぽさを感じさせたものです。

父は会社かどこかで貰った物を私にと持って来てくれたのでした。

「いい鉛筆だろう、お前にと思ってもらって来た。」

そう言って、多分Hくらいの固めの芯だったと思いますが、私に手渡してくれました。

 当時、私はもうこの鉛筆を使っていました。芯の硬さはHBだったと思います。

この鉛筆ならもう使っているというと、父は驚き、そうかと少々がっかりしたようでした。

それで、私は申し訳に鉛筆をしげしげと眺めて、芯の硬さが違う事に気付き、

その点をクローズアップさせて父の心遣いに感謝する事にしました。

 「Bより今使っているHBは芯が減ら無いので始終鉛筆を削らなくてよくなったから嬉しいの。」

この鉛筆はHだから、HBよりさらに減らない芯なんでしょう、もっと楽になるからよかった。

その内使ってみるねと私は父に言うと、その鉛筆を筆箱ではなく机の引き出しに大切にしまい込みました。

 貰って来た当初父は芯の硬さに気付いていなかったようでした。

私が鉛筆の硬度の種類を口にして初めてその硬さに気付いたようでした。

少し後になってHBの鉛筆を貰って来ると交換してくれました。

 「この前の鉛筆を持って来てくれ。」

父はもう使ったかと尋ね、あれではお前の年に合わないからと、これにしなさいと私の目の前でその鉛筆を削ると、

私が机の中から持って来た、前に貰った鉛筆を自分の手に受け取り、

削った新しい鉛筆をほいと私に手渡してくれました。

 その後鉛筆は私の筆箱にしまい込まれ、

使い心地を見てごらんと父のいう言葉を待たずに他の鉛筆と共に直ぐに使用開始されたのでした。

 

 

 


引きました

2017-01-06 11:41:04 | 日記

 前にこのブログで写真入りで記事を書いたので、また再び写真を載せる気はないのですが、

気になられる方は2日のブログで見てください。

 結果は中吉です。

人に言ってもよいかどうか、写真を載せてもよいかどうか迷いましたが、

今年は記事として書いてみました。

 今年は暖冬のお正月で過ごしやすいですね。

おかげで今のところ、神社仏閣に2ヶ所行くことが出来ました。

近年は1ヵ所やっと行く程度でした。嬉しいです。

おみくじもそうですが、過ごしやすいお正月だった事が殊の外嬉しいです。

 


寒中見舞い

2017-01-06 00:11:23 | 日記

 そろそろ寒中見舞いの執筆にとり掛かろうと思います。

執筆という程の事も無いのですが、それなりに何かしらの一筆書きを考える訳です。

現在印刷機が不調です。すべて手書きです。宛名だけですが。

今年は裏は印刷された物で間に合わせました。昔は自分でデザイン作成するのが楽しみだったのですが、

今や購入して楽をするという方向に転じました。(

 寒中見舞いを出す方は昨年ご不幸があり年賀遠慮の方が殆どです。

そう思うと赤目の色合いやコミカルな絵柄は避けてしまいます。

そうかといって寒色系の色では、視覚的にも益々冷えが身に応えそうです。

葉書の絵柄がいろいろあったので、選ぶにも時間がかかりました。

ついついお値段なども考慮してしまうのは、この辺主婦感覚です。

 もう眠い時間なのですが、一寸ブログに寄ってみようとやって来ました。

パソコンの置いてある机上を眺めると、この寒中見舞いの葉書の束が目に入り、

早速明日書く枚数を取り出し、こうやって目の前にバラバラと並べてみました。

ペンを葉書の上に置くと、いかにも雑然として白い表面が書き込みを待っているように感じます。

物書きの机上になりました。

 「物を書く人になりなさい。」

かつて私は見知らぬ人にこう声をかけられて驚いたものです。

私が小学生の頃でした。4年生の頃だったかなと思います。

 私には何故その人がそう言ったのか全然思い当たる事が無かったのですが、

それは本当に見知らない人が突然そう言ったからでした。

ただ、その人は私が書いた作文等を何処かで読んだ事があるようでした。

実際に君の作文を読んで…と仰っておられました。

 父も、小学校の頃、中学校の頃、高校の頃と、何故か私に3度鉛筆をくれ、

この鉛筆で何か書いたらどうだ、と言ったものです。

そこで私は、小学生の時には何を?プリントを書くの?と答え。

中学生の時には、作文や感想文?と答え。

高校の時には、さて、どう答えたでしょうか?自分でも覚えがないのです。

 その頃には創作文など全然思いつきませんでした。日記?と尋ねると、

自伝、そんな事を父も言っていましたが、

人は自分の自伝を書く事で誰でも1つ作品を書く事が出来るが、作家は沢山の作品を書く事が出来る、

それが普通の人と作家の違いだと、妙に2回程私に言ったものです。

3回は言わなかったかなと思うと、父の助言も何とかの顔も3度までに近いものがあったのでしょう。

 実際に私が物を書き始めたのはかなり後年です。40代になってからでした。

実話はかなり楽です。思い出して書けばよいのですから。確かに、創作できる域にまで達するのは難しいでしょうね。