私はこの父に貰った最初の鉛筆、深緑一色の鉛筆が一番記憶に残っています。
最初に貰った鉛筆だからという他に、当時の父母の言動等から思い出深い物となっているのです。
もちろん、もうこの鉛筆は存在しません。
筆箱の同じ鉛筆に紛れて、何処で如何自分の使命の最終段階を迎えたのか私にも分かりません。
流行りの鉛筆トレードなどで誰かと交換したのでしょうか、
いえ、多分、まだ新しいその頃は、父から貰ったものと分かり交換はしなかったと思います。
真新しい長い鉛筆、まだ使いでのある長さの鉛筆でないと、トレードの対象にはならなかった物です。
短くなりあまり使用しなくなると、その短さの鉛筆が溜まり、
どれが如何とも判別しにくくなってくると鉛筆もその生涯を閉じるのでした。
私の場合はこんな短い鉛筆を欲しがる子に上げるか、思い切ってゴミ箱か、
又は自宅の机の中に何となく仕舞込まれているかでした。
短い鉛筆も可愛い物です。
私は時折机の引き出しを開けて、そこに1年生の頃から入れ始めたころりとした鉛筆、
数種数本そこにある可愛い鉛筆を、ふと思い立った時に手に取り眺めてみたりするのでした。
私だってピカピカの1年生の頃は子供用の色柄の鉛筆を使っていました。
可愛い鉛筆は小さくなるとより可愛らしいものです。
いくら大人っぽく見えても緑一色の鉛筆を使いたい訳がありません。
というよりも、この年代でそれほど大人っぽい物に憧れる子供がそんなにいるでしょうか。
私はまだ、使い慣れている子供らいい鉛筆の方が実はよかったのです。