少々遠出して参拝して来ました。
何度か行った事があるお寺ですが、行く度にいつも迷ってしまいます。
今回、お寺の近くに割合知られた温泉街がある事に改めて気付きました。
そういえば、年末に貰って割引券のあるお宿も目にする事が出来ました。
場所を覚えたので次回にはこのお宿にも来れそうです。
今回の温泉街を通るアクセスルートは私が前回来た時と同じ道順でした。
前々回は、国道から脇道に入ると、のぼり旗に沿って車を走らせる内に参道入り口に至るというコースでした。
私は帰り道、参道入り口でどちらの道から帰ろうかと一瞬躊躇してしまいました。
そこで、来た時と同じコースを選ぶと、のんびりと帰って来ました。
帰路はUターンラッシュに引っかかったのか、なかなか車が進まずに峠へ。
山の中で夕暮れ、トンネルを抜ける度に日差しの光線の角度が傾いて行くのが分かりました。
トンネルの中も渋滞です。おかげでトンネルを抜けるのに時間が掛かった事や、
トンネルの出口が山の地形の向きの違いで、光線の受け方の違いとなり、風光の違いとなるのかもしれません。
トンネルを抜けると明らかに時の経過を感じさせました。
何度時計を見てもする方無く一向に山から抜け出せないので、私はハンドルを握りながら、
車窓から見える枯草や明るい灰色の空の様子、木々の賑わいを眺めて、雪が無い暖冬の風景に暫し心を和ませるのでした。
雪国の冬に雪が無いというだけで、つい笑みが漏れてしまうのは私だけでしょうか。
時折雨がぱらつくのですが、山の中でも雪は降らず、日差しが差すと車内は温室並みに温かいのでした。
さて、参拝したお寺の中には清水が湧いているようです、小川や淵が出来ていました。
淵には鯉が何匹かいて、やはり冬の最中です、水に沈んでじっと身動きせずにいました。
こんな所はやはり雪や氷に覆われていなくても真冬の季節を感じさせますね。
落ち着いた水の湖面を眺めていると、自分の気持ちも落ち着いてくるようで、静寂の時に触れる思いがします。
時折雨がぱらつくのですが、琴の音が流れる境内には人声もそう響かず、冷えもそう酷くなく、
古木が佇み苔むした杭など、しめやかで清涼な歴史ある雰囲気が、時の流れを昔へと誘ってくれます。
今回の遠出で唯一冬を身近に感じたのは、この鯉の冬籠りの状態でした。
思えば、吐く息も白くなくて、雨に濡れたこの橋も冷え冷えとした感じより、
しっとりとした美しい落ち着きを見せてくれました。古都の風情です。
朱塗りの橋は、雅で高貴な気がするものですね。
入口に滑るので気を付けるよう注意書きがありましたが、1人静かに歩いていくとその注意を忘れてしまい、
山々のそそり立つ岩肌というか、景観というか、奇岩というか、
寺だけに卒塔婆らしく積まれた石にも目が向いてしまいます。
降りる途中の岩肌に、水が滴り落ちて小さなくぼみが穿かれていました。
清らかな水が滴るごとに水面が弾み、見ていると絵になるので写真を撮りましたが、
水の滴りと跳ねが一瞬の一枚には切り取ることが出来ませんでした。
画像を没にしながら、この感動を伝えられない事が残念に思えました。
後になって、角度を変えて撮れば思うような表現が出来たのではと思いついたのですが、
いわゆる後の祭りです。次回こういう場面に出くわしたら考えてみたいと思います。
石清水と言いますが、石と水の佇まいは気持ちを落ち着けるものですね、
本殿でお参りしたあと奥の畔に一人佇み、静かな水面を眺めていると、とても穏やかな気分になりました。
ここを訪れる誰もが気持ち落ち着けて世事の煩悩や柵などを忘れてしまえるのではないか、
そんな風に私は思い、過去にここを訪れた人、人々に思いを馳せるのでした。
実社会では辛く苦しい事も多かった事に違いありません。私だってそうです。
結構苦労知らずと言われた事も多かった私ですが、人の辛さはそれなりに分かるつもりです。
冬の眠りにつく湖面を見ていると、世の人々が心落ち着けて穏やかな心情でいられるように、
ここに来た人には居てくれたようにと願わずにはいられませんでした。
最後は入口の祈祷所に寄り、線香の煙など少々浴びて
(私は煙の中に長居するとアレルギーが出そうです。)拝殿に入り、
お守りを幾つか家族へのお土産に買って帰って来ました。
お守りが一杯あるので、何時も参拝する寺院仏閣でどれを買おうかと迷うのですが、
お目当ての交通安全、縁結びのお守りは忘れずに買って来ました。よいご利益、ご縁があるとよいですね。