Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

考慮中

2016-11-22 12:59:18 | 日記

 今現在、この後何を書こうか考慮中です。

その間、写真を載せてみました。

 秋の紅葉と春の日差し。 日差しが眩しいので夏かとも思うくらいです。

画面に色付いた木々が無ければ、とても秋だと思えません。

街路樹や道路は舞い散る落ち葉で既に秋の深まりを感じさせています。

常緑樹の上に積もった紅葉が、黄色の帯状にラインを引いていました。

車を止めて写真に撮りたく思いましたが、運転中は突然の停止もできません。

紅葉の積もった低木の街路樹の繋がりをただ眺めて通り過ぎるだけ。 

とても美しい黄色の帯でした。


ふと気が乗って1枚

2016-11-21 20:31:05 | 日記

 先日、お天気が良かったので、ふと気が乗って近くの公園に出かけました。

春は桜、夏はお濠の噴水、秋は紅葉と、市民の憩いの場です。

小春日和の今の季節、紅葉の赤い色、黄色い紅葉、とカラフルに美しく、

写真を撮る手が忙しなく動いてしまいました。

何枚か携帯で写真を撮って、撮る度に保存するか没にするかを画像を見て確認していましたが、

1枚に小春日の陽光が写り込んでいたので、画像をアップする事にしました。

一寸密林みたいに見えますが、紅葉とお濠と秋の日差しです。

陽光は神が代示すというような詩もあるように、写真に写り込むと神秘的な感じがします。

自然に目にする時には雲間から差し込む時に幾筋かの光の放射として見る事が出来、

それもとても感動的なのですが、写真に捉える事が出来る時もあるので、

一度その光彩の写り込んだ写真を見てからは、私も六角形の光の結晶のような物を写したいとか、

そんな風に思ってシャッターを切ったことがありました。

 今回は偶然ですが、紅葉と日差しに、小春日和の気候がうまく捉えられたかなと嬉しく思いました。

秋の花、コスモスは秋桜と書きますが、小春日和も秋桜も私は大好きです。

思春期は春の桜より秋桜の方が好きでした。八重の花より一重の花が好みでした。

今は春の桜と八重の花が好きなのですから、人の好みも変わっていくものですね。

 

 

 


従姉妹に教えてもらいました

2016-11-21 09:37:21 | 日記

 昔、従姉妹に教えてもらったスポットです。

名前はお寺なんですが、神社もあり、霊験あらたかなお寺です。

割合に有名な場所で、初詣などでも人が訪れるところです。

 従姉妹の話では、同じ会社の人がそこで縁結びのお守りを買ってお願いして来たところ、

とても良い(相当に)ご縁があったという事でした。

 それで、ある日私達がドライブに行った時、従姉妹はそこへ行きたいと言ってこの話をし、

皆で出かけました。参拝した従姉妹はやはり縁結びのお守りを買って来ました。

私はこの話を偶然だと思い、全然信じていなかったので、交通安全のお守りだけ買ってきました。

 翌年、驚いたことに従姉妹はかなり良いお相手と結婚しました。

私はびっくりです。私も恥ずかしがらずに買えばよかったかなと思いました。

 さて、私の方の交通安全のお守りはというと、こちらも本当に驚いたことに霊験あらたかでした。

お守りを持っている時は全く無事故で、あ、危ないと思う時はあっても、

不思議と危難を乗り越える事が出来ました。

 お守りが古くなったり、無かった時には虫や鳥にまでぶつかられて嫌な思いをしました。

不思議ですね、不思議なご縁です。

 そろそろ交通安全のお守りが古くなってきました、危ないなと思う時もあるので、

近々買い替えに行ってこようかなと思います。

 さて、縁結びのお守りですが、参拝して購入して来た事があります。

子供に渡しておいたのですが、未だに効果は顕れません。

本人が行ってお願いし、購入して来ないとダメなのかもしれませんね。

信心深く、真面目にお願いして来ないと霊験もあらたかでは無いのかもしれません。

こちらの地方の古刹です。遠いので行く度に迷います。ナビが欲しいですね。

 

 


早蕨、5

2016-11-20 22:46:35 | 日記

 早蕨いつ終わるんでしょうか、私あまり書きたくないのですよね、

そう思いながら書いています。

 2日程してから、

「まあ、そんな酷い事も無いさ」

と父が返事を返してくれました。

思い出すのに時間がかかったのでしょう。お父さんの時はそんな酷い事も無かったから、大丈夫だろう。

そう言ってくれました。私はちょっと安心しましたね。

 父には妹がいましたが、一時はその子の時より酷いんじゃないかと漏らしていましたから、

兄妹の事を考え併せて最初無言だったのかもしれません。

 話は本題に戻ります。

事件後気を引き締めていた私ですが、やはり異性からのコンタクトは嬉しいものです。

騙されたく無いと思いながら、たー君の可愛い顔についにやけてしまいます。 

そして、こんな事ではいけないと平静を装います。それとなく男子2人を観察し、 

やはり夢の世界に憧れたりします。

 でも、私の場合、中学校以前、小学校の時にもいろいろありましたからね、男の子とは。

そうモテる訳はないという確固?たる自信がありましたから、考えはバラ色の方向へは向かないのでした。

そこで人違いで結審した訳なんですが、恋のアプローチで無いのなら、

人ま違い以外にどんな理由があるのでしょう?そんな事を暇な時に憶測していました。

 手を眺めては、時折分からないと溜息を吐く、そんな何日かでした。

そんな中で、思い当たったのが『たー君、そういえば1年の時クラス委員だったっけ。』でした。

せー君もクラス委員だけど、今の場合せー君の事は置いておいて、たー君について考えてみようと、

あれこれ思い巡らしてみます。

 1年の時何があったっけ?

そうだよ苛めだよね、といの1番に思います。

他に何かあったっけ?

学校外でも会った事あるけど(これは見た事)、意図的じゃないと思うし、

何かあった訳じゃないし、話もした事無いし。

絵の件もあるけど、これはせー君の春の言動と全く逆の感じで関連しているみたいだけど、

あれはもしかしたら、たー君がせー君に頼んでしてくれたのかな?

等とも思ったりしました。

 そうすると、元々せー君とたー君は仲が良いのかな。

等々私には様々に思い巡らされて来ます。

 はて、たー君は私にどんな負い目があるのかしら?そこまで気を配ってくれるなんて、

クラス委員の責任感かしら?

 ここまで考えてくると、私にはたー君があの1年時の男子生徒を代表しているような気がして来ました。

私の手を掴み、男の子は君の事を嫌いじゃないよ、と

訴えているような気がしました。

 1年の時の男子生徒達を代弁して、ごめんねと言っているような気がして来ました。

もう3年生です。2学期です。早めに過去の負債を弁済しておきたい、そうだったのかなと分かって来ました。

私はもう片方の手で触られた指を撫でながら

「ありがとう、たーくん。」と呟くのでした。

 小春日和の日、私は教室の窓辺により1年の校舎の方角、自分の教室のあった辺りを眺めてみます。

1年生の時の事を思いだしてみます。

今から思い出してみてもあれは相当酷かったなと思います。

2年の時の友達やクラスメートに心和んだ時、いろいろな事、

そして今や3年生、中学最上級生だと、今まで、よくここ迄来たんだなぁと、

振り返ってみると中学生活が非常に感慨深いものになってきました。

 日差しが暖かく差しています。手に当たる日光が暖かいので、空間の日だまりに手を差し伸べてみます。

風が心地よく穏やかに吹き込んで来ます。

今日の今の窓辺は私の物。本当に気持ちがよいのでした。

 『小春日和ね。』

そんな言葉を思い浮かべていると、Jun何考えているの?とJさんが声をかけてきます。

小春日和だなぁと思って、

教科書で習った短歌、「石走る垂水の上の早蕨の萌えいづる春になりにけるかも」を思い浮かべていたのよと答えます。

短歌は春の歌だけど、寒い冬を越えて春を待ちわびる人の心が私にも分かるからと。

 コンクリートの隙間に、この小春の日差しが差し込み始め、新鮮な息吹が吹き込み始めたのだと微笑むのでした。

本格的な春ではないけれどこの気候も好きなのだと。

 

 

 

 

 


早蕨、4

2016-11-20 11:30:22 | 日記

 皆さん、4があったなんて信じられないでしょうね。

私も、3で纏められなくて申し訳なく思っています。

いくら人違いという事で完結してみても、受験生で忙しいと言っても、

日常を考え込むような、ぽっかりと暇な時間はあるものです。

ましてや気候の良い時期でした。日だまりの小春日和です。

そんな時間に、私はやはり自分の手を眺めてみるのでした。

 如何しようかなと思っています。これを書いてよい物かどうか、何でも正直が良いとは限らないし、

言ってよい事と悪い事がある事ぐらい私にだって分かっているのです。

もし書く場合は、どう書いてよいかという順や書き方に惑います。迷うのではなく、本当に惑います。

 事は小学校6年に戻ります。

ある日、雪が無かったので2学期だと思いますが、もうかなり年末に近い頃でした。

私達は来年中学生ということで、心の準備宜しく組み合わさる向こうの小学校について、

追々とそれとなく先生からアドバイスというか、忠告というか、1言2言、3言という具合に

この日迄にも言葉を受けていました。

 大抵はこちらの小学校が劣勢だというような、私達が気の毒だとか心配だとか、

気落ちしないで頑張るようにというような言葉でした。

 その日は、6年生が皆小学校のグランドに出て、何か話を聞く集会のような感じでした。

もちろん平日の事です。

 先生方の話が終わり、これで終了かと思ったところで、1人の先生がやはり一寸1言いわせてください。

と発言され、グランドの皆の前に置かれていた教壇に立たれました。

そしてマイクを掴まれてこう言われました。

 「○○小学校の皆さん、先生達は何があっても○○小学校の皆さんの味方です。」

あんな小学校の生徒達と組み合わさる皆さんが可愛そうで可愛そうで、…という話に、

私に限らず皆一様にかなりの不安を感じたに違いありません。

ましてや、全然向こうの小学校について知識のなかった私は、

それ迄聞いて来た追々の話でも、何だかあるのだなと感じてはいましたから、

今のこの先生の発言に相当面くらい、これまでの話の中で1番のショックを受けました。

衝撃と言ってよい発言でした。

見慣れない先生に、

 「ねえ、あの先生この小学校にいたっけ?」

と私は横にいた子に訊きました。何先生?

その子も知らないらしく直ぐに返事は無く、あちらこちらでさわさわと聞き合う波紋が広がっていましたが、

その内、向こうの小学校の先生なんだって。と返事が返ってきました。

えええー、と、私は再び驚きました。

 こっちの小学校に来てまで自分の小学校の生徒について「あんな生徒」発言するなんて、

そんな先生もおられるのだなぁと思いました。

後ろからは、又は、それ程酷い生徒、なんだ。と言う声もありました。

ダブルのショックを受けたのは、多分私だけに限った事では無いでしょう。

(ごめんなさい、これを読んだら気分を悪くするでしょうね。

この先の私の心情を書く為にはこれって必要な事なんですよね。その先生も如何しても言いたい事だったようです。

教壇を下りる先生に、何もそこまでという声が他の先生から上がりましたが、いえ、これだけはっきり言って置かないと、と仰っておられました。

 ガーンと鉄砲玉というものではなく、砲弾をくらったような衝撃が走りました。

 その日家へ帰って早速、私は父にこの出来事を話しました。

そんなに酷い生徒達なの、達が付いていたんだよ。と、複数なのだと聞いてみます。

父もここの小学校の出身、中学の先輩です、事情は分かっていると思いました。

ねえねえ、どんな小学校なの?どんな人達なの?

私は自分の不安を打ち消してくれる父の言葉を待っていました。

が、父はそうだなぁとも、嫌そんな事も無いよとも、何も言わず、

そうさなぁの言葉も無いまま、全くの無言で返事を返してはくれなかったのでした。

 これは、相当な覚悟でいなければと、のんきな私にも薄っすらと分かる危機感でした。

それで、1年の始めに階段を上りながらこの先生の言葉をふと思い出し、

同い年の事、なんだかんだ言っても仲良くやって行けるだろうと案に思っていた訳です。

覆ってましたよね。

 それでも、2年、3年と来て、先生からも、馴染んで居ますと私は評価されていたので、

案外逞しかったのかもしれません。私って。(

 さて、これです。私はこの先生の言葉を、私の傍らを後から来たせー君が通り過ぎて行った時に思い出しました。

たー君が今さっきまで掴んでいた自分の手を見ながら、

『この事かもしれない

と思い当たりました。

もう中学3年生、15歳でしたから、思いも掛けない異性からのコンタクトに、

真意があるのか如何、単なる戯れなのではないかと先ず思った訳です。

女の子ですからね、皆思う事は多分一緒、

『騙されてはいけない』又は『騙されないわ!

です。

 ましてや、何の前触れもなかったのですから、この事に関しては心して対処しなければいけないと気構えしました。

(変でしょうか?女の子の場合用心深いの普通ですよね。