Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

花見、3

2016-11-24 10:47:50 | 日記

 秋の花見サイクリングは高校2年ぐらいまで続きました。

後半の2年ぐらいは2ヶ所となり、自然恥ずかしいのでちー君宅は外していました。

ちー君宅については、他にもお花が減って来た事も理由にありますが、Jさんとの兼ね合いもありました。

お友達の好きな人、万人にカッコいいと評される人です。

私だってその内に心動かされない訳がありません。

クラスが同じに為らなかった事で、顔もよく分からない、よく知らない人として過ぎて良かったかもしれません。

 但し、噂ではよく聞いたものです。特にJさんから高校入試の頃。

他にも、大学入試の頃に、他校だというのに私達の高校でも話題になっていて聞いたのですから、

相当優秀だった人です。本当に、私にすれば襷に長い人でしたね。

また、就職の頃にも聞きました。これは誰から聞いたか覚えがありません。

もうその頃はJさんとの交友関係も無くなっていました。

 彼女と懐かしく再開したのは結婚後、というより離婚後でした。

お互いの子供が同じ少年クラブに入り、付き添いの親の顔を見てそうと知り、

名札で彼女の婚家の姓を知ったくらいですから、お互いに長く疎遠になっていた物です。成人式以来でした。

ほぼ20年ぶりです。彼女は全然変わらないので直ぐに分かりました。

 いえ、1度ファーストフード店で会いましたね。ご主人の出店だという事でした。

私はその頃未だ主婦でしたから、共に主婦同士、私の方は丁度車に子供達が居ましたから彼女に紹介しました。

10年ぶりくらいだった頃ですね。

 同じ地域、同級生と言っても、偶然に出会うという事はなかなか無いものです。

私の目が悪いせいかもしれません。人が多いせいかもしれません。

話をすると、どこそこの誰と話が通じたりする事が多いので、世間は狭いと思うのですが、

会うとなると本当に知った人を見かけない物です。

 さて、本題の花見に戻ります。

秋の花見は草木の違いでしょう、短命に終わりました。

やはり木は強いです、幼い頃から今まで続いているのですから。

 私はその内家にも買って、庭にも植えてしまうという事になりました。

2本セットだったので1本は妹にやり、1本だけ庭に残して植えてありましたが、

翌年私は移転し、家も改築され、庭の樹木は一掃されて無くなってしまいました。

 ここで普通懲りるのでしょうが、私は5年ほどしてまた同じ桜の苗を買って来ました。

名前から調べると八重桜でした。今回は鉢植えにしました。

家に居ながらに花見が出来るので、夜桜も便利に鑑賞できました。

春の朧月夜に風流だなと眺めたり写真に撮ったり、しかし、夜の花はなかなか撮り辛いものです。

何とか朧月夜との風流さを伝えたいと思っても、私の未熟な腕では無理というものでした。

 家の桜は、籠っていた最晩年の父にも窓辺から花見が出来て、植えてよかったかなと思ったものです。

 

 


花見、2

2016-11-23 20:20:50 | 日記

 『過ぎたるは及ばざるがごとし』

です。

抜いて持って来てしまった物は仕様が無いと、確かに秋桜は移植を嫌う花な為、

また元に戻しても枯れてしまうだけなので、これ以上どう仕様も無いのでした。

それで、おばさんからは仕様が無いからいいわ、もうしないでねと釘を刺されて、

それ以上はきつく言われる事も無く、私は無事放免されて帰って来ました。

 その後どうしたか覚えが無いのですが、やはり人の物という事で、

植え替え出来ないと聞きながら、庭から掘り返し、また持って行って植えて来たかもしれません。

私って困った物ですね。

 私に限らず、秋桜は万人に愛される花らしく、皆私のように持って行ったり、摘んで行ったりと、

花泥棒の後が絶えなかったようです。

植えている人にとっては非常に腹立たしい結果になったようです。

翌翌年にはかなり数が減り、土地も荒れて土がむき出しの所もあるようになりました。

もちろん私はその後一切摘んだり抜いたりしていません。懲りましたからね。

それに秋桜は雑草では無いと朧気ながら分かりました。

 実は、空き地に生えた花が綺麗なので、

おばさんも秋桜は好きな花だと言っておられたし、花を惜しがって独り占めにしたくてそう言っておられるのかな、

と思ったりもしていたのです。

こんな点でもまだまだ子供だった訳です。

幾つの頃の話かというと、中1か中2だと思います。

 もしかすると、秋桜は野山の草花として図鑑に載っていたのかもしれません。

それで私は雑草だと思い込んでいたのかもしれません。(何処の図鑑でしょうね。

何にしても、植えた人にとってはとても迷惑な話なのでした。

どうも申し訳ありませんでした。

 過去をほじくり返しても仕様が無いし、褒められた話では無いので書くの止めようかと思います。

ただ、これが、この広い土地と綺麗な秋桜畑のあるお家が

Fさんに紹介された人の家だったのは偶然かもしれません。

 「こ―君もいいけど、ちー君もいいよ、頭がいいし、すごくモテるから。お家もいいし。」

こっちにするといいよ、

家を教えてあげると自転車で連れて行かれ、置き去りにされたのでした。  

その後、何気なく秋に行くと、綺麗な秋桜の咲き揃う野の向こうにその家がありました。

私は一遍でその秋桜畑に魅了されて花が見頃な時期にせっせと通いました。

 今から思うと、家の手前のアプローチに秋桜が綺麗に咲き揃っていたというべきですね。

そこは垣根が無い素通しの、とても広い所有地を持つお金持ちの坊ちゃんの住むお家だった訳です。

この話、とても恥ずかしい話ですよね、やっぱりこの辺で止めますね。

 ちー君とはクラスが一緒になりませんでしたから、Jさんから話を聞くだけに留まりました。

Jさんから話を聞いてみると、以前クラスが一緒だったという事でした。

やはりかっこいい人だそうで、Jさんも好きだという事でした。偶然って時にはあるのかもしれません。

ちー君もJさんも、私は共にFさんから紹介されたのですから。

 それではと、私はFさんよろしくJさんにちー君のお家を教えてあげるのでした。

これは覚えています。中3の時です。もちろん、秋桜に手出しをしてはいけないと念入りに注意しておきました。

 

 

 

 

 


花見

2016-11-23 12:24:50 | 日記

 花見と言えば春の桜なのですが、

思春期の頃、秋桜が好きだった私は、この季節に花見の為街をサイクリングして回ったものです。

多い時は花見の場所が3ヶ所ありました。

友達に紹介された場所1ヶ所、偶然見つけた場所2ヶ所です。

 それぞれにある程度の距離があったので約1時間くらいのコースでした。

1つの場所である程度鑑賞し、自転車を降りて心行くまで眺める事もあれば、

自転車に足を掛けたままで全景を眺めて一休み、程無く次の場所に出かけるという時もありました。

その時の事情や、時間帯で、臨機応変にサイクリングの行程は変わるのでした。

当時の私にはとても楽しみで待ち遠しい季節でした。

 しかし、この楽しいサイクリングは3年程で無くなってしまいました。

花見の花が無くなってしまったからです。

無くなったのは無くなったのですが、無くなったというよりも荒らされてしまった、

荒らされたので持ち主の人が怒って整地してしまったというように、

秋桜の咲き揃う空き地は変化してしまったのでした。

 大体、綺麗に咲き揃っているのは人が植えたからでした。

秋桜の好きな人が花の種をまいて育てていたからなんです。

広い空き地一面に秋桜が咲き揃う、そんな場所はなかなか無い物です。

だから私はその秋桜の群生を見た時には非常に美しいと魅了されたのでした。

 人が植えて育てているとは思わず、てっきり雑草とばかり思っていました。

こんな点まだ子供ですね。本とにそうでした。

持ち主の人に言われて初めて気が付いたのでした。

 「あなたこの前ここの秋桜を抜いてもっていかなかった?」

と言われたので、はい、秋桜大好きなんで、家に植えて置けば来年芽を出すかと思って、

と、答えました。

そうするとそこのおばさんは、半ば呆れたように、

ここの秋桜は私が植えて育てているのだという事、

ここは自分達の土地であなたが勝手に入って来ているのだという事、

大体、この花は雑草ではなくて、植えたから咲いているのだし、抜いて持って行っても移植できない花らしいという事、

を、教えていただきました。

 これを聞いて、私はとてもバツが悪かったものです。

どうもすみません。と、すぐに謝りました。

「本当にどうももすみません。」

知らない事とはいえ、何時の間にか花泥棒になってしまっていたのです。

叱られてもしょうがない、次に何を言われるだろうかとおばさんの前で畏まってしまいました。

 

 

 

 

 


近年いろいろありますね

2016-11-23 12:11:03 | 日記

 ヒート何とかというインナーがあちらこちらで出ていますね。

何年か前から利用して重宝しています。確かに暖かいです。

寒い冬に着るとほんとに暖かく嬉しいです。

ただ、純粋に綿や羊毛100パーセントではない物もあるので、

皮膚が痒くなる事が確かにあります。

就寝時は自然素材のインナーに、外出時は暖かいインナーをと場合に合わせて着合わせています。


クリスマスケーキ

2016-11-22 17:47:56 | 日記

 これは以前に作ったクリスマスケーキ。

父がまだ生前の頃なので、5年くらい前の写真かなと思います。

早いものですね。11月は年賀遠慮の通知が届く時期なので、自然父の時の事を思い出してしまいます。

 今日も今日とて、年内に喪中があったお宅の内、気付かなくてご挨拶していない所へご仏前を送ってきました。

他にも気付か無い方がおられるかもしれません。ごめんなさい。言ってくださいね。

 さて、クリスマスケーキの話に戻ります。

クリスマスに限らず、手作りのケーキを作るようになったのは小学校の頃です。

かなり以前にも書きましたが、最初に作ったのは小学校の友人から手作りケーキが作れるという事を聞いて、

自分でもしてみようとテレビなど、料理本なども加えてせっせと取り組んだ時でした。

作り方は友人の実演で一応知識がありました。詳しくはやはり本です。

コツや工夫はテレビで学びました。

 独身時代にプレーンなタイプやチョコレートのタイプを作り、上からチョコ掛けしたり、

フィリングにジャムや果物、クリームといろいろ替えてみたりして、それなりに満足のいく形式が出来ました。

 結婚して、子供が出来て、散歩がてらケーキ屋さんでケーキを買っていました。

「今日は誰の誕生日ですか?」

と聞かれて、何でもない日にまでケーキを買っている人は少ないと悟り、行きづらくなってしまいました。

 この事も以前書いた気がします。

それで、自家製のケーキをまた作るようになり、

少しずつ形が変わり、ケーキ型も変わり、シュークリームやチーズケーキなども加わって、

おせちにケーキとプリンを作っておいたこともあります。

 写真のケーキは市販のお菓子、グミなどものっかっています。

子供の小さい頃に出てきたグミ、グミ発売もかなり経って、お菓子材料も多種類で回るようになり、

何でものっけて面白く作っていた頃です。

 父はチーズケーキが好きでしたが、若い頃はチョコレートケーキがお気に入りでした。

フィリングは杏子ジャム。チョココーティングした時もあります。

とてもうまくチョコレートケーキが出来た時には

「本当は何処のお菓子屋さんで買ってきたんだ。」

お菓子屋さんで買ってきたケーキだろ?と、冗談のように言ったものです。

いや、ほんとに、お菓子屋さんで買ってきたケーキだろう。と、

3回くらい言っていましたから、しつこい冗談でした。これも書いたかもしれませんね。