玄林山 龍腹寺(げんりんさん りゅうふくじ)。
場所:千葉県印西市竜腹寺626。北総鉄道北総線「印旛日本医大前」駅西側から県道65号線(佐倉印西線)を北西に約2km。駐車場有り。
寺伝によれば、空海(弘法大師)の上奏を受けた平城天皇の勅願により、大同2年(807年)、空海の弟子である慈観上人を開山として創建された。当初は「慈霊山 延命院 勝光寺」と称したが、旱魃の折、釈命上人の降雨の祈祷に応じて雨を降らせた小龍が龍王の怒りを受けて身を3つに引き裂かれ、その胴(腹)が落ちてきたところであるとされ、以来「天竜山 龍腹寺」と称するようになったという。「龍角寺」に伝わる伝説(前項2012年6月30日記事参照)につながるものだが、当寺では延喜17年(917年)のできごとであるとする。伝承には多少の異動があり、釈命上人が天平年間(729~748年)に創建したともいい、元は「龍福寺」であったのを「龍腹寺」に改めたともいう。元は七堂伽藍を備え、寺中に25坊、管下の寺院は70ヶ寺を数える巨刹であったといわれ、保安3年(1122年)に国司千葉常重が講堂を再建した縁で、以来千葉氏が大旦那となって庇護したが、その後は寺勢も次第に衰えた。時代は大幅に下るが、第二次大戦後、戦災を受けた東京・深川不動堂再建に当たり、当寺の地蔵堂が移設され(売り渡され)てしまったという。
現在は天台宗の寺院で、本尊は薬師如来という。空海を開基とするなら真言宗であるはずであるが、いつ天台宗に改宗したのか不明。また、「玄林山」という山号もいつそうなったのかわからない。ただ、境内の梵鐘(写真4)は南北朝時代のものとされ、そこには「玄林山 龍腹寺」と記されているので、その頃には既に現在の山号寺号になっていたことがわかる。
あくまでも私見だが、「慈霊山 延命院 勝光寺」という名は如何にも地蔵菩薩に因んだもののように思われ、そうすると伝承で言うほどには古くはない気もする(地蔵菩薩は釈迦入滅後から弥勒菩薩出現までの間に衆生を救う役割を持つため、末法思想が流行した中世以降ではないかと思われる。)。ただし、当寺の北西約4kmのところに「木下別所廃寺跡」という古代寺院遺跡があることを考えると、そうした古代寺院の遺風を伝えるものかもしれない。
写真1:「龍腹寺」本堂入口。当寺は現在無住らしく、手前にある門は施錠されている。
写真2:仁王門。元は、左が慈覚大師(円仁:天台宗第3世座主)、右が丹慶(?)の作で、一夜にして建立されたので乳がなく、「無乳仁王尊」と呼ばれ、乳に関する祈願を叶えたという。
写真3:延命地蔵堂
写真4:梵鐘。南北朝時代のものと推定され、県指定有形文化財。
写真5:境内の日枝神社
場所:千葉県印西市竜腹寺626。北総鉄道北総線「印旛日本医大前」駅西側から県道65号線(佐倉印西線)を北西に約2km。駐車場有り。
寺伝によれば、空海(弘法大師)の上奏を受けた平城天皇の勅願により、大同2年(807年)、空海の弟子である慈観上人を開山として創建された。当初は「慈霊山 延命院 勝光寺」と称したが、旱魃の折、釈命上人の降雨の祈祷に応じて雨を降らせた小龍が龍王の怒りを受けて身を3つに引き裂かれ、その胴(腹)が落ちてきたところであるとされ、以来「天竜山 龍腹寺」と称するようになったという。「龍角寺」に伝わる伝説(前項2012年6月30日記事参照)につながるものだが、当寺では延喜17年(917年)のできごとであるとする。伝承には多少の異動があり、釈命上人が天平年間(729~748年)に創建したともいい、元は「龍福寺」であったのを「龍腹寺」に改めたともいう。元は七堂伽藍を備え、寺中に25坊、管下の寺院は70ヶ寺を数える巨刹であったといわれ、保安3年(1122年)に国司千葉常重が講堂を再建した縁で、以来千葉氏が大旦那となって庇護したが、その後は寺勢も次第に衰えた。時代は大幅に下るが、第二次大戦後、戦災を受けた東京・深川不動堂再建に当たり、当寺の地蔵堂が移設され(売り渡され)てしまったという。
現在は天台宗の寺院で、本尊は薬師如来という。空海を開基とするなら真言宗であるはずであるが、いつ天台宗に改宗したのか不明。また、「玄林山」という山号もいつそうなったのかわからない。ただ、境内の梵鐘(写真4)は南北朝時代のものとされ、そこには「玄林山 龍腹寺」と記されているので、その頃には既に現在の山号寺号になっていたことがわかる。
あくまでも私見だが、「慈霊山 延命院 勝光寺」という名は如何にも地蔵菩薩に因んだもののように思われ、そうすると伝承で言うほどには古くはない気もする(地蔵菩薩は釈迦入滅後から弥勒菩薩出現までの間に衆生を救う役割を持つため、末法思想が流行した中世以降ではないかと思われる。)。ただし、当寺の北西約4kmのところに「木下別所廃寺跡」という古代寺院遺跡があることを考えると、そうした古代寺院の遺風を伝えるものかもしれない。
写真1:「龍腹寺」本堂入口。当寺は現在無住らしく、手前にある門は施錠されている。
写真2:仁王門。元は、左が慈覚大師(円仁:天台宗第3世座主)、右が丹慶(?)の作で、一夜にして建立されたので乳がなく、「無乳仁王尊」と呼ばれ、乳に関する祈願を叶えたという。
写真3:延命地蔵堂
写真4:梵鐘。南北朝時代のものと推定され、県指定有形文化財。
写真5:境内の日枝神社