神が宿るところ

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大國玉神社(茨城県桜川市)(常陸国式内社・その11)

2018-11-10 23:01:09 | 神社
大國玉神社(おおくにたまじんじゃ)。
場所:茨城県桜川市大国玉1。茨城県道148号線(東山田岩瀬線)から「大国小学校」の北側の狭い道路に入り(火見櫓?があるところから西へ)、約200m。駐車場有り。
社伝では養老年間(717~724年)の創建とするが、一説に天長年間(824~834年)ともいう。六国史においては、「続日本後紀」の承和4年(837年)の記事に、「新治郡佐志能神」とともに「眞壁郡大國玉神」が「特に霊験があった」として官社に預かる、とある。また、同じく承和12年(846年)の記事では常陸国の无位(無位)「大國玉神」に従五位下の神階が授けられている。その後、「日本三代実録」貞観3年(861年)に「常陸国従五位下主玉神」が従五位上に昇叙の記事があり、これも当神社のこととする説がある。ただし、現・茨城県桜川市の式内社「鴨大神御子神主玉神社」(2018年8月25日記事)のことなどとする説もあり、確実ではない。とはいえ、「延喜式神名帳」に真壁郡鎮座の小社として登載された「大國玉神社」に比定される「式内社」となっている。
現在の主祭神は「大国主命」で、「武甕槌命」と「別雷命」を配祀する。近世までは「鹿島大明神」とも呼ばれており、東に「男体宮」、西に「女体宮」があったとされるが、明治期に入り「男体宮」のみとなったという。「大国玉」といえば、武蔵国総社「大國魂神社」が想起されるが、要するに国土開発の神を祀った、ということだろう。そこで、祭神は「大国主命」ということになるのだが、常陸国においては「武甕槌命」が国土開発の神というイメージがあり、「鹿島大明神」と呼ばれたらしい。因みに、当神社は「新治郡衙跡」(2018年8月4日記事)の南東約3km(直線距離)のところにあって、近い(なお、古代「真壁郡」は7世紀後半頃に「新治郡」から分離・独立したとされる。)。「常陸国府跡」へは南東約23km(同)離れている。上記の式内社「佐志能神社」は、論社が4つあるがいずれも「豊城入彦命」を主祭神としている(2018年9月15日記事ほか)。「豊城入彦命」は東国平定の功労者として上野国二宮「赤城神社」や下野国一宮「宇都宮二荒山神社」などでも主祭神として祀られており、「新治廃寺跡」(2018年8月11日記事)などをみると、下野国(現・栃木県)方面との結びつきが深い。とすれば、少なくとも現・茨城県西部は、西から国土開発が進んできたのだろうと思われる。


茨城県神社庁のHPから(大國玉神社)


写真1:「大國玉神社」鳥居と社号標「式内 □(郷?)社 大國玉神社」


写真2:境内。広くはないが、清浄な感じが好ましい。


写真3:拝殿


写真4:境内の社号石碑


写真5:本殿
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