笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)。別名:胡桃下稲荷、紋三郎稲荷。
場所:茨城県笠間市笠間39。国道355号線「荒町角」交差点から東に約240m。駐車場は、「荒町角」交差点から東へ150mの「高橋町」交差点を左折(北へ)して直ぐのところから境内に入る(無料)。
社伝によれば、白雉2年(651年)の胡桃(クルミ)の大樹の下に創建されたという。しかし、どの「稲荷神社」から勧請されたかは不明。「常陸国風土記」に「笠間」という村のあることが記されているが、「稲荷神社」のことは触れられていない。現在の祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマ)で、「日本三大稲荷」の1つとされ、茨城県内では初詣客が最も多いことで知られる。「日本三大〇〇」の大方の例に漏れず、全国約3万社の「稲荷神社」の総本宮とされる山城国式内社(名神大)「伏見稲荷大社」(現・京都市伏見区)は決まりとして、ほかの2つは諸説あるが、神道系では当神社と「祐徳稲荷神社」(現・佐賀県鹿島市)が有力。なお、「豊川稲荷」(曹洞宗「円福山 豊川閣 妙厳寺」、現・愛知県豊川市)、「最上稲荷」(日蓮宗「最上稲荷山 妙教寺」、現・岡山県岡山市)は仏教系である。
社伝の創建時期は古いが、その後、近世までの沿革は不明。江戸時代になると、「稲荷神社」は本来の農業の神だけではなく、殖産興業の神として商家や武家まで信仰を集めるようになり、江戸名物として「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」という言葉があるくらい、江戸の町には「稲荷神社」が多かった。今でも大企業のビルの屋上とかにも祀られているのを見かける。当神社については、まず歴代の笠間藩主が篤く信仰した。笠間から転封になった大名も新たな領地で分霊を祀るなどして、「笠間稲荷神社」の名を広めた。こうして、少なくとも関東地方では、「稲荷神社」といえば、まず当神社の名が挙がるようになったのだろうと思われる(東京では「王子稲荷神社」(現・東京都北区)の方が有名だろうか?)。
笠間稲荷神社のHP
茨城県神社庁のHPから(笠間稲荷神社)
写真1:「笠間稲荷神社」境内入口の大鳥居。東日本大震災により花崗岩製の鳥居が損壊したため、2016年に建立されたもの。鉄骨造で高さ約10m。
写真2:東門。文化13年(1816年)再建。
写真3:楼門(「萬世泰平門」)
写真4:万葉歌碑。表面に「春へ咲く 藤の葉末の うら安に さ寝る夜そなき 児ろをし思へば」(「万葉集」第14巻3504)、裏面には「父母が 殿の後方の ももよ草 百代いでませ 我が来るまで」(同第20巻4326)の歌が刻されている。境内の「大藤」(樹齢約400年)と「笠間の菊まつり」に因んだものという(「ももよ草」は野路菊(ノジギク)のことだとされる。)。
写真5:拝殿
写真6:本殿。江戸末期のもので、国の重要文化財。彫刻がすごい。
場所:茨城県笠間市笠間39。国道355号線「荒町角」交差点から東に約240m。駐車場は、「荒町角」交差点から東へ150mの「高橋町」交差点を左折(北へ)して直ぐのところから境内に入る(無料)。
社伝によれば、白雉2年(651年)の胡桃(クルミ)の大樹の下に創建されたという。しかし、どの「稲荷神社」から勧請されたかは不明。「常陸国風土記」に「笠間」という村のあることが記されているが、「稲荷神社」のことは触れられていない。現在の祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマ)で、「日本三大稲荷」の1つとされ、茨城県内では初詣客が最も多いことで知られる。「日本三大〇〇」の大方の例に漏れず、全国約3万社の「稲荷神社」の総本宮とされる山城国式内社(名神大)「伏見稲荷大社」(現・京都市伏見区)は決まりとして、ほかの2つは諸説あるが、神道系では当神社と「祐徳稲荷神社」(現・佐賀県鹿島市)が有力。なお、「豊川稲荷」(曹洞宗「円福山 豊川閣 妙厳寺」、現・愛知県豊川市)、「最上稲荷」(日蓮宗「最上稲荷山 妙教寺」、現・岡山県岡山市)は仏教系である。
社伝の創建時期は古いが、その後、近世までの沿革は不明。江戸時代になると、「稲荷神社」は本来の農業の神だけではなく、殖産興業の神として商家や武家まで信仰を集めるようになり、江戸名物として「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」という言葉があるくらい、江戸の町には「稲荷神社」が多かった。今でも大企業のビルの屋上とかにも祀られているのを見かける。当神社については、まず歴代の笠間藩主が篤く信仰した。笠間から転封になった大名も新たな領地で分霊を祀るなどして、「笠間稲荷神社」の名を広めた。こうして、少なくとも関東地方では、「稲荷神社」といえば、まず当神社の名が挙がるようになったのだろうと思われる(東京では「王子稲荷神社」(現・東京都北区)の方が有名だろうか?)。
笠間稲荷神社のHP
茨城県神社庁のHPから(笠間稲荷神社)
写真1:「笠間稲荷神社」境内入口の大鳥居。東日本大震災により花崗岩製の鳥居が損壊したため、2016年に建立されたもの。鉄骨造で高さ約10m。
写真2:東門。文化13年(1816年)再建。
写真3:楼門(「萬世泰平門」)
写真4:万葉歌碑。表面に「春へ咲く 藤の葉末の うら安に さ寝る夜そなき 児ろをし思へば」(「万葉集」第14巻3504)、裏面には「父母が 殿の後方の ももよ草 百代いでませ 我が来るまで」(同第20巻4326)の歌が刻されている。境内の「大藤」(樹齢約400年)と「笠間の菊まつり」に因んだものという(「ももよ草」は野路菊(ノジギク)のことだとされる。)。
写真5:拝殿
写真6:本殿。江戸末期のもので、国の重要文化財。彫刻がすごい。