賀毘礼之高峯(かびれのたかみね)。現・御岩山(おいわさん)。
場所:茨城県日立市入四間町。「御岩神社」(前項)社殿から山頂(標高492m)まで徒歩30~40分。「御岩神社」から先は基本的に登山道であり、少なくともスニーカーなど歩きやすい靴で登ることを勧める。駐車場は「御岩神社」駐車場を利用。
「常陸国風土記」によれば、立速日男命(タチハヤヒオ)、別名・速経和気命(ハヤフワケ)という神が松の樹の上に天下ったが、村人がその松の樹に向かって糞尿をすると、病気にするなどして祟った。そこで、朝廷から使いが派遣され、清浄な「賀毘礼之高峯」という大きな山に移っていただくことになった、という。立速日男命は「常陸国風土記」にしか登場しない神で正体不明であるが、「新修日立市史 上巻」(平成8年)では、火の神・軻遇突智(カグツチ)から生まれたとされる甕速日神(ミカハヤヒ)・樋速日神(ヒハヤヒ)に関連があるとみて、火の神、あるいは稲妻の神と推定している。そして、稲妻の神であれば、雨の神=農耕の神という連想もあって、春になると農耕の神は村里に下り、冬になると山に帰るというのがパターンなので、上記の「常陸国風土記」の話もこれを踏襲したものではないかと考えているようだ。
さて、この立速日男命を祀るのが常陸国式内社「薩都神社」(2019年9月28日記事)なのだが、いったん「御岩山」に祀られたが、山が急峻で参拝が大変、ということで、平地の現在地(茨城県常陸太田市里野宮町)に遷座した。そういうことから、「御岩山」中腹に奥宮「薩都神社中宮」がある。なお、これとは別に元社地という「薩都神社奥宮」の石祠もあるらしいが、そこへの道は廃絶しているため、一般人の参拝は困難のようだ(「御岩神社」の境内案内図にも載っていない。)。
因みに、かつては「賀毘礼之高峯」が現・「御岩山」か、現・「神峰山(かみねさん)」(茨城県日立市宮田町、標高598m)か、で説が分かれていたらしい。確かに、「かびれ」と「かみね」は何となく似ているし、「神の峰」の方がそれっぽい。しかし、「新修日立市史 上巻」では、「神が天降る」で「かむふる」、又は落雷を意味する「雷震」で「かんぶる」から転じたものだろうとしている。そして、大正6年頃から「御岩山」山頂付近の発掘調査が行われ、石鏃・石斧や土器が出土したほか、甕型土器数個が一直線に並べられた形で発見されたりして、古代から祭祀が行われていたことが明らかになった。そうしたこともあり、今では「賀毘礼之高峯」が「御岩山」であることが定説になっているようだ。
茨城県のHPから(賀毘礼の高峰)
写真1:「薩都神社中宮」鳥居。「御岩神社」奥宮である「賀毘礼神宮」への裏参道の途中にある。
写真2:同上、社殿
写真3:山頂に近づくと、こんなところも。
写真4:山頂近くの石祠(「御岩神社」の奥宮?)
写真5:山頂の尖った岩。これも磐座っぽい。
写真6:山頂付近からの眺め
写真7:「御岩山頂上 賀毘礼之高峯」。これが磐座だろうか。
場所:茨城県日立市入四間町。「御岩神社」(前項)社殿から山頂(標高492m)まで徒歩30~40分。「御岩神社」から先は基本的に登山道であり、少なくともスニーカーなど歩きやすい靴で登ることを勧める。駐車場は「御岩神社」駐車場を利用。
「常陸国風土記」によれば、立速日男命(タチハヤヒオ)、別名・速経和気命(ハヤフワケ)という神が松の樹の上に天下ったが、村人がその松の樹に向かって糞尿をすると、病気にするなどして祟った。そこで、朝廷から使いが派遣され、清浄な「賀毘礼之高峯」という大きな山に移っていただくことになった、という。立速日男命は「常陸国風土記」にしか登場しない神で正体不明であるが、「新修日立市史 上巻」(平成8年)では、火の神・軻遇突智(カグツチ)から生まれたとされる甕速日神(ミカハヤヒ)・樋速日神(ヒハヤヒ)に関連があるとみて、火の神、あるいは稲妻の神と推定している。そして、稲妻の神であれば、雨の神=農耕の神という連想もあって、春になると農耕の神は村里に下り、冬になると山に帰るというのがパターンなので、上記の「常陸国風土記」の話もこれを踏襲したものではないかと考えているようだ。
さて、この立速日男命を祀るのが常陸国式内社「薩都神社」(2019年9月28日記事)なのだが、いったん「御岩山」に祀られたが、山が急峻で参拝が大変、ということで、平地の現在地(茨城県常陸太田市里野宮町)に遷座した。そういうことから、「御岩山」中腹に奥宮「薩都神社中宮」がある。なお、これとは別に元社地という「薩都神社奥宮」の石祠もあるらしいが、そこへの道は廃絶しているため、一般人の参拝は困難のようだ(「御岩神社」の境内案内図にも載っていない。)。
因みに、かつては「賀毘礼之高峯」が現・「御岩山」か、現・「神峰山(かみねさん)」(茨城県日立市宮田町、標高598m)か、で説が分かれていたらしい。確かに、「かびれ」と「かみね」は何となく似ているし、「神の峰」の方がそれっぽい。しかし、「新修日立市史 上巻」では、「神が天降る」で「かむふる」、又は落雷を意味する「雷震」で「かんぶる」から転じたものだろうとしている。そして、大正6年頃から「御岩山」山頂付近の発掘調査が行われ、石鏃・石斧や土器が出土したほか、甕型土器数個が一直線に並べられた形で発見されたりして、古代から祭祀が行われていたことが明らかになった。そうしたこともあり、今では「賀毘礼之高峯」が「御岩山」であることが定説になっているようだ。
茨城県のHPから(賀毘礼の高峰)
写真1:「薩都神社中宮」鳥居。「御岩神社」奥宮である「賀毘礼神宮」への裏参道の途中にある。
写真2:同上、社殿
写真3:山頂に近づくと、こんなところも。
写真4:山頂近くの石祠(「御岩神社」の奥宮?)
写真5:山頂の尖った岩。これも磐座っぽい。
写真6:山頂付近からの眺め
写真7:「御岩山頂上 賀毘礼之高峯」。これが磐座だろうか。