神が宿るところ

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花沢の里

2011-04-19 23:18:33 | 史跡・文化財
花沢の里(はなざわのさと)。
場所:静岡県焼津市花沢。国道150号線「野秋」交差点(案内板あり)から北に約600mのところに駐車場がある。そこから「花沢の里」中心部までは、まだかなり歩かないといけないのだが、殆ど駐車スペースはない。人気のハイキングコースなので、駐車場も一杯のことが多い。
駐車場から歩いてくると、南から北へ向かう道路に突き当たる。南は石脇方面で、北が「花沢の里」~「日本坂峠」方面となる。日本坂峠へは花沢川沿いの狭い道路で、古代東海道が日本坂峠越えをしていたなら、少なくとも「法華寺」までは、この道しか無かっただろう。今はハイキング客が多く(殆どが中高年)、地元では観光地化を進めているようだが、土産物店らしい店は殆ど無い。なお、道路沿いの家が長屋門形式なのは、明治以降、現金収入源としてミカン栽培が奨励されて、ミカンの保存・出荷に便利な構造としたためという。
道の途中に、「焼津」の地名を詠み込んだ万葉歌碑がある(写真4)。この歌のことは「安倍の市」の項(2010年12月7日記事)で書いたが、この歌を詠んだ春日蔵首老は国司として赴任した常陸国からの帰路のことを詠んだので、この道を通っただろう、ということで、この石碑が建てられたものである。つまり、役人の公用の旅行は官道、すなわち古代東海道によることになっていたからである。ただし、後で書くことになるが、古代東海道は、どうやら駿河国府は素通りしていたようなので、春日蔵首老が「安倍の市」を通ってきたのかには疑問もある。「安倍の市道」というのは、「安倍の市」の中の道ではなくて、「安倍の市」に向かう道ではなかったか、というのである(つまり、「宇津ノ谷峠」越えの道のことである。)。
それはさておき、不思議なのは、「焼津」という地名は、日本書紀にも日本武尊と関連付けた由緒譚が語られているにも関わらず、記録上は、この歌と式内社「焼津神社」くらいにしか出てこないことである。その代わりに「益頭(ましづ)」というのが一般的だった。これは、「焼く」というのがあまり縁起が良くないと思われたらしく、好字に変えるとき、焼津→益頭(ヤクヅ。御利益(ごりやく)のヤク)として、これがマシヅになったといわれている。


写真1:「花沢の里」~「日本坂峠」への登り口


写真2:道の途中にある「オシャモッツァン」。山肌に大岩が露出しているだけだが、歯痛などに御利益があるらしい。


写真3:「花沢の里」の懐かしいような風景


写真4:「焼津辺」の万葉歌碑
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