神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

猿田神社

2012-05-19 23:00:18 | 神社
猿田神社(さるだじんじゃ)。
場所:千葉県銚子市猿田町1677。JR総武本線「猿田」駅の西、約300m。駐車場有り。
社伝等によれば、垂仁天皇25年(前4年)に霊光神託があって創始、大同2年(807年)に社殿が造営されたという。猿田彦大神を主祭神とするが、元々道案内の神であり、中世には庚申信仰とも結びつき、厄除け・開運の御利益ありとして、源頼朝、関東管領足利氏、千葉氏、徳川氏など関東の武家の信仰を集めたという。
さて、江戸時代までは、香取・海上・匝瑳の3郡の境界付近に「椿海(つばきのうみ)」という巨大な湖があった。伝えられるところでは、東西3里南北1里半(約51平方km)の広さであったという。元々は内海であったのが、犬吠崎方面から延びてきた砂州で出口が塞がれてできたものとされている。しかし、この「椿海」の形成には、つぎのような伝説(昔話)がある。
昔々、香取・海上・匝瑳郡の境界に樹齢80万80年という巨大な椿の大木があった。元々は猿田彦命が国分けの際に、境界の目印に植えたものだったが、ぐんぐんと枝を延ばし、繁った葉は3郡の空を覆い、紅い花が咲くと、空が燃えるように真っ赤になった。ところが、いつしか、この椿の巨樹に悪い鬼が棲むようになった。そこで、猿田彦命は、「香取神宮」の経津主命と力を合わせて鬼退治に乗り出した。鬼も巨樹を揺らして抵抗したが、2神には勝てず、東の海に逃げ出した。このとき、椿の巨樹は根ごと倒れ、根元に大きな穴が開いた。この穴に水が溜まったのが「椿海」である。また、倒れた梢側を上総国、根元側を下総国と呼ぶようになったという。
式内社「老尾神社」は、かつての「椿海」を見下ろす高台にある。「椿海」の鬼退治伝説は、経津主命を奉じる一族が、反抗する勢力を鎮圧していったことを示し、その守護神として「老尾神社」や当神社を祀ったとも考えられるのではなかろうか。
なお、江戸時代初期、「椿海」は干拓され、「干潟八万石」と呼ばれる米どころとなった。現在でも、現・匝瑳市に椿という地名があり、椿海小学校という名も残っている(ただし、「椿海(ちんかい)」というのは、旧・椿村と旧・春海村の合併地名である。)ほか、現・旭市にはJR総武本線「干潟」駅(旧・干潟町に由来。)がある。


「神社探訪」さんのHPから(猿田神社)

匝瑳市のHPから(椿海)


写真1:「猿田神社」参道入口の大きな石の鳥居


写真2:二の鳥居。社殿はこの石段の上だが・・・


写真3:石段の下をJR総武本線が通っている。


写真4:社殿


写真5:社殿の裏手にある「猿田彦大神御降臨之地」。一段高くなったところに玉垣を巡らし、中に土盛りをして、その前に石祠が置かれている。また、その傍らに石碑が建てられている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 老尾神社(下総国式内社・そ... | トップ | 鏑木古墳群 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神社」カテゴリの最新記事