遅かったねと少年は言いました。1度も見たことも会ったこともない少年でした。約束なんてした覚えはないと私は言いました。少年は胸に大事そうにボールを抱えていました。
「待っていました」
「誰を?」
「約束なんてしていなかったから、僕はずっと待っていました。約束なんてしていなかったけれど、あなたはやってきました」
ボールを土の上に下ろすと私に向かって右足を振りました。私は右足で受けて、少年に向けて蹴り返しました。少年は右足で受けて、右足を真っ直ぐ振りました。ボールは真っ直ぐ私に向かって、ちょうどよいスピードで飛んできました。私はそれを右足で受けて、今度も右足で蹴り返しました。理由のないパス交換が始まりました。今度は少年は左足を振りました。ボールは右足で蹴った時と同じような正確さで、私の方に飛んできました。今度は左足で受けましたが、ボールを少し弾いてしまい、小走りになって追いつくと右足でボールを蹴り返しました。ボールは大きく逸れて、少年は闇の中に消えていきました。
突如、雲の切れ目から月が顔を出しました。休みなく体を動かしていたので、少し息が切れるのを感じました。月夜の中に、しばらく私は立っていました。冷たい12月の風が首から胸元にかけて入り込んできました。木々を揺らし、土を乱し、落ち葉を躍らせる風は、やがて灰色の雲をかき集めて、月を引っ張り込んでしまいました。
「待っていてくれたんだね」
闇の中から少年の声が聞こえ、輝くボールが地を這って戻ってきました。
「約束なんてしていなかったのに、待っていてくれたんだね」
少年は左足を振りました。ボールは真っ直ぐ私に向かって飛んできました。私はそれを右足で受けて右足で蹴り返しました。一度始まったパス交換には、もう深い理由は必要ありません。来たボールを返す。待っているとまた、やってくる。互いにただそれを繰り返すばかりです。
「もっと強くていい?」
少年は右足を振りました。正確にコントロールされたボールは、ちょうどよいスピードで私の方に向かって真っ直ぐ飛んできます。
「もっと強くてもいいよ」
私はそれを左足で受けて、右足で蹴り返しました。少し強めに蹴ったのですが、ボールは少年の左足に難なく納まって、少年は左足を振りました。少し速いボールが真っ直ぐ飛んできて、私はそれを右足で止めると、今度は左足で蹴り返しました。少し強めに蹴ったボールは大きく逸れて、少年は闇の中に消えてしまいました。
突如、雲が散って空の中から月が顔を出しました。ずっと動いていたせいで、冬だというのに体は汗ばみ、節々に微妙な違和感を感じました。しばらくしても少年が戻らないので、この機に乗じて逃げ帰ろうと思いました。けれども、なぜか月がすぐ傍で見張っているような気がして、その刺すような光が私の足をこの地に釘付けにするのでした。
「やっぱり、待っていてくれたんだね」
背後から声が聞こえました。それは月が雲々に捕獲されると同時でした。
少年が意気揚々と左足を振り抜くと、輝くボールが真っ直ぐ私の方に向かって飛んできました。私は右足で受け止めて右足で蹴り返しました。
「頼りなくてごめんね」
少年は左足で受け止めるとすぐには蹴り返さずに、そのままボールを左足で踏んでいました。
「僕はすぐに見失ってしまうから」
「そんなことはないよ」
少年の左足から返ってきたボールを右足で受けて、少し強く少し慎重に右足を振りました。ボールは真っ直ぐ少年の中心に向かって飛んでいきました。少年は右足で軽く受け止めて、右足を真っ直ぐ振りました。少し強めのボールが真っ直ぐ飛んできました。私は左足で受けるとボールは少し前に弾みました。一歩前に踏み出して私は左足を振りました。ボールは大きく逸れましたが、それよりも早く動き出していた少年の足先が失われるはずだったボールを巧みに絡め取りました。
「もしも僕がシュートを打ったら……」
何事もなかったように、少年はパスを返してきました。私は右足で受け止めて右足で蹴り返しました。
「どうなると思う?」
少年は右足で軽く受け止めるとすぐには蹴り返さずに右足で踏みつけました。中に含まれる空気を足の裏で味わうように触れながら言いました。
「どうなるの?」
強く正確なシュートが想像されました。幾度も繰り返されたパス交換が、シュートの弾道を導き出していたからでした。私は決してそれを受け止めることはできないと思いました。
「虹がかかるんだ」
少年からのパスを左足で受けて右足で蹴り返しました。徐々に私の蹴り返すボールは勢いを失い、少年の足元に届くまで少しずつ時間がかかるようになっていきました。その僅かに開いた時の隙間で、少年は何か空想を始めている様子でした。
「試してみる?」
衰えることのない少年からのパスが、変わらない強さと正確さを帯びて、私の中心に飛んできました。少年の表現するところの虹がどんなものか、私はその美しさに憧れながら、一刻も早くこの場から消えたいと思ったのでした。
最後の力を振り絞って、私は左足を力一杯振り抜きました。力一杯振ったのに、その速度はあまりに遅く、私は遠く離れた場所で自分の脚が描いた軌道を見送ることができました。それはゆっくりと空に向かって伸びていったのです。もうすぐ月が現れて少年を呑み込んでしまう……。既に影へと変わり始めている少年の形を見つめていると、次のような歌が浮かんできました。それはクリスマスの折句でした。
クラウチの
離陸に合わせ
凄腕が
的当てをする
ストークシティ
歌は、緩やかな放物線を描きながら月夜の風に乗って飛んでいきました。
「待っていました」
「誰を?」
「約束なんてしていなかったから、僕はずっと待っていました。約束なんてしていなかったけれど、あなたはやってきました」
ボールを土の上に下ろすと私に向かって右足を振りました。私は右足で受けて、少年に向けて蹴り返しました。少年は右足で受けて、右足を真っ直ぐ振りました。ボールは真っ直ぐ私に向かって、ちょうどよいスピードで飛んできました。私はそれを右足で受けて、今度も右足で蹴り返しました。理由のないパス交換が始まりました。今度は少年は左足を振りました。ボールは右足で蹴った時と同じような正確さで、私の方に飛んできました。今度は左足で受けましたが、ボールを少し弾いてしまい、小走りになって追いつくと右足でボールを蹴り返しました。ボールは大きく逸れて、少年は闇の中に消えていきました。
突如、雲の切れ目から月が顔を出しました。休みなく体を動かしていたので、少し息が切れるのを感じました。月夜の中に、しばらく私は立っていました。冷たい12月の風が首から胸元にかけて入り込んできました。木々を揺らし、土を乱し、落ち葉を躍らせる風は、やがて灰色の雲をかき集めて、月を引っ張り込んでしまいました。
「待っていてくれたんだね」
闇の中から少年の声が聞こえ、輝くボールが地を這って戻ってきました。
「約束なんてしていなかったのに、待っていてくれたんだね」
少年は左足を振りました。ボールは真っ直ぐ私に向かって飛んできました。私はそれを右足で受けて右足で蹴り返しました。一度始まったパス交換には、もう深い理由は必要ありません。来たボールを返す。待っているとまた、やってくる。互いにただそれを繰り返すばかりです。
「もっと強くていい?」
少年は右足を振りました。正確にコントロールされたボールは、ちょうどよいスピードで私の方に向かって真っ直ぐ飛んできます。
「もっと強くてもいいよ」
私はそれを左足で受けて、右足で蹴り返しました。少し強めに蹴ったのですが、ボールは少年の左足に難なく納まって、少年は左足を振りました。少し速いボールが真っ直ぐ飛んできて、私はそれを右足で止めると、今度は左足で蹴り返しました。少し強めに蹴ったボールは大きく逸れて、少年は闇の中に消えてしまいました。
突如、雲が散って空の中から月が顔を出しました。ずっと動いていたせいで、冬だというのに体は汗ばみ、節々に微妙な違和感を感じました。しばらくしても少年が戻らないので、この機に乗じて逃げ帰ろうと思いました。けれども、なぜか月がすぐ傍で見張っているような気がして、その刺すような光が私の足をこの地に釘付けにするのでした。
「やっぱり、待っていてくれたんだね」
背後から声が聞こえました。それは月が雲々に捕獲されると同時でした。
少年が意気揚々と左足を振り抜くと、輝くボールが真っ直ぐ私の方に向かって飛んできました。私は右足で受け止めて右足で蹴り返しました。
「頼りなくてごめんね」
少年は左足で受け止めるとすぐには蹴り返さずに、そのままボールを左足で踏んでいました。
「僕はすぐに見失ってしまうから」
「そんなことはないよ」
少年の左足から返ってきたボールを右足で受けて、少し強く少し慎重に右足を振りました。ボールは真っ直ぐ少年の中心に向かって飛んでいきました。少年は右足で軽く受け止めて、右足を真っ直ぐ振りました。少し強めのボールが真っ直ぐ飛んできました。私は左足で受けるとボールは少し前に弾みました。一歩前に踏み出して私は左足を振りました。ボールは大きく逸れましたが、それよりも早く動き出していた少年の足先が失われるはずだったボールを巧みに絡め取りました。
「もしも僕がシュートを打ったら……」
何事もなかったように、少年はパスを返してきました。私は右足で受け止めて右足で蹴り返しました。
「どうなると思う?」
少年は右足で軽く受け止めるとすぐには蹴り返さずに右足で踏みつけました。中に含まれる空気を足の裏で味わうように触れながら言いました。
「どうなるの?」
強く正確なシュートが想像されました。幾度も繰り返されたパス交換が、シュートの弾道を導き出していたからでした。私は決してそれを受け止めることはできないと思いました。
「虹がかかるんだ」
少年からのパスを左足で受けて右足で蹴り返しました。徐々に私の蹴り返すボールは勢いを失い、少年の足元に届くまで少しずつ時間がかかるようになっていきました。その僅かに開いた時の隙間で、少年は何か空想を始めている様子でした。
「試してみる?」
衰えることのない少年からのパスが、変わらない強さと正確さを帯びて、私の中心に飛んできました。少年の表現するところの虹がどんなものか、私はその美しさに憧れながら、一刻も早くこの場から消えたいと思ったのでした。
最後の力を振り絞って、私は左足を力一杯振り抜きました。力一杯振ったのに、その速度はあまりに遅く、私は遠く離れた場所で自分の脚が描いた軌道を見送ることができました。それはゆっくりと空に向かって伸びていったのです。もうすぐ月が現れて少年を呑み込んでしまう……。既に影へと変わり始めている少年の形を見つめていると、次のような歌が浮かんできました。それはクリスマスの折句でした。
クラウチの
離陸に合わせ
凄腕が
的当てをする
ストークシティ
歌は、緩やかな放物線を描きながら月夜の風に乗って飛んでいきました。