深く傷ついた時、酷く傷つけられた時、落ち込むあまりに何も手につかなくなるということがある。何をするにもすっかりモチベーションが下がってしまい、何もできない時間が続くことがある。コンビニに行ったり、洗濯をしたり、ご飯を食べたり、歌を歌ったり、noteをつけたり、何かを創作したり、そんなささやかな行動にも蓋がされて、苦しい時間を過ごさなければならない。そんな経験は普通に生きていれば誰にでもあるだろう。多くの場合、時が解決してくれる。長い時間がかかることもある。できることなら、そういう時間を短くしたい。立ち直る時間を短くしたい。強くなりたい。
「心の整理をつける」
その方法を知っておくことは大きな助けになると思う。
傷つく度に立ち向かうことは効率的ではない。
(嫌なことが続いた時、ふとそんなことを考えた)
その度に創作する時間が足踏みを強いられるのは辛くないか?
そこで自分がそうなった時のことを思い出し、またどのようにして心が整い立ち直って行くのかということを冷静に分析し、それをマニュアル化しておくことにした。困った時に立ち止まって読めばいい。これは自分のために書いたもの。(君の助けにもなるとうれしい)
1、自分の中に芽生えた負の感情を認めよう。許そう。
腹が立ったり、嫌いになったり、憎らしかったり、苛立たしかったり。そういう感情を抱く自分を弱い人間だと責めすぎることはよくない。嫌な気持ちになるには、ちゃんとそれなりの理由があるものだ。嫌いなら嫌いでいい。嫌なら嫌でいい。自分の気持ちに正直に向き合ってあげることも大切だ。
2、優しい人のこと(好きなもののこと)を思い出そう。
嫌なことをされたらその人のことを考えてしまう。
嫌な目に遭ったらその時のことばかりを考えてしまう。
視野が極端に限定されてしまう。それは向き合うための段階かもしれないが、ネガティブな場所に心が縛られるのは辛いことでもある。そこから抜け出す機会を逸すれば、心が折れてしまうこともある。そこばかりを見ていると世の中がそこにしかないような錯覚を起こしかねない。
時には意図的に視線を逆サイドに逃がしてやることも必要だ。
世界にはそんな「 」ばかりじゃないことをちゃんと思い出そう。
そんな人ばかりじゃない。そんな店ばかりじゃない。そんな日ばかりじゃない。そんな先生ばかりじゃない。そんな男ばかりじゃない。そんな狐ばかりじゃない。そんな大人ばかりじゃない。そんな天気ばかりじゃない。そんな町ばかりじゃない。そんな女ばかりじゃない。そんな魔法使いばかりじゃない。そんな言葉ばかりじゃない。そんな歌ばかりじゃない……。
(苦い経験にも、反対側にある光を際立たせてくれる、大切なものを思い出させてくれるという効用はある)
嫌な思いをそこに置いといて、好きな人のことを思い浮かべてみる。それは現実の人でなくてもいい。二次元の人、スクリーンの中の人、ミュージックビデオの中の人、思い出の中の人。人でなくてもいい。猫でもいい。好きなもののことでもいい。ラーメンでも、チョコレートでも、ギターでも、セパタクローでもいい。好きなものなら何でもいい。好きなものを思い浮かべると心はそれだけでハッピーになる。それだけで少し楽になることができる。
3、かなしい感情を言葉にして書こう。(物書き的主眼)
かなしい気持ちをありのままに言葉にする。
日記につける。詩のモデルにする、物語に変換する。
書くことによって事実を客観的に見ることができる。すると直接的な体験だったものも、自分との間に少し距離ができて、気持ちも少し軽くなることがある。自分だけの経験だったものが、普遍的な出来事の一つでもあると気づくこともできる。
嫌な体験、辛い出来事も、創作にとっての糧になり得るのだと知っておくこと。かなしみはかなしみで終わらない。その中から生きるためのエネルギーを見つけ出すこともできる。
何もできないという時に「書こう」というのは矛盾するようだが、物書きにとって「書く」とは犬が走るように自然だ。犬は走りながら元気になっていくものだ。物書きが持つnoteは、犬の前に広がる散歩道。書けないと思っていても、少し無理して書き出してみれば、書いている内に書くことの楽しさを思い出してくる。書いている内に、過去も現在も書いていることも忘れてしまう。僕はずっとそうやって書いてきた。「書く」ことは「生きる」ことと同じではないか。
「心の整理をつける」
その方法を知っておくことは大きな助けになると思う。
傷つく度に立ち向かうことは効率的ではない。
(嫌なことが続いた時、ふとそんなことを考えた)
その度に創作する時間が足踏みを強いられるのは辛くないか?
そこで自分がそうなった時のことを思い出し、またどのようにして心が整い立ち直って行くのかということを冷静に分析し、それをマニュアル化しておくことにした。困った時に立ち止まって読めばいい。これは自分のために書いたもの。(君の助けにもなるとうれしい)
1、自分の中に芽生えた負の感情を認めよう。許そう。
腹が立ったり、嫌いになったり、憎らしかったり、苛立たしかったり。そういう感情を抱く自分を弱い人間だと責めすぎることはよくない。嫌な気持ちになるには、ちゃんとそれなりの理由があるものだ。嫌いなら嫌いでいい。嫌なら嫌でいい。自分の気持ちに正直に向き合ってあげることも大切だ。
2、優しい人のこと(好きなもののこと)を思い出そう。
嫌なことをされたらその人のことを考えてしまう。
嫌な目に遭ったらその時のことばかりを考えてしまう。
視野が極端に限定されてしまう。それは向き合うための段階かもしれないが、ネガティブな場所に心が縛られるのは辛いことでもある。そこから抜け出す機会を逸すれば、心が折れてしまうこともある。そこばかりを見ていると世の中がそこにしかないような錯覚を起こしかねない。
時には意図的に視線を逆サイドに逃がしてやることも必要だ。
世界にはそんな「 」ばかりじゃないことをちゃんと思い出そう。
そんな人ばかりじゃない。そんな店ばかりじゃない。そんな日ばかりじゃない。そんな先生ばかりじゃない。そんな男ばかりじゃない。そんな狐ばかりじゃない。そんな大人ばかりじゃない。そんな天気ばかりじゃない。そんな町ばかりじゃない。そんな女ばかりじゃない。そんな魔法使いばかりじゃない。そんな言葉ばかりじゃない。そんな歌ばかりじゃない……。
(苦い経験にも、反対側にある光を際立たせてくれる、大切なものを思い出させてくれるという効用はある)
嫌な思いをそこに置いといて、好きな人のことを思い浮かべてみる。それは現実の人でなくてもいい。二次元の人、スクリーンの中の人、ミュージックビデオの中の人、思い出の中の人。人でなくてもいい。猫でもいい。好きなもののことでもいい。ラーメンでも、チョコレートでも、ギターでも、セパタクローでもいい。好きなものなら何でもいい。好きなものを思い浮かべると心はそれだけでハッピーになる。それだけで少し楽になることができる。
3、かなしい感情を言葉にして書こう。(物書き的主眼)
かなしい気持ちをありのままに言葉にする。
日記につける。詩のモデルにする、物語に変換する。
書くことによって事実を客観的に見ることができる。すると直接的な体験だったものも、自分との間に少し距離ができて、気持ちも少し軽くなることがある。自分だけの経験だったものが、普遍的な出来事の一つでもあると気づくこともできる。
嫌な体験、辛い出来事も、創作にとっての糧になり得るのだと知っておくこと。かなしみはかなしみで終わらない。その中から生きるためのエネルギーを見つけ出すこともできる。
何もできないという時に「書こう」というのは矛盾するようだが、物書きにとって「書く」とは犬が走るように自然だ。犬は走りながら元気になっていくものだ。物書きが持つnoteは、犬の前に広がる散歩道。書けないと思っていても、少し無理して書き出してみれば、書いている内に書くことの楽しさを思い出してくる。書いている内に、過去も現在も書いていることも忘れてしまう。僕はずっとそうやって書いてきた。「書く」ことは「生きる」ことと同じではないか。
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