カミサンは、研修+温泉ツァーで遠路北陸へ、鬼の居ぬ間に何とかの洗濯でも無いが、コドモも昨夜の酒を抜きたいと言い出し(NDAには逆らえない)、あまりにも暑いので、標高1500M@平湯温泉に逃げ出した。
ところが平湯も、それなりに暑いのに驚く高山35℃・平湯27℃だったので7℃しか差が無いが露天風呂は風が通り涼しい感じだった。
その後、帰って来て回転寿司へ・・・・・・。
教室が休講だったので、小市民的平和な休日だった。
カミサンは、研修+温泉ツァーで遠路北陸へ、鬼の居ぬ間に何とかの洗濯でも無いが、コドモも昨夜の酒を抜きたいと言い出し(NDAには逆らえない)、あまりにも暑いので、標高1500M@平湯温泉に逃げ出した。
ところが平湯も、それなりに暑いのに驚く高山35℃・平湯27℃だったので7℃しか差が無いが露天風呂は風が通り涼しい感じだった。
その後、帰って来て回転寿司へ・・・・・・。
教室が休講だったので、小市民的平和な休日だった。
イカ入り焼そばのつもりが、カミサンも子どももお出かけになってしまい、家庭内単身赴任に今日もなってしまった。
そんなこんなで、急遽いか刺しを造った。しばらく捌いて無かったので皮むきに一苦労したが何とかソフトランディングの成功、内臓とゲソ・エンペラは塩辛にして明日のお楽しみにする。
9日夜
素人の二大戦法と言えば、棒銀と中飛車。
高山将棋愛好会に入れて頂いた頃、こんな形専門でどんな相手にも指していた、初段の人が居ました。 当時の高山将棋愛好会は70人あまりの会員数が居て、将棋道場も毎日運営され月1回の大会では、A・B・Cの3クラスに多くの人が参加されていました。
この戦法、角交換した後に低姿勢で囲い金銀も左右に配置して一見風車戦法みたいになり、中飛車陣全体が要塞化して、どこか攻めると角を打たれ馬を作らる負けパターンになったものでした。
飛車先を突かず、早めに中央に金銀を配置して角交換も拒否して左美濃風味に囲い、玉頭に勢力を集め位押しから攻め潰せつようになったのは、初段を取った頃からだったでしょうか。(17歳)
当時は定跡書もあまり無く、根気に自分で駒を並べて対策を考え、試し負かされると再び対策を考えるの繰り返しだった気がする。
今の様に何も無かったから、自分で考えられた。 デコボコ道の自転車進行であったが、それはそれで楽しかったし、その頃が一番棋力が伸びた時期だった。
それはそれとして、この戦法現在のプロ棋戦でも出て来る優秀な戦法なのである。
イビアナ1.5倍段・・・・そして中飛車も1.5倍段(特に初段以下のレベルには効果的)な気がして来た。
10日朝