前回、日本の住宅街の「南信仰」について書いていて、思い出したのがこの本だ。プリンス・オブ・ウェールズ(HRH)の「A VISION OF BRITAIN」。すでにこのブログでも何度か引用して来た。とても面白い本だ。皇太子がテレビや著作や講演会で、民間デベロッパー、建築家、工務店等、建築のプロのやることを正面から批判するというのだからすごい。
HRHはいろいろと発言するので、反発が出る。しかし反発の多くは建築家によるものだ。行政事務遂行の専門家を自認する公務員に行政を任せておくと、しばしばでたらめをすることは皆さんすでにご存じのとおり。同様に、建築のことを建築家に任せておいてはいけない。彼らの多くは、どうやって自分の作品を目立たせようかと必死になるし、街並みを調和させることに関心は希薄である。建てることが商売なので、新たな建物が建たないようでは困るし、奇抜なものを建てようとする。
HRHは英国内の建物を具体的に次々と挙げ、「これはダメ」「あれは良い」といろいろ言う。上の画像もそうやって批判を浴びた建物の一つだ。テムズ川側からこれを見て「ワードプロセッサーみたいな形のビルだ。これがまともな人間の仕事か?」と言った具合にHRHはコメントする。こんなのよりもっとひどいのが、日本にはたくさん建っているが・・・。
HRHの考えでは個々の建物のデザインだけでなく、それが周囲とどう調和することが出来るかが非常に重要視される。デザイン、高さ、素材、色。すべてが重要な要素である。この背景には「風景をそんな簡単に変えてはいけない」という思想がある。現時点で見て周囲と不連続であったり、また時代的にも直近の過去と不連続な風景をつくってしまっては、その風景や建物が魂を失うという考えに立脚している。下の画像は良い例として挙げられたもののひとつだ。
再開発事業も批判される。「こんな高い建物が本当に必要なのか?」とHRHは建築家と議論する。
このお顔。建築家の意見を一応聴きながらも、「そんなことはないだろぉ?」というお顔である。
HRHの挙げる10の原則のひとつはHarmony。「合唱と調和して歌え、一人だけはずれて歌うな!」とおっしゃる。文脈からすると、この画像は、良い例なのだろう。確かにうまく合唱している。
ガソリンスタンドの例もある。左は商業主義丸出しで景観を傷つける例。右はかなり稀なタイプのガソリンスタンドで、控えめで好印象、ということだ。
こういう記述に出会うたび、私は東京の玄関口、JR東京駅八重洲中央口前の風景を思い出す。
一方、極端な比較かもしれないが、リージェンツ・ストリート。美しい弧、色彩、様式、高さ。あらゆる意味で八重洲口とは対照的にそれぞれが周囲と調和。世紀が二回変わっても変わらぬ風景。時間的連続性も保証される。
様々な建築規制があることを私は良いとは思わない。「日本の原風景」あるいは「美しい街並み」と人々が思うようなものが、日本でもあちこちに自然に見られ保たれるような世の中なら規制は不要だ。しかしそんな心持は今の日本に見られない。経済先進国でおそらく最も「景観の公共性」の概念が希薄で、「自分の土地で何しようが勝手」がまかり通る国では、規制も必要だろう。しかしながらその規制当局がまったくセンスを持たないどころか、土建国家的姿勢を今も堅持しているように見受けられる。
上の画像は英国の新興住宅街。HRHはこれもいろいろ批判的にコメントする。私にはまだ上等な部類に見えるが・・・。
下の画像は我が七里ガ浜住宅地。いろいろあるけれど、住民の皆さん、せめて住民協定を守って住みませんか?
HRHがすべてではないけれど、その考えの多くに同意出来るし、参考になる。翻って我が住宅地。住民協定という決まりがあるのにそれを無視し、その景観を蹂躙する行為はあまり尊敬されないだろう。HRHが挙げる10の原則(Ten Principles)の一番目「景観を蹂躙するな」と真っ向から対立する行為だ。
HRHに七里ガ浜自治会館に来てもらい講演してもらおうと私は考えた。一生懸命頼んだら来てくれるのではないか、と思った私は手紙を出した。そうしたら何と!返事が来た。
Dear Ocha-san,
・・・
I would be pleased to support your thought.
How can I help you?
Sincerely,
Charlie <署名>
ウソ。そんな事態は想定しにくい。
HRHはいろいろと発言するので、反発が出る。しかし反発の多くは建築家によるものだ。行政事務遂行の専門家を自認する公務員に行政を任せておくと、しばしばでたらめをすることは皆さんすでにご存じのとおり。同様に、建築のことを建築家に任せておいてはいけない。彼らの多くは、どうやって自分の作品を目立たせようかと必死になるし、街並みを調和させることに関心は希薄である。建てることが商売なので、新たな建物が建たないようでは困るし、奇抜なものを建てようとする。
HRHは英国内の建物を具体的に次々と挙げ、「これはダメ」「あれは良い」といろいろ言う。上の画像もそうやって批判を浴びた建物の一つだ。テムズ川側からこれを見て「ワードプロセッサーみたいな形のビルだ。これがまともな人間の仕事か?」と言った具合にHRHはコメントする。こんなのよりもっとひどいのが、日本にはたくさん建っているが・・・。
HRHの考えでは個々の建物のデザインだけでなく、それが周囲とどう調和することが出来るかが非常に重要視される。デザイン、高さ、素材、色。すべてが重要な要素である。この背景には「風景をそんな簡単に変えてはいけない」という思想がある。現時点で見て周囲と不連続であったり、また時代的にも直近の過去と不連続な風景をつくってしまっては、その風景や建物が魂を失うという考えに立脚している。下の画像は良い例として挙げられたもののひとつだ。
再開発事業も批判される。「こんな高い建物が本当に必要なのか?」とHRHは建築家と議論する。
このお顔。建築家の意見を一応聴きながらも、「そんなことはないだろぉ?」というお顔である。
HRHの挙げる10の原則のひとつはHarmony。「合唱と調和して歌え、一人だけはずれて歌うな!」とおっしゃる。文脈からすると、この画像は、良い例なのだろう。確かにうまく合唱している。
ガソリンスタンドの例もある。左は商業主義丸出しで景観を傷つける例。右はかなり稀なタイプのガソリンスタンドで、控えめで好印象、ということだ。
こういう記述に出会うたび、私は東京の玄関口、JR東京駅八重洲中央口前の風景を思い出す。
一方、極端な比較かもしれないが、リージェンツ・ストリート。美しい弧、色彩、様式、高さ。あらゆる意味で八重洲口とは対照的にそれぞれが周囲と調和。世紀が二回変わっても変わらぬ風景。時間的連続性も保証される。
様々な建築規制があることを私は良いとは思わない。「日本の原風景」あるいは「美しい街並み」と人々が思うようなものが、日本でもあちこちに自然に見られ保たれるような世の中なら規制は不要だ。しかしそんな心持は今の日本に見られない。経済先進国でおそらく最も「景観の公共性」の概念が希薄で、「自分の土地で何しようが勝手」がまかり通る国では、規制も必要だろう。しかしながらその規制当局がまったくセンスを持たないどころか、土建国家的姿勢を今も堅持しているように見受けられる。
上の画像は英国の新興住宅街。HRHはこれもいろいろ批判的にコメントする。私にはまだ上等な部類に見えるが・・・。
下の画像は我が七里ガ浜住宅地。いろいろあるけれど、住民の皆さん、せめて住民協定を守って住みませんか?
HRHがすべてではないけれど、その考えの多くに同意出来るし、参考になる。翻って我が住宅地。住民協定という決まりがあるのにそれを無視し、その景観を蹂躙する行為はあまり尊敬されないだろう。HRHが挙げる10の原則(Ten Principles)の一番目「景観を蹂躙するな」と真っ向から対立する行為だ。
HRHに七里ガ浜自治会館に来てもらい講演してもらおうと私は考えた。一生懸命頼んだら来てくれるのではないか、と思った私は手紙を出した。そうしたら何と!返事が来た。
Dear Ocha-san,
・・・
I would be pleased to support your thought.
How can I help you?
Sincerely,
Charlie <署名>
ウソ。そんな事態は想定しにくい。