自分が還暦になろうとすると、自分の周囲の人もそういう人が多くなる。
すると周りでは親の介護の話が出ることが多い。
というわけで、私はまた兵庫県の山の中へ。
早朝4時に自宅で起床、妻にJR藤沢駅までクルマで送ってもらう。

電車がまだ動いてないので、駅前のタクシーもほとんど動かない。

鎌倉とは違い、おとなりの藤沢は明け方まで営業している店はあり、そこにいた人がたまにタクシーに乗る。
5時前にシャッターが開いて、藤沢駅の中に入れる。

東海道上りの最初の電車は5:04am。

東海道も横須賀線もだけど、遠くの場所をつないで、「なんとかライン」と呼ぶのは止めてほしいよね。
TAKASAKIとはMAEBASHIなんて標示されてる。
私が乗る下りは最初の電車が5:15am。

こちらは正しくATAMI行きだ。
まだこんな時間。25分ほど寒いホームで待たないといけない。

下りはだれもいなーーい。

電車もがらがら。車両内にお客さんは10人以下。

エッセイを読んでいたら、小田原駅に到着。

ここで小田原に停車するこの日最初の新幹線ひかりに乗り換える。

830円の鯛めし食いたいなあ。うまそうだなぁ。でも朝からこれはちょっと重いな。

エッセイを読み、その後寝てたら、もうにゃごや。

もうちょっと寝よう。
するとすぐに新大阪。

腹減った。まだ朝8時過ぎだが、私は起床から4時間以上。
かなり旨そうに見える。

大阪周辺のJRはなんだかたいへんなことになってしまったようだ。

すでにかなりホームは混んでいた。

でもこれは序の口。
JRの大阪京都間で車両故障があり、ダイヤは乱れ始めた。
新大阪駅で、大阪駅や、さらに母の住む施設の最寄り駅である三田駅(兵庫県三田市)に向かって動けなくなった。
電車はたまに来るがそれはすでに満員すし詰め状態であるが、新大阪駅でその電車から降りる人は少ない。
だから新大阪駅のホームで待っている人は、やって来た電車に乗り込めないのである。

JRは全国的にたるんでる。
車両や架線の事故や故障が多すぎる。
でもとにかく遅れに遅れて新大阪駅から大阪駅に移動できた。

大阪駅でも、向いのホームはすごい人。本来ならラッシュアワーはすでに終了しているはずの時間帯だ。

予定より1時間20分ほど遅れて三田に着いた。寒いっ!

いつも冬は寒い三田。
そして母と対面。いろいろ会話する。
痴呆症はゆっくりと進んでいる。
私がまったくわからないなんてことはない。
でも会話はだんだん成り立たなくなっている。
母の言うことは支離滅裂になってきている。
私には理解不能なことが多い。
ひとつの文章で長く私が話すことは厳禁。母の理解を越える。
私の言うことや簡単な質問に対する母の反応も、だんだんかみ合わなくなって来た。
少し前なら母は自分で話しながら「自分が話したいことの半分も話せない」なんてことを言っていた。
今はそういうこともなくなり、まったく筋が通らないことを単発的に話すだけだ。
好き嫌いが激しかった母は、今は介護士さんたちの言うことに素直に従うようになったそうだ。
これは環境への慣れもあるが、多くは痴呆症が進み、好き嫌いの感情が薄れていることによるようだ。
いろいろ施設の事務の方たちや、介護士さんの現場長の方とお話して、施設を出た。
再び三田駅。

これから帰るよ。
ガラガラの快速。大阪駅経由、新大阪駅へ行く。

新大阪駅に到着。

地下の味の小路へ。

今日は朝から何も食べていないのだ。
でももう夕方に近い。

串カツのどん(↑)は開いてないので、お好み焼き(↓)の店へ。

午後4時前だ。まだランチセットが食べられる。

ネギおこセットを頼む。
そして生ビール。

来た! ネギおこセット!!!

どや、おいしそうやろ?

う~、食べた。

しかしなんか足りんな。
またなんか食べたいな。

でもちょっと書店で時間をつぶし、帰り途に読む小説を探す。
そしてまた小田原に停まるひかりに乗る。4:16PM発だ。

じゃがりことストロングゼロのビター柚子。

そして小説読んで寝て帰ろう。
起きたら熱海あたりで、小田原に到着。

そこから在来線に乗って藤沢へ。
藤沢から江ノ電で七里ヶ浜駅へ。
七里ヶ浜駅に着いたらもう遅い。
朝から、夕方の例のネギおことじゃがりこ食っただけで、夜になったらまだ足りない。
ちょっと立ち寄り。生ビール。

おつまみが出るよ。

この店をご存じか?
ひらめがぶら下がっている。店主のお友達が釣ったものだ。

夜は寒いぜ。

お店の中はポッカポカ。
お店の名物、牛乳ラーメン。

おいしい。。。シチューみたい。
このお店はこちら、ハイブリット。七里ガ浜高校の生徒やサーファーでいつも賑わうお店だ。

食べたら帰りましょう。
4時起きで弾丸往復ツアー。
いろいろあるが、とりあえず母は元気だった。
家までもうすぐだ。

すっかり遅くなったな。
すると周りでは親の介護の話が出ることが多い。
というわけで、私はまた兵庫県の山の中へ。
早朝4時に自宅で起床、妻にJR藤沢駅までクルマで送ってもらう。

電車がまだ動いてないので、駅前のタクシーもほとんど動かない。

鎌倉とは違い、おとなりの藤沢は明け方まで営業している店はあり、そこにいた人がたまにタクシーに乗る。
5時前にシャッターが開いて、藤沢駅の中に入れる。

東海道上りの最初の電車は5:04am。

東海道も横須賀線もだけど、遠くの場所をつないで、「なんとかライン」と呼ぶのは止めてほしいよね。
TAKASAKIとはMAEBASHIなんて標示されてる。
私が乗る下りは最初の電車が5:15am。

こちらは正しくATAMI行きだ。
まだこんな時間。25分ほど寒いホームで待たないといけない。

下りはだれもいなーーい。

電車もがらがら。車両内にお客さんは10人以下。

エッセイを読んでいたら、小田原駅に到着。

ここで小田原に停車するこの日最初の新幹線ひかりに乗り換える。

830円の鯛めし食いたいなあ。うまそうだなぁ。でも朝からこれはちょっと重いな。

エッセイを読み、その後寝てたら、もうにゃごや。

もうちょっと寝よう。
するとすぐに新大阪。

腹減った。まだ朝8時過ぎだが、私は起床から4時間以上。
かなり旨そうに見える。

大阪周辺のJRはなんだかたいへんなことになってしまったようだ。

すでにかなりホームは混んでいた。

でもこれは序の口。
JRの大阪京都間で車両故障があり、ダイヤは乱れ始めた。
新大阪駅で、大阪駅や、さらに母の住む施設の最寄り駅である三田駅(兵庫県三田市)に向かって動けなくなった。
電車はたまに来るがそれはすでに満員すし詰め状態であるが、新大阪駅でその電車から降りる人は少ない。
だから新大阪駅のホームで待っている人は、やって来た電車に乗り込めないのである。

JRは全国的にたるんでる。
車両や架線の事故や故障が多すぎる。
でもとにかく遅れに遅れて新大阪駅から大阪駅に移動できた。

大阪駅でも、向いのホームはすごい人。本来ならラッシュアワーはすでに終了しているはずの時間帯だ。

予定より1時間20分ほど遅れて三田に着いた。寒いっ!

いつも冬は寒い三田。
そして母と対面。いろいろ会話する。
痴呆症はゆっくりと進んでいる。
私がまったくわからないなんてことはない。
でも会話はだんだん成り立たなくなっている。
母の言うことは支離滅裂になってきている。
私には理解不能なことが多い。
ひとつの文章で長く私が話すことは厳禁。母の理解を越える。
私の言うことや簡単な質問に対する母の反応も、だんだんかみ合わなくなって来た。
少し前なら母は自分で話しながら「自分が話したいことの半分も話せない」なんてことを言っていた。
今はそういうこともなくなり、まったく筋が通らないことを単発的に話すだけだ。
好き嫌いが激しかった母は、今は介護士さんたちの言うことに素直に従うようになったそうだ。
これは環境への慣れもあるが、多くは痴呆症が進み、好き嫌いの感情が薄れていることによるようだ。
いろいろ施設の事務の方たちや、介護士さんの現場長の方とお話して、施設を出た。
再び三田駅。

これから帰るよ。
ガラガラの快速。大阪駅経由、新大阪駅へ行く。

新大阪駅に到着。

地下の味の小路へ。

今日は朝から何も食べていないのだ。
でももう夕方に近い。

串カツのどん(↑)は開いてないので、お好み焼き(↓)の店へ。

午後4時前だ。まだランチセットが食べられる。

ネギおこセットを頼む。
そして生ビール。

来た! ネギおこセット!!!

どや、おいしそうやろ?

う~、食べた。

しかしなんか足りんな。
またなんか食べたいな。

でもちょっと書店で時間をつぶし、帰り途に読む小説を探す。
そしてまた小田原に停まるひかりに乗る。4:16PM発だ。

じゃがりことストロングゼロのビター柚子。

そして小説読んで寝て帰ろう。
起きたら熱海あたりで、小田原に到着。

そこから在来線に乗って藤沢へ。
藤沢から江ノ電で七里ヶ浜駅へ。
七里ヶ浜駅に着いたらもう遅い。
朝から、夕方の例のネギおことじゃがりこ食っただけで、夜になったらまだ足りない。
ちょっと立ち寄り。生ビール。

おつまみが出るよ。

この店をご存じか?
ひらめがぶら下がっている。店主のお友達が釣ったものだ。

夜は寒いぜ。

お店の中はポッカポカ。
お店の名物、牛乳ラーメン。

おいしい。。。シチューみたい。
このお店はこちら、ハイブリット。七里ガ浜高校の生徒やサーファーでいつも賑わうお店だ。

食べたら帰りましょう。
4時起きで弾丸往復ツアー。
いろいろあるが、とりあえず母は元気だった。
家までもうすぐだ。

すっかり遅くなったな。