日本百名山 (新潮文庫) | |
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「北安曇から後立山連峰を眺めると、高さは特別ではないが、山容雄偉、岩稜峻嶺、根張りのどっしりした山が眼につく・・以下略。」深田久弥の日本百名山の一節、五竜岳だ。今日は山でも昔話。昔話をするようになると、その人間はもうおしまいだと聞いたことがあるが、まあ聞いてくださいな。
若い頃、仲間とこの山に登った。八方尾根から唐松岳を経由したと思う。山小屋に泊まって、翌朝、五竜岳にアタック。早朝で素晴らしい眺めだった。三十数年前だが、まだ覚えている。山頂付近は岩、岩だった。そして鹿島槍を目指す。途中八峰キレットという深く切れ込んだ場所があった。テレビで田中陽希さんが、百名山一筆書きでもこのキレットを登っていたを観た。
私、本格的に登山をやっていた訳ではない。誘われて登っただけだ。そのため、当時は、まだキャラバンシューズ。仲間は当然登山靴。キャラバンは、登山靴に比べて、足の裏が薄く、だんだん足の裏が痛くなってくるのを感じて登った。それと鍋、ラーメンを作ったんだが、適当な鍋を持ち合わせていないため、即席鍋焼きうどんのアルミ箔の薄い鍋を持っていった。これが水漏れ。苦労して炊いて食べた記憶がある。
(鹿島槍、フリー画像から)
「鹿島槍は私の大好きな山である。高いところに立って北アルプス連嶺が見えてくると、まず私の眼が探すのは、双耳峰を持ったこの山である。・・以下略。」
日本百名山、鹿島槍の一節である。キレットを渡った後、ほどなく鹿島槍だ。この頃はガスがかかって、周囲は何も見えなかった。小屋に泊まって、翌朝もアタックしたが、この朝もガスの中・・途中、道の真ん中に雷鳥がいた。このとき雷鳥を初めて見ることができた。写真を撮っても、近づいても逃げないのが不思議だった。雷鳥は天気が悪いと出るが、当時はそんなことは知らない。
そして下山は雨、傘を差して歩いたことが思い出である。扇沢に下山したが、ラジオを聴きながら下山した。夏の高校野球の決勝戦をやっていた。PL学園とどこかの対戦、桑田や清原が高校生の頃の話だだ。すごい高校生がいるなというのが当時の感想、古いね。
これらの山、またいつか登ることができるだろうか。標高差も相当あるようだし。若い頃と違うからね。