大阪室内のことを。思うことは色々とありますが、感情的な部分はまた別の記事に。
2月1日大阪室内のU20の60mHがありました。奇跡的にこの日に誕生日を迎える選手と一緒「A決勝に残る」というのを目標に冬季練習に取り組んできました。順調に来ているなというのは感じていました。ケガもなく。普通の選手よりも一生懸命にやっている部分もあります。3年生がこういう姿を見せるのは下級生にとって大きな意味があると思います。大学で競技を続けるという気持ちがあるからできるのだと思っています。
朝は地下鉄とJRを乗り継いで大阪城ホールへ。ついてすぐに体を動かす。ハードルが跳べる時間は8時から8時半。これも日本選手権とU20で2レーン分。練習ができないというのは仕方ない部分です。下に降りてアップすると60mに出場する選手と重なってアップにならないという判断をしていたので通路を使って基本的なアップ。走る寸前まで準備してから下に降りました。少し動いてスパイクを履いて。そこからショートダッシュをして・・・という感じでした。とにかくレーンが限られているのでさっと入ってさっと走るという感じで。スタブロ練習をやっているので普通に走れるレーンがほぼありません。棒高跳びピットの外側でショートダッシュを繰り返していく。
8時少し前になって全レーンが「ハードル配置」を始めたので走れなくなりました。なかなか。本当に大行列になるので普段のハードルのアップとは異なる形で。5歩ハードルを入れたかったのですが時間的に無理。いきなり1台目に。スタンディングで。私は間に合いませんでしたからハードルを倒したりというのができないので手で倒したと言っていました。2回目は10分後くらいだったか。これはスタブロから。2台目を倒そうとしたら「倒せません」と言われました。時間の省略なのかもしれません。が、めちゃくちゃ危ない。「倒せません」と言われたので諦める。「ガシャーン」と手で倒していました。他のレーンも同様だったので何台かハードルが壊れていました。仕方ないのかもしれませんが。さらに10分後くらいに3台目まで。話ができていなかったのでジェスチャーで伝達。珍しく2台目の着地で潰れました。いつもと感覚が違うのだと思います。
不安が残る状態でしたがこれから並んでも絶対にハードルは跳べない。空いているレーンに入ってショートダッシュをするほうがいいなと思っていました。本人が「空いているレーンで3歩で走るイメージを作っておく」と申し出てきてそれに合わせました。さらに自分からサッとレーンに入ってもう1本ショートダッシュをして終了。これまでからすると考えられないくらいの行動です。成長。
本アップも同様に室内で行って走るときは土のグランドへ移動。最初から「土用のスパイク」を持ってきていました。最大スピードを出せる状況を作り出したいというのがあったので。天気もかなり良かったのでしっかりと走ることができました。
レースは1組目。組の中で持ちタイムは3番目です。全体の11番目のランキング。この日上位2名が欠場していたので純粋なランキングとしては9番目。ギリギリ。スタートまでの時間に少し待たされましたが冷静に動いていました。レースはスタートからまずまずの感じ。隣はランキング1番の選手でしたがそれほど遅れずについていきます。60mはあっという間。気が付いたらフィニッシュです。トップの速報タイムが8秒41。それほど差がない。電光掲示板には8秒53と表示されました。昨年は8秒65までがA決勝に残れています。とはいえ、今年度のレベルの高さは異常。手が震えました。2組目のトップが8秒72。3組目は1着2着が同タイムで8秒52。これでランキングが4位。4組目はトップが8秒44、2着が8秒58、3着がIHチャンピオンで8秒59。これでランキングは5番目。5組目にはランキング5番目、6番目がいます。が、2人だけ可能性は十分。5組目はトップが8秒64。
これにより結果的に全体の5番目で念願のA決勝へ。3位までは0.01秒差。表彰台も見えていましたが、一番はずっと目指していた「全国の決勝」という舞台に進むことができました。国スポでは10番目、U18では9番目と「あと少し」で決勝に残れずに悔しい思いをしてきた選手の想いをやっと掬うことができました。意図的に「掬う(すくう)」という言葉を使っています。「救う」ではありません。誰かを助けているわけではありませんから。やっとやっとたどり着いた場所。いつもと同じ感じで関われたらと思っていました。ここにきて今更「やるぞ」「狙うぞ」という雰囲気にするのは違うと思います。まずはA決勝に残った。あとはきちんと走るだけです。
しばらく時間が空いてアップ。特に気負うことなく招集所に送り届けました。任務終了。あとは上で見守るだけです。
U18の時のB決勝は「選手紹介」はありましたが遠くから映すだけ。その時A決勝ではカメラに映し出されての「選手紹介」でした。今回B決勝では「選手紹介」さえありませんでした。時間の関係だと思いますが。寂しいですね。そういう部分では「A決勝」は誇らしい部分がありました。奇跡的に1~3レーンの並びは「予選1組」と全く同じ並びでした。レース自体は3レーンのランキング1位の選手が飛び出しました。それに少し遅れながらもついていくことができました。これもあっという間の時間でした。フィニッシュ時点でトップとは少し差がありました。着順は6番。タイムは8秒61。予選よりもタイムを落としてしまいましたが「人生初めての全国の決勝」ということを考えると十分だと思います。本当に良く走ったと思います。
親しい方々からはすぐに連絡がありました。気にかけてくれてもらったことは本当にありがたいことだと思います。特に倉敷中央のmrsd先生は大会前に「どのような流れで準備するか」についても直接アドバイスをくださいました。本当にありがたいことです。その後直接会って話をすることもできました。感謝しかない。
これまでは「記念写真」でしたが今回は「入賞写真」となりました。保護者も来てくださっていたので晴れの舞台の姿をお見せすることができたかなと思います。ここにたどり着くまでに多くの方々の力を借りてきました。今年度になって本当に多くの先生方が選手に声をかけてくれるようになったと思っています。それだけ一生懸命に取り組んでいたのかなと。
個人的な感情に関してはまた別に。この日の事実だけを記しておきます。