この時期になると自分が学生だった時の事を思い出す。ちょうどこの時期に地区インカレという大学生にとって大きな位置付けの大会が開催されている。大学生が全日本インカレ(高校生でいうインターハイ)に進むためには、この地区インカレで優勝するか自力で参加標準記録を突破するしかない。参加標準はだいたい日本ランキング50番位なので(B標準が)地方で全日本インカレに進むのは優勝する方が早いかもしれない。
地区インカレに関しては色々な思い出があるが、10年前(もうそんなになるのか…)の大学3年生の時は本当に辛い記憶しか残らないインカレだった。
その前の年、秋の中国四国の大会で優勝し、初めて全国を意識した。勝てば全日本に行けるので冬期は死に物狂いで練習に明け暮れた。ハードルも15歩から14歩に切り替えてよりスピードが出せるように取り組んだ。次期のキャプテンになることも決まっていて、自分がやらなければと思う気持ちがとにかく強くてひたすら走ったりウエイトをした。練習をすれば全てがなんとかなると思っていた。
春から調子はそこそこ。学生記録会で400mが48秒9で走れて、走力も上がっている実感があった。ハードルロスの3秒を考えると大きな可能性を感じていた。
しかし、そこからが悪かった。更に力をつけたいと思いかなり無理をした。練習量を落とす事を恐れ、ひたすら走った。完全にオーバートレーニング状態になり、県選手権では53秒85もかかりかなりショックを受けた。
地区インカレではそれでも戦う必要があった。4継では初めてアンカーを走り7位。しかし、重きを置いていたマイルでは初めての予選落ち…。4年生の先輩との最後のレースだったにも関わらず決勝に残ることが出来なかった。専門種目である400mHでも全く身体が動かない…。初めて3位に入賞したが54秒54かかり、目の前で中四学生記録を出された…。悔しかった。目標とする記録には全く届かず、上位2人とは2秒近く離された。今考えると動きもバラバラだったんだろう。それを無理矢理持ってきていたのでバランスが崩れていたはず。気付きもしなかった。
自分自身のことよりも、先輩達から引き継いだ伝統をうまく結果として示せなかったことの方が辛かった。3年生として誰にも見せることができず抱えておかないといけない部分。今考えるともっと悔しさをおもてに出しても良かったんだろうな。
10年前は本当に辛い大会だった。この経験があったからこそ次の年の飛躍があったんだけどね…。それはまた次の機会に…。ちょっと思い出に浸ってみた休日でした…。
地区インカレに関しては色々な思い出があるが、10年前(もうそんなになるのか…)の大学3年生の時は本当に辛い記憶しか残らないインカレだった。
その前の年、秋の中国四国の大会で優勝し、初めて全国を意識した。勝てば全日本に行けるので冬期は死に物狂いで練習に明け暮れた。ハードルも15歩から14歩に切り替えてよりスピードが出せるように取り組んだ。次期のキャプテンになることも決まっていて、自分がやらなければと思う気持ちがとにかく強くてひたすら走ったりウエイトをした。練習をすれば全てがなんとかなると思っていた。
春から調子はそこそこ。学生記録会で400mが48秒9で走れて、走力も上がっている実感があった。ハードルロスの3秒を考えると大きな可能性を感じていた。
しかし、そこからが悪かった。更に力をつけたいと思いかなり無理をした。練習量を落とす事を恐れ、ひたすら走った。完全にオーバートレーニング状態になり、県選手権では53秒85もかかりかなりショックを受けた。
地区インカレではそれでも戦う必要があった。4継では初めてアンカーを走り7位。しかし、重きを置いていたマイルでは初めての予選落ち…。4年生の先輩との最後のレースだったにも関わらず決勝に残ることが出来なかった。専門種目である400mHでも全く身体が動かない…。初めて3位に入賞したが54秒54かかり、目の前で中四学生記録を出された…。悔しかった。目標とする記録には全く届かず、上位2人とは2秒近く離された。今考えると動きもバラバラだったんだろう。それを無理矢理持ってきていたのでバランスが崩れていたはず。気付きもしなかった。
自分自身のことよりも、先輩達から引き継いだ伝統をうまく結果として示せなかったことの方が辛かった。3年生として誰にも見せることができず抱えておかないといけない部分。今考えるともっと悔しさをおもてに出しても良かったんだろうな。
10年前は本当に辛い大会だった。この経験があったからこそ次の年の飛躍があったんだけどね…。それはまた次の機会に…。ちょっと思い出に浸ってみた休日でした…。