ここ最近考える事が多くあります。具体的に例を挙げて書くというのは避けたいなとは思うのですが。そうなると抽象的な話ばかりになって面白くない。その上、後で見直した時に何の話か分からなくなる。難しい所です。
部活をやる。競技をやる。ここは並列に並ぶのかどうか。「集団に所属して楽しくやりたい」という生徒もいるでしょう。しかし、「強くなりたい」と思って活動をする選手もいる。一つの集団の中に方向性が異なる選手がたくさんいるのです。そこの中でどうやって組織作りをしていくのか。難しい判断だと思います。私自身は「戦うこと」を求めます。それは相手だけではなく自分自身にもです。適当にやって適当に結果を出すというのではなく、全力でやって全力で戦うことが大切なんだと思っています。
例えばリレーで勝負をかける。この時にどうやって判断するか。強いけど練習に来ない選手を使うのか、0.5秒くらい遅いけど一生懸命に練習に取り組む選手を使うのか。基本的に力がなくて意欲もない選手であれば勝負がかかったリレーを走らせることはないと思います。理由は明確です。「一人でやることではないから」です。個人種目で枠が余っているのなら最大限譲歩して一生懸命になれない選手も出すかもしれません。が、「チーム」としてやっているのであればそれは許されないですし、「和」を大きく乱すことになります。バスケやバレーなどの集団スポーツなら当たり前だと言われる所ではないでしょうか?
同じ方向を向いていない選手がいるだけで雰囲気は微妙になります。以前、本気でマイルでインターハイを狙っていた時があります。その時はメンバーの大半が本気でした。6人いて5人は本気。が、1人だけ本気になれない選手がいました。狙っている大会の1週間前、身体を休めるために休みにしていたのですが1人だけ友達と広島に遊びに行って一日中歩きまくる。疲れが抜けない状態。その事を把握していた他の5人は「なんで今行かないといけないの?」という不信感を抱く。私には言いませんでした。
狙った大会の予選、準決勝にその1人を使ったのですが予選から全く精彩を欠く走り。予定よりも2秒以上遅いのにその事に対して「え?私遅いですか?」という返答。結局決勝はその選手を使いませんでした。 結果的に負ける。私の判断ミスだったのかもしれません。この子たちには謝っても謝りきれないほど申し訳ないなと思っています。が、レースが終わった後に何人かが涙を流しながら「先生、実は...」と上述の事を報告しに来てくれました。「口を聞きたくないくらいの気持ちでこの1週間過ごしてきました。だから上手くいかなかったのかもしれない。」と。やはり、信頼できなかったのだと思います。
こういう状況になったらどうするのがいいのでしょうか。自分の力ではどうにもできない「他人の存在」がある。それでも同じチームとしてやっていかなければならなくなった時、選手はどのような気持ちを持つのでしょうか。そんな想いをさせたくないと思ってずっと「チームとして同じ方向を向く」という話をしています。プラスアルファの力を発揮させるためです。それでも同じ方向を向けない選手がいる時、どうするのが残された選手にとってプラスなのでしょうか。
本当に難しい事だと思いますが、まずは「自分にできることを最大限にやる」事だと思います。自分以外の事は正直どうにもできないところがあります。最終的には「本人の問題」となるからです。どうにもならない事に無駄にエネルギーを使ってしまったら自分自身の力を発揮する事もできなくなる。それだけは絶対に避けないといけません。そこに対してイライラしてしまったら戦えません。当時の私はそこを見抜く事が出来ませんでした。選手が私に気を使っていたのかもしれませんし、そんな低レベルの話をインターハイを賭けた戦いの前にしたくないという気持ちもあったでしょう。そう考えると選手には申し訳ない事をしたなと改めて感じます。
そして、もう一つできる事は同じ方向を向けない選手を責めない事だと思います。「大切な時なんだ」という事が分からない選手は少なからずいます。本当なら指導者がそこと向き合って「このままでは戦えなくなる」という話を真剣にしなければいけません。なぜなら他のメンバーは「絶対にインターハイに行く」と思って取り組んでいるのですから。そこを選手が「しっかりと頑張ろうよ!」と励ましながらやるのは時間と労力の無駄。そのために指導者がいるのです。私自身の深い反省は「選手に気を使わせてしまった」ということでした。私自身が「リレーでインターハイに行くんだ」という強い気持ちを持っていました。それが選手に伝わってしまったから「先生にこんな低レベルな相談はできない」と感じて事前に言わなったのではないかと思います。
選手は所詮「中学生」「高校生」です。なかなか本気になれません。置かれている状況を判断するのも苦手かもしれません。当時の失敗はきちんとできない選手をチームメイトが許せなかった。だからこの子と一緒にやったらダメなんじゃないかと感じてレースに出てた部分はあるのだと思います。それが結果的にレース自体に出るのです。割り切るのは難しいですが「このメンバーで戦うしかない」となったのなら他の事を考えるのを止めるべきです。無駄なエネルギーは使わない。マイルで60秒で走るのが当たり前だと感じていた選手が63秒近くかかって走る。3秒は大きすぎる。しかし、それなら他の3人が普段より1秒速く走れば良い。簡単な事ではないのですが、他の誰かに頼るなら自分自身で速く走れる方法を考える方が早い。
前にも書きましたが前任校の小さなエースが「私は今日絶好調だからどれだけ遅れてきても、他の人が走れなくてもなんとか出来る」と話をしていました。これは信頼関係がある中での発言でしたが、そうでない場合もあり得ると思います。自分がなんとかする。そう思ってやる事で力は上がります。「この人と走るのは嫌だ」と思っていたらバトンがつながりません。与えられた条件の中で「絶対にやってやる」と思う事が大切なのです。
リレーは信頼関係があって初めて楽しめるものだと思います。全員で同じ方向を向くから楽しい。それに指導者も入って、チーム全体が入って初めて成立する。その環境がない。それでも「バトンをもらったら自分がなんとかする」という冷静さを持つ事ができれば可能性は出てきます。焦るとミスを生みます。最大限にできる事は「自分の力を発揮する」事です。
私が取り返しがつかない失敗をした時の準決勝、「同じ方向を向けない選手」は1走でした。かなり遅れてきて2走のエースが死ぬ気で挽回してくれました。それでも2走は涙を流していました。「私がもっと強かったら残りのメンバーに負担をかける事はないのに。申し訳ない」と泣いていました。それくらいの気持ちがあるからこの子は個人でインターハイに進んだのだと思います。メンタル的にめちゃくちゃ強かった。言い訳の余地を他の選手に求めない。「とにかくバトンを運んできてくれたら自分がなんとかする」という強い気持ちです。走れない選手を責める気持ちはその時はなかったと思います。
何の話かよく分からなくなりましたね。同じ方向を向けないなら何をするか。これを考えていく。「過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる。」のです。どうにもならない事を悩んでも進めません。自分の力でなんとかなる事に力を注ぐ。エネルギーを使う。ここだと思います。指導者として二度と選手にそんな想いをさせたくないと思って生きています。謝っても謝りきれない。だから何か役に立ちたい。同じような想いをする選手を減らしていきたい。そう思っています。
分からない文章になりました。申し訳ありません。読み飛ばしてください。
部活をやる。競技をやる。ここは並列に並ぶのかどうか。「集団に所属して楽しくやりたい」という生徒もいるでしょう。しかし、「強くなりたい」と思って活動をする選手もいる。一つの集団の中に方向性が異なる選手がたくさんいるのです。そこの中でどうやって組織作りをしていくのか。難しい判断だと思います。私自身は「戦うこと」を求めます。それは相手だけではなく自分自身にもです。適当にやって適当に結果を出すというのではなく、全力でやって全力で戦うことが大切なんだと思っています。
例えばリレーで勝負をかける。この時にどうやって判断するか。強いけど練習に来ない選手を使うのか、0.5秒くらい遅いけど一生懸命に練習に取り組む選手を使うのか。基本的に力がなくて意欲もない選手であれば勝負がかかったリレーを走らせることはないと思います。理由は明確です。「一人でやることではないから」です。個人種目で枠が余っているのなら最大限譲歩して一生懸命になれない選手も出すかもしれません。が、「チーム」としてやっているのであればそれは許されないですし、「和」を大きく乱すことになります。バスケやバレーなどの集団スポーツなら当たり前だと言われる所ではないでしょうか?
同じ方向を向いていない選手がいるだけで雰囲気は微妙になります。以前、本気でマイルでインターハイを狙っていた時があります。その時はメンバーの大半が本気でした。6人いて5人は本気。が、1人だけ本気になれない選手がいました。狙っている大会の1週間前、身体を休めるために休みにしていたのですが1人だけ友達と広島に遊びに行って一日中歩きまくる。疲れが抜けない状態。その事を把握していた他の5人は「なんで今行かないといけないの?」という不信感を抱く。私には言いませんでした。
狙った大会の予選、準決勝にその1人を使ったのですが予選から全く精彩を欠く走り。予定よりも2秒以上遅いのにその事に対して「え?私遅いですか?」という返答。結局決勝はその選手を使いませんでした。 結果的に負ける。私の判断ミスだったのかもしれません。この子たちには謝っても謝りきれないほど申し訳ないなと思っています。が、レースが終わった後に何人かが涙を流しながら「先生、実は...」と上述の事を報告しに来てくれました。「口を聞きたくないくらいの気持ちでこの1週間過ごしてきました。だから上手くいかなかったのかもしれない。」と。やはり、信頼できなかったのだと思います。
こういう状況になったらどうするのがいいのでしょうか。自分の力ではどうにもできない「他人の存在」がある。それでも同じチームとしてやっていかなければならなくなった時、選手はどのような気持ちを持つのでしょうか。そんな想いをさせたくないと思ってずっと「チームとして同じ方向を向く」という話をしています。プラスアルファの力を発揮させるためです。それでも同じ方向を向けない選手がいる時、どうするのが残された選手にとってプラスなのでしょうか。
本当に難しい事だと思いますが、まずは「自分にできることを最大限にやる」事だと思います。自分以外の事は正直どうにもできないところがあります。最終的には「本人の問題」となるからです。どうにもならない事に無駄にエネルギーを使ってしまったら自分自身の力を発揮する事もできなくなる。それだけは絶対に避けないといけません。そこに対してイライラしてしまったら戦えません。当時の私はそこを見抜く事が出来ませんでした。選手が私に気を使っていたのかもしれませんし、そんな低レベルの話をインターハイを賭けた戦いの前にしたくないという気持ちもあったでしょう。そう考えると選手には申し訳ない事をしたなと改めて感じます。
そして、もう一つできる事は同じ方向を向けない選手を責めない事だと思います。「大切な時なんだ」という事が分からない選手は少なからずいます。本当なら指導者がそこと向き合って「このままでは戦えなくなる」という話を真剣にしなければいけません。なぜなら他のメンバーは「絶対にインターハイに行く」と思って取り組んでいるのですから。そこを選手が「しっかりと頑張ろうよ!」と励ましながらやるのは時間と労力の無駄。そのために指導者がいるのです。私自身の深い反省は「選手に気を使わせてしまった」ということでした。私自身が「リレーでインターハイに行くんだ」という強い気持ちを持っていました。それが選手に伝わってしまったから「先生にこんな低レベルな相談はできない」と感じて事前に言わなったのではないかと思います。
選手は所詮「中学生」「高校生」です。なかなか本気になれません。置かれている状況を判断するのも苦手かもしれません。当時の失敗はきちんとできない選手をチームメイトが許せなかった。だからこの子と一緒にやったらダメなんじゃないかと感じてレースに出てた部分はあるのだと思います。それが結果的にレース自体に出るのです。割り切るのは難しいですが「このメンバーで戦うしかない」となったのなら他の事を考えるのを止めるべきです。無駄なエネルギーは使わない。マイルで60秒で走るのが当たり前だと感じていた選手が63秒近くかかって走る。3秒は大きすぎる。しかし、それなら他の3人が普段より1秒速く走れば良い。簡単な事ではないのですが、他の誰かに頼るなら自分自身で速く走れる方法を考える方が早い。
前にも書きましたが前任校の小さなエースが「私は今日絶好調だからどれだけ遅れてきても、他の人が走れなくてもなんとか出来る」と話をしていました。これは信頼関係がある中での発言でしたが、そうでない場合もあり得ると思います。自分がなんとかする。そう思ってやる事で力は上がります。「この人と走るのは嫌だ」と思っていたらバトンがつながりません。与えられた条件の中で「絶対にやってやる」と思う事が大切なのです。
リレーは信頼関係があって初めて楽しめるものだと思います。全員で同じ方向を向くから楽しい。それに指導者も入って、チーム全体が入って初めて成立する。その環境がない。それでも「バトンをもらったら自分がなんとかする」という冷静さを持つ事ができれば可能性は出てきます。焦るとミスを生みます。最大限にできる事は「自分の力を発揮する」事です。
私が取り返しがつかない失敗をした時の準決勝、「同じ方向を向けない選手」は1走でした。かなり遅れてきて2走のエースが死ぬ気で挽回してくれました。それでも2走は涙を流していました。「私がもっと強かったら残りのメンバーに負担をかける事はないのに。申し訳ない」と泣いていました。それくらいの気持ちがあるからこの子は個人でインターハイに進んだのだと思います。メンタル的にめちゃくちゃ強かった。言い訳の余地を他の選手に求めない。「とにかくバトンを運んできてくれたら自分がなんとかする」という強い気持ちです。走れない選手を責める気持ちはその時はなかったと思います。
何の話かよく分からなくなりましたね。同じ方向を向けないなら何をするか。これを考えていく。「過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる。」のです。どうにもならない事を悩んでも進めません。自分の力でなんとかなる事に力を注ぐ。エネルギーを使う。ここだと思います。指導者として二度と選手にそんな想いをさせたくないと思って生きています。謝っても謝りきれない。だから何か役に立ちたい。同じような想いをする選手を減らしていきたい。そう思っています。
分からない文章になりました。申し訳ありません。読み飛ばしてください。