kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

書けることを

2024-06-12 | 陸上競技
前の記事。書いて良かったのかどうかは疑問です。実際に走れるかどうか不安に感じていた選手や保護者にとっては不快かなという気もします。しかしながら、今回「県総体」に出場できたことは本当に奇跡だと思っています。通常であれば絶対にありえないことだと思います。kd先生の力によるところが大きいと思います。ここは詳しくは書きませんが。

2人がレースを走ったこと。記録云々ではなく両リレーで勝てたこと。結果だけをみると「記録が出ていない」という事実しか見えません。その裏に本人達や周りの選手の苦悩がありました。現場でしか分からない部分だと思います。当事者だけが感じていた苦しさ。この子達の思いの強さに感銘を受けました。同時に自分自身の無力さを痛感していました。なんでこんな苦しい思いを選手にさせているのか。細心の注意をはらって関われていたらこんな辛い思いをさせなくて済んだのではないか。本当に無力だと思います。

最終日に100mHがありました。トップはKさん。これはランキング2位の選手とは1秒以上の差があるのできちんと走れるかどうかだけでした。3人が出場していましたが1人は前日400Hで決勝に残らなかったAさん。マイルも後半かなり苦しい走りをしていました。昨年度、上位選手が転倒して中国大会に進んでいました。今年は実力で中国に進んでもらいたい。スピードがありません。その中でどうやって中国進むか。予選は17秒4くらいかかってギリギリ準決勝へ。なんとか決勝に残ってもらいたい。少し課題について話をしました。1年生のSさんが9台目まで3歩で走れました。これまで5台目くらいがギリギリだったのですが。待ちタイムが17秒台でしたがいきなり16秒中盤まで記録を上げました。かなりの走り。

準決勝、Aさんが最後まで3歩で行きました。タイムが16秒4。周りの人には絶対に分からないと思います。この勝負のかかった場面で予選よりも1秒記録を上げました。どう考えても奇跡的な走りだと思います。これにより一気に中国大会ラインに入ってきました。記録ではないのです。高校生の秘められた力というのを改めて感じました。ほとんど100Hの練習はしていません。それでも前日の悔しさをここで晴らすことができる。考えられない走りでした。Kさんも14秒16のセカンドベスト。1年生が全体のタイム4番目で決勝へ。ここもかなり評価できます。

決勝。Kさんは途中から何度もハードルにぶつけて最後かなりバランスを崩す。14秒4。大会記録を狙っていただけに残念。しかし、他の2人がかなりやってくれました。タイム的には準決勝と同じくらいですが1年生が5位。3年生のAさんが6位。自分の力で中国大会を掴み取りました。周りからすれば「それがどうした?」と言われるかもしれません。これまでの待ちタイムなどを考えるとすごいことです。

数日前に走ることさえできなかった400系の2人が個人で中国に進んだ事と同様に待ちタイムが17秒だった選手こ大切な場面で16秒4を出して走ったことは誇らしいですね。私は何もしてあげられていないのに…。高校生の持つ計り知れない力を改めて痛感しました。表面的に見えてくる結果だけではない。もちろん、本当の勝負になった時には記録も必要です。今の状態では誰もインターハイに進むことができないという感じで県総体を終えました。高校生にとって県総体の持つ価値は本当に大きい。

そして私の力のなさに打ちひしがれました。情けない。無力。それでもやれることをやるしかない。そう思って自分の中にあるエネルギーを振り絞って前を向くようにしていました。こんな状態なので公なblogを書くほどの力はありませんでした。目の前で起きている悲劇に対して誠心誠意向き合うしかなかったからです。

無力。それだけが自分自身を覆っていました。情けない限りです。

面白くない内容ですが記録だけしておきます。今更ですが。
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不定期すぎますが・・・

2024-06-12 | 陸上競技

ちょっとだけ更新。

 

殆どの人に忘れかけられていると思います。すみません。毎日更新と謳っていながら殆ど更新できていない。詐欺ですね・・・。

 

どこまで書いたのかは分かりませんが。本当はもっと書きたいこともあるのです。が、状況としてあまり外に報告するというのは避けるべきだと思っていたので意図的に更新をしませんでした。すみません。

 

ここは書いたと思いますが、県総体の直前、400mのエースが四頭筋を痛めました。その前から様子がおかしかったのですが。4月にある県記録会は途中から出場を辞める。色々なトラブルが重なっていたので「急遽4継に出てもらう」ということが連発していました。そういう負担もあったのかもしれません。月曜日に走れない。そのまま火曜日は治療に専念。水曜日は補強のみ。木曜日の朝練で少し動いたら「流し」もできません。致命的な話です。同時にチームのエース選手が火曜日の練習中にハムストリングを痛める。歩くのもままならない。絶望感しかありませんでした。リレーに関しては「6位以内」に入ればいいと割り切りました。が、個人種目に関しては出場しない限り出場権を得ることはできません。400mの両エースを失ってどう戦うのか。それでもやるしかないなと。

 

誰にも言わずに対応してきました。やれることは全てやる。保護者と連絡を取りながら。400選手は金曜日の時点で劇的回復。もちろん、最大スピードは出せません。出すと痛いので8割くらいで走るしかない。400H選手はジョグができるかどうか。リレーを走るという話ではなくなっていたので400H選手は県総体1日目は治療に時間を割きました。

 

400m選手、県総体当日も足に痛みがあります。それでも400mに出る。予選は63秒程度でいいと話していましたが余裕をもって60秒。力には余裕があるようでした。準決勝は62秒台、決勝は向かい風の中で前半から積極的に。かなり走れていましたが、ラスト120mくらいで動きが崩れる。結局60秒台でフィニッシュ。本人曰く「内転筋が両方攣った」とのこと。よく完走したと思います。奇跡。

400H選手は何とかハードルを跳ぶ。本来であれば無理だと思いますが、ここで棄権するわけにはいかない。何とかして6番以内に入る。そこだけでした。完走できるのであれば17歩で前半から抑えていく感じです。本当に走れるのかどうかという話になるのですが。

 

4継に関しては「危機的」でした。ほとんど練習を見れていません。走るメンバーは気持ちが先走る。予選では3区間ともバトンが届かない。2走の時点で「オーバーゾーン」かと思うくらいの状況。3走に関しては完全に止まりました。それでも「ダメだ」と思うくらいのバトン。こんな状態は見たことがありません。失格を覚悟しましたが「バトンだけ残っていた」と言われたようです。奇跡。準決勝も2か所バトンがきちんと渡らない。それで48秒7だったか。「6番以内に入る」というところが目標でした。タイムは関係ない。まずは中国に進むこと。ここだけです。

 

2日目は400両選手が出場する。どちらも「痛み」や「違和感」はあります。それでも多くの人に支えてもらいながらレースに出場することができました。タイム的には全くですが1位と3位でなんとか中国大会へ。ここに関しては本当に「出場できない」と感じていたのでさすがに涙が出ました。保護者も選手も同じような気持ちだったと思います。なんとかつなぐことができた。「大げさに書いている」と思われるかもしれませんが、本当に「絶望感に包まれる」状況でした。あえて周りには言いませんし、言える状況ではありませんでした。

 

マイルの予選は「400選手なし」で出場。タイム的には2人が居なくても予選は通過すると信じていましたが不安要素の方が大きかった。人数が少ないので100m選手2名が走る。後の2人はいつもピンチになったら走ってくれる2年生とマイルを走ったことのない3年生。3年生に関しては通常の練習で後半大失速する場面が多い。走り切れなかったら大変なことになるというのはありました。それでもやるしかない。最後の120mくらいはジョグレベルのスピードになってしまいましたがよく走ってくれました。ギリギリのところで耐えてくれました。

 

マイルの決勝は本当にどうなるか。もちろん、勝ちに行くというのは必要なことです。400選手は投入。足の痛みもあるので最大スピードで走れません。それでも走ってもらう必要がある。申し訳ないなと。400mH選手は走ることも微妙なので。レースに関しては細かく書きません。しかし、アンカーの400選手が意地を見せてくれました。追いついて抜きつ抜かれつのレース。最後は同タイムで着差ありで優勝。タイムはとても書けませんが、きちんと走り切れました。400H選手の代わりは100H選手。何とか走り切ってくれました。

 

こんな状況でした。ハードルのことを別に書きたいなと思ってはいますが。が、ここでトラブルは終わらないという悲惨な状況が続きます。とりあえず、ここまでにしておきます。久々に長く書いたかも。すみません。

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