それなりに。
色々と思うこともあり、少しくらいは「自分のために」何かしたいなという気持ちが強くなっています。これまでの生き方を振り返ってみて常に自分自身を犠牲にしてやっている感じがある。それって本当に「正しい」ことなのか。陸上競技や教育に関わることで「やるのが当然」という感じになってしまっています。「kanekoがやるのが当たり前」という部分に対して流石に疑問を持つようになっています。別に感謝されるわけでもない。あまりにも「理不尽」だと思うことが多すぎてもういいなという感じが強くあります。
水曜日の練習で走練習をしました。今やりたいと思っている動きの部分を最初に実施。これは補強的な要素も入ってきます。ここを徹底的にやる。「走練習」をメインにしようと思えばやはり他の時間を削る必要があります。これまでは「走練習」の時はドリルなどの部分はほとんどやらずにそのまま走練習に入るという感じでした。しかし、走練習の量に関しては以前のように求めなくなっているのでできる限り質を高めて走っておきたいなというのがあります。正しい動きをしながら走練習ができるのが理想。これも試行錯誤なのかなと。
40分程度動きの確認に時間を割いてから走練習へ。短い距離のT走と120mのT走を実施。風のこともあったのでできる限り追い風で走れるようにしました。私がタイヤをスタート地点まで運ぶという感じで。これも本当はこんなことしないほうがいいなと感じています。何でもかんでも「やってもらう」というのはよくない。与えられた環境の中でどうすれば一番の練習ができるのかをある程度判断させることも必要だと思っています。今更ながら「必要最低限のこと」をやるようにしようと思っています。ほとんど休まずに走りました。
最後に往復走。距離的には50m程度です。40秒に1本走る。これだけでそれなりの負荷になります。もっと走ったほうがいいのかもしれません。以前のように量を追わなくなっているのでどこに正解があるのか分かりません。1本の質をできるだけ高めて走る。スピードレベルを落として何本も走るというのでは狙いたい動きができないからです。これも正しいのかどうか。テンポ走的な練習をもっとやるようにしたほうがいいという意見もあると思います。目の前の人たちを見ながらどう判断するかだと思っています。
基本的には「動き」と「筋力」だと思っています。これをどれだけ時間をかけて習得させるか。面白くはないと思います。トレーニングに関してはきつい。エンジョイ高校ライフとは真逆かもしれません。それは仕方ないことなのかという気もしています。何かをやろうと思えば何かを犠牲にする。全てを手にすることはできないからです。そう考えると本当に私自身は多くのことを犠牲にしてきたなと思います。正しくないなと。自分自身が生きている時間を常に人のために使うということ。それは一見「美徳」のような気もしますが、結局「自己満足」でしかない。何も残らない。
だからこそ考えていきたいなと思っています。自分自身がどのように行動するか。活動するか。批判をする人もいるでしょう。そうであれば「あんたがやればいい」というだけ。自分自身の人生を犠牲にして何かを成し遂げる。他者のために尽くす。そして気が付けば何も残っていない。それって幸せなのかなと。空っぽになるだけ。
時代は大きく変わってきています。以前の考え方が通用しなくなっている。世の中がこれまでとは全く違う流れになっている中で、「教育のために人生をささげる」というのはもう合っていない。私が何かをすることで「世の中が変わるかもしれない」と思っていましたが、結局何も変わりません。自分自身の負担が増えて嫌な思いをすることが増えるだけ。ここに関してこれからどうするか。真剣に考えています。自分自身を優先する時間があってもいい。強くそう思います
まとまりませんが。記録しておきます。