中国総体が終わりました。本当に厳しい厳しい戦いでした。順調に来ていたはずが一気に流れが崩れ去りました。全ては私の責任だと思います。細かいことは選手たちの状況もあるので書きません。そうなるとこのblogの価値があるかどうかという話にもなるのですが。
前の記事にも書きましたが県総体の週にエース級の2人が走れなくなりました。個人種目でなんとか中国総体に進むためにやれることは全てやりました。本当に奇跡だと思っていました。何とか中国総体に繋げることができた。が、県総体終了後その2人が体調不良になりました。1人は土曜日までもう1人は日曜日まで練習ができない。怪我からの回復のために県総体の週は何もできませんでした。走れるかどうかの話だったので。その状態からほとんど動けない状況での1週間。心肺機能もですが筋力的な低下も著しいと思います。走ることができたのは中国総体の10日位前だったか。全く動けない状態からの練習。見ていて申し訳ない気持ちしかありませんでした。
中国総体、レースに出るだけという感じになってしまいました。個人種目は0。複数名が個人でのIHを狙っていたのでこれは選手たちにとって受け入れがたい現実だったと思います。最終日に「確実視」されていた種目でも決勝でアクシデントが起きてIHに進むことができませんでした。準決勝で追い風参考ながら13秒台に入る。決勝は優勝候補にも挙げてもらって途中まではかなりの記録が狙る走り。先頭とほぼ一緒のタイミングで走っていました。アクシデントが起きて結果8位。どのような言葉をかけたらいいかも浮かばない状況でした。本人は本当につらかったと思います。現実を受け入れることが難しい。
リレーも私自身の判断ミスでした。アンカーに故障明けの選手を投入。動きが緩慢ではありましたが走れると判断しました。が、最大スピードは出せませんでした。良いときの動きから比べると6割くらいの動きしかできない。走れると判断した私の責任だと思います。とはいえ、代わりになるメンバーがいないというのも事実でした。ここを目指してやってきた。それなのにこの舞台で納得できる走りをさせてあげられなかった。この時点でもう指導するべきではないかなという感覚さえありました。逃げるというのではなく「責任を取るべき」だと感じていたからです。それでも最後まで戦う姿勢だけは持たないといけない。どうするのか。
2日目のヨンパで全く走れない。それでもIHを狙うにはリレーに出場するしかない。メンバーを決めるときにかなり悩みました。2年生の100m選手とヨンパ選手。通常考えれば100m選手のほうが走れると思います。それでも最後は3年生の想いの強さに賭けたいと思いました。自己中心的な考え方だったかもしれません。何が何でもIHへという部分なら「リスクを負う」必要はないからです。それでも「責任は私がとる」という言葉かけをして3年生を使うことに。生徒たちにとって「IHに進む」というのは大きなことです。万が一、私の起用法で上手くいかなかったら・・・。責任を取るといっても何ができるのか。それでも「背中を押す」ことしかできなかった。予選、昨年度56秒台で走ったエースが全力で走って61秒8でした。本来の走りとは程遠い。この走りでIHを狙うというのは不可能に近い。それでも賭けました。
準決勝も全く同じ走順。1走と2走がかなり走ってくれました。ここで流れができたのであと粘ることができた。3走は60秒5くらいだったでしょうか。予選よりは・・・という感じですが本来の走りとは全く違う。アンカーに長距離選手を配置して乗り切りました。昨年と同じようにプラスでした。
この状況で「どうにかしてIHに進む」ということを考えました。アンカーは長距離選手のほうが良いだろうなと判断。6位になればいい。そうなった時に他のチームはアンカーにある程度の選手を配置している。3走までにある程度の差をつけておけば追いつかれても最後粘れるだろうなと。長距離にIHに連れて行ってもらうというわけにはいきません。しっかりと自分たちで走ってどうするか。レース展開は狙い通り。1走が粘ってくれました。最高の走りとは言えませんが今持てる力を全員が出し切ったという感じでした。倒れ込むくらいの感じでしたが本当に奇跡的に6番に入ってIHへ。感動しました。同時に申し訳ない気持ちしかありませんでした。
ありがとう。申し訳ない。この二つの言葉しか出てこない。この子たちのために何もしてあげられなかったという無力感。虚無感だけが自分を包んでいる感じがします。本当に情けない話です。IHで決勝、日本一へという目標を掲げていた個人種目でIHに進めなかったというのは私の責任です。どこかで振り返らないといけない部分あります。
事実は残しておきます。応援してくださった方々には本当に申し訳ない限りです。申し訳ありませんでした。