碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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残念な大作だった、松本清張ドラマスペシャル「砂の器」

2011年09月13日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

『日刊ゲンダイ』連載中の番組時評「TV見るべきものは!!」。

今週は、テレビ朝日の松本清張ドラマスペシャル「砂の器」について書きました。


オリジナル性を出そうとして
しくじった大作「砂の器」


先週末、テレビ朝日の松本清張ドラマスペシャル「砂の器」が2晩に渡って放送された。

原作が書かれたのは50年前。

74年に公開された映画版は日本映画史に残る名作の1本だ。

ドラマ化は今回が5度目となる。

制作陣は原作と映画を踏まえてオリジナル性を打ち出そうとしていた。

まず原作や映画で物語を牽引していたベテラン刑事(小林薫)の比重を下げ、若手の吉村(玉木宏)を軸にしたことだ。

若い視聴者狙いだったのかもしれないが、ドラマ全体が軽くなってしまった。

次に「原作にはあるが映画には登場しない」人物を出してきたこと。

犯人に近い評論家(長谷川博己)がそれだが、あまり有効に機能していない。

映画化の際、脚本家の橋本忍や山田洋次が省略したのは正解だったと言える。

そして、このドラマ最大の問題点は、「原作にも映画にも登場しない」人物として、玉木と親しい女性新聞記者(中谷美紀)を設定したことである。

玉木は中谷とベッドをともにするだけでなく捜査の現場に同行させるのだ。

新聞記者をはべらせて聞き取りを行う刑事などあり得ない。

しかも捜査のアドバイスまで受けてしまう。

中谷の存在は明らかにマイナスだった。

もう一つ。

「吉村は絶望しかけた」などと登場人物の感情を安易に説明していく
ナレーションにも違和感があった。

残念な大作だ。

(日刊ゲンダイ 2011.09.12)