碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

何でも僕に訊いてくれ、なんてとても言えない

2008年07月18日 | 本・新聞・雑誌・活字
大学の先生をしていると、学生からいろいろな相談を受ける。昨日はゼミに当たる「プロジェクト」の日だったから、研究生である4年生からの相談だ。まだ内定が出ていない学生からは就活(就職活動を略したもので、あまり好きな言葉じゃないが、大学では完全に一般化した)に関すること、内定を確保した学生からは卒業研究に関しての相談が多い。

就職について言えば、4年生のこの時期に「困ってるんです」と相談に来るのは、それこそ困ったものでありまして、3年生の今くらいに相談に来てくれると、かなり有効なアドバイスができる。とはいえ、4年生も必死なので、じっくり話を聞いた上で、かなり厳しい指摘や、明日にもやるべきことを伝える。

糸井重里さんだったか、佐藤可士和さんだったか、とにかく広告関係の誰かが言っていた。クライアントからの相談をじっくり聞くのは、医師が患者の(自分の症状に関する)話を聞くようなものだ。その話の中に「問題」や「課題」が詰まっていて、同時に「問題解決」のヒントもある、と。

学業、就職、恋愛、人生と、様々な「課題」をもった学生がやって来るたび、こちらが自信をもって「何でも僕に訊いてくれ」と言えたら、どんなにいいだろうと思う。そう、加藤典洋さんの新著『何でも僕に訊いてくれ』(筑摩書房)を手にとったのは、そういう理由からだ。

しかし、いきなり「あとがき」で笑ってしまった。このタイトル、「著者としては、少し恥ずかしい」そうで、しかも「読んでもらえばわかるが、半分はやけくそである」だって。あー、よかった。

いやいや、それは謙遜であり、本編を読むと、どんな質問にも、斜に構えたり、韜晦で逃げを打ったりせず、きちんと「正眼の構え」で答えておられる。

たとえば、優れた映画批評とは?と問われて、「それを読んでその映画が見たくなるような映画への「戻し」効果(?)をもつ批評」と答える。うん、そうかもしれない。

人に対して用いる「二分法」を訊かれると、「偉い人」と「偉くない人」という不思議な回答。そして、どうも自分は「偉くない人」のほうに惹かれているな、と感じるそうだ。面白いのは、この二分法は、人に対してだけでなく、モノに関しても適用できるという。詳細を知りたい方は、本書で。

この本は、「Webちくま」での連載をまとめたものだ。すでに第一弾として『考える人生相談』が出ている。文芸評論家で早大教授の加藤さん。『言語表現法講義』や『テクストから遠く離れて』などの著書は、学芸書でもあり、けっしてやさしいものではないが、こちらは読みやすい文章と楽しめる内容になっている。

何でも僕に訊いてくれ―きつい時代を生きるための56の問答
加藤 典洋
筑摩書房

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考える人生相談
加藤 典洋
筑摩書房

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誰もが「ホームレス中学生」や「バスジャック中学生」になるわけじゃない

2008年07月17日 | 日々雑感
日々、いろんな事件が起きるが、自分も含め、世の人々がだんだん驚かなくなっているような気がする。慣れなのか、麻痺なのか、諦観なのか。もしかしたら、今や「たいていの事は起きる」世の中なのだと、皆、わかってきたのではないか。もちろん、いいことではないが。

昨日、「14歳の中学2年生がナイフを持ってバスジャック」というニュースが流れたときもそうだ。「あるかもねえ」というのが第一印象。やるに事欠いてバスジャックというのも微妙に情けない。ほとんど始めから袋小路みたいな犯罪だからだ。バスなのに行き場がない。たいてい破綻して、成功も完結もしない。

どこかに行きたくてバスジャックをする中学生はあまりいないので、何かのアピールか、主張か、単なる憂さ晴らしだろうと思ったが、結局「自分をしかった親への嫌がらせ」であり、「家庭をぐちゃぐちゃにしたかった」し、「世間を騒がせたかった」のである。

まあ、確かに「ぐちゃぐちゃ」になるだろうね。いや、もしかしたら、すでに「ぐちゃぐちゃ」なのかもしれない。何しろ、ごく普通の、当たり前な、真っ当な家庭から、「ホームレス中学生」はもちろん、「バスジャック中学生」が登場してくる確率は、あまり高くないのだ。

このタイプの事件が起きた際にアリガチだが、安易に「少年を生んだ社会に問題あり」みたいな論調で語らないほうがいいと思う。・・・などと、勝手に憤っているのは、たぶん、小谷野敦さんの新著『猫を償うに猫をもってせよ』(白水社)を読んだせいだろう。このエッセイ集でも、小谷野さんは、世の中のあれやこれやに対して怒り、遠慮なく物を言っている。読む側が心配になるくらいだ。

畠山鈴香の事件を語る中で、「現代日本では、顔がよくても学歴がなければ女も結婚市場で高値はつかない」(『シングルマザー幻想』)。

横山光輝の歴史漫画が原作の存在を表示をしないことにからめて、「小説家が、中年を過ぎて自分独自の主題がなくなってくると、歴史小説を書き始めるというのは、よくあることだ」(『横山光輝「三国志」の原作』)。

浦沢直樹の漫画『PLUTO』をめぐっては、「分かっているくせに驚いてみせるのが、提灯持ち評論というものである。あとはただ、いかにもなサスペンスものの構成。どこが面白いんだ」(『最近、マンガがつまらない』)。

ほかにも『野田聖子の手前勝手な夫婦別性論』など、ビシバシと蹴りが入るような厳しい文章が並ぶ。

しかし、きちんと読むと、いずれも単なる暴論ではない。世の人々が、何となく思っていながら言葉にできていなかったことを、また気がつかずに通り過ぎようとしていたことを、正面から語っているのだ。『禁煙ファシズム』もそうだったけれど、普通、怖くてなかなか出来ません。がんばれ、小谷野さん。

猫を償うに猫をもってせよ
小谷野 敦
白水社

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かつて暮らした町と家の記憶はなぜかやわらかい

2008年07月16日 | 本・新聞・雑誌・活字
高校を卒業し、大学生となって上京するまで、ずっと親元に住んでいた。実家は商売をしていたから、「父親の転勤で引越し」みたいなことは一度もなかった。

一人暮らしを始めて最初に住んだのは、大学に近い下宿屋で、これが東横線の日吉だ。それ以降は、何度か引越しを経験している。東急大井町線の大岡山(東工大がある)。渋谷区神山町(道の向かい側はNHK)。そして、一旦、信州の小諸(教員の独身寮)に移って、また東京へ。今度は渋谷区の富ヶ谷。その後も、あちこち移り住んできた。

振り返れば、それぞれの町、それぞれの家に、それぞれの思い出がある。とはいえ、記憶はかなり薄れてきていて、細かい道筋や住宅の配置など、かなりあやしい。

その点、四方田犬彦さんの記憶力、また再現力はすごい。明治学院大教授で映画史の教鞭をとる四方田さんには、自らが住んだ町を舞台にした『月島物語』などの著書があるが、新刊『四方田犬彦の引っ越し人生』(交通新聞社)は、少年時代からの「引越し体験」と「住んだ町と家の記憶」を綴ったものだ。

55歳の現在までに、海外も含め17回も住まいを変えている四方田さんだが、私が一番興味深く読ませてもらったのは、1970年代の渋谷界隈をめぐる記述だ。区役所通りが「公園通り」になっていった頃・・・。

それは、1973年に上京し、東横線沿線に住んでいた当時の学生としては当然で、銀座も新宿も、もちろん池袋もあまり馴染みがなく、「街」といえば渋谷だったのだ。この頃、渋谷のどこかで、そう、大盛堂の本屋さんとか、駅裏の古本屋さんとかで、少し年長の大学生である四方田さんとすれ違っていても不思議ではない。

ある町に暮らしたり、ある家に住んだりすることが、都会では、かなり偶然性による部分が大きい。「たまたま」ってやつだ。ところが、後から思うと、その町、その家で暮らしたことが、自分に小さくない影響を与えていたりする。四方田さんのこの本を読んでいると、数十年ぶりで、以前住んでいた場所を訪ねてみたくなった。

四方田犬彦の引っ越し人生
四方田 犬彦
交通新聞社

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月島物語
四方田 犬彦
集英社

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月島物語ふたたび
四方田 犬彦
工作舎

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実相寺昭雄監督を特集した番組を見た後で

2008年07月15日 | 日々雑感
昨夜(14日夜)、20時から21時半まで、NHKハイビジョン特集「肉眼夢記・実相寺昭雄異界への招待」を見た。触れ込みによれば「ウルトラマンを演出した奇才の脳内世界。創造の源を京極夏彦が探る」ということだった。

京極夏彦さんと「メトロン星人」が案内役。ちなみに、メトロン星人は実相寺監督の『ウルトラセブン・狙われた街』に登場して、セブンと<四畳半の部屋>で向かい合ったことで知られている。

スタジオでの出演者は、実相寺作品の常連で、親友でもあった俳優の寺田農さん。『呪怨』の清水崇監督。評論家の唐沢俊一さん。そして、女性弁士の山崎バニラさん。番組全体としては、実相寺監督の生涯を追いながら、作品の解釈をしたり、実相寺ワールドを再現したりしていた。

この手の番組は、これまで相当な数を見てきたし、『乱歩の見た夢』というタイトルで番組を制作したりしてきた。ただ、自分が長い間接してきた人物に関して、こうした番組が作られ、それを見るという体験は、あまりない。監督の写真や映像、そして何本かの作品の、いくつかの場面を見ながら、確かに懐かしくはあるのだが、正直言って、複雑な気分だった。

監督をよく知る寺田さんや、カメラの中堀正夫さん、美術の池谷仙克さん、音楽の冬木透さん、また『ウルトラマン』の飯島敏宏監督などが語るときは大丈夫なのだ。ところが、たとえば京極さんが(さすが京極さんらしい)見事な解釈を披露したり、スタジオで唐沢さんが(これまた唐沢さんらしい)ウンチクを述べたりしているのを聞くと、何となくお尻がムズムズし、落ち着かなかったのだ。

それは、「なるほど、上手いことを言うもんだなあ」と感心しつつ、申し訳ないけれど、「でも、そうなのかねえ」と、少し冷ややかな目で、それらの「ご高説」を聞いている部分があった。

1981年に初めてお会いして以来、2006年に監督が亡くなるまでの25年間、様々な形で接してきたことによる、自分なりの「監督と監督の世界」という実感がそうさせるのかもしれない。また、自分が見てきた「監督の素顔」というものがあるからかもしれない。まあ、所詮「不肖の弟子」の独り言みたいなものなのだけれど・・・。

監督といえども、いや、監督だからこそ、これからも繰り返し、様々な解説や、解釈や、評価などが登場してくるのだろう。しかし、自分にとっての師匠であり、大のつくファンでもある監督が、こうして、ことあるごとに思い出され、また新たなファンを獲得していくのは嬉しいことなのだ。

実は、つい先日購入したのが、ちくま文庫の新刊『昭和電車少年』だ。7年前に出版された単行本の内容に、その出版後に書かれた何本ものエッセイが加えられており、”実相寺本”の愛読者には嬉しい1冊となっている。

監督と一緒に東京の各所を歩き、長崎や東北などの国内を回り、海外にまで旅をしたが、その間、とにかく鉄道や電車の話になると、本当に楽しそうだった。今夜は、この文庫を読みつつ、”昭和の電車少年”を偲ぼう。

昭和電車少年 (ちくま文庫 し 5-5)
実相寺 昭雄
筑摩書房

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昭和電車少年 単行本
実相寺 昭雄
JTB

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宇宙飛行士の目線はシュールな快感

2008年07月14日 | 本・新聞・雑誌・活字
疾風怒涛の北海道行きの後なので、さすがに昨日の日曜は少し休憩モード。

で、”休憩の友”にと取り出したのは写真集の新刊だ。ミコラス・チータム:著、古草秀子:訳『宇宙から見た地球』(河出書房新社)。とはいえ、寝転がって見るには、縦27センチ・横25センチとやや大きく、そして少々重いけどね。

これ、最新の衛星画像データを惜しげもなく使い倒した、高精度な写真集なのだ。だから、宇宙飛行士の目線で地球を眺める快感を味わえる。

俯瞰で見るヒマラヤ山脈やガンジス川の美しさと怖さ。そう、美しいだけじゃなくて、見ていると怖くなるような壮絶な風景なのだ。また、巨大な大地の中では、人間の住む都市が、まるで異物のように見えてくるから不思議。

「自分もこんな星に生きてるんだなあ」と思いながらページをめくっていると、ちゃちな悩みなんか吹っ飛ぶ(かも)。日夜稼動している脳細胞の疲れを、じんわり揉みほぐしてくれる、驚異の風景だ。

宇宙から見た地球
ニコラス・チータム
河出書房新社

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疾風怒濤の”短期決戦”北の旅

2008年07月13日 | 映画・ビデオ・映像
昨夜、「札幌1泊2日の旅」から無事帰還した。

金曜の昼に千歳空港に到着し、そのまま札幌へ移動。午後はHTB北海道テレビ『イチオシ!』に生出演。終了後、ホテルにチャックインし、再び街へ。

放送関係の方々と、行きつけの串揚げ屋さんで少し遅めの夕食。というか、飲みながら、やっぱりテレビ談義、仕事談義だ。こうゆうのがまた楽しい。さらに場所を変えて、今度は放送関係の方がやっているお店へ。そこで初めて会う方々ともお話をして、飲んで、ホテルに戻ったら2時でした。

しかし、朝は8時に起床。朝食後、チェックアウト。そのままスガイシネプレックス札幌劇場へ。ここで全国に先駆けての「先攻(先行じゃなない)」上映が行われている『ギララの逆襲~洞爺湖サミット危機一発(髪じゃない)』を見るためだ。

『ギララの逆襲』は、『日本以外全部沈没』『ヅラ刑事』などで知られる河崎実監督の作品。河崎監督といえば、4月に新宿で行われた特殊映画イベント「アリコンのバカデミーSHOW」のゲストとして出演された際、ご挨拶している。ほんと、映画というフィールドで、できる限りのバカバカしいことを、バカバカしいくらい本気でやってしまう人なのだ。

この『ギララ』も、怪獣映画・特撮映画へのあふれんばかりの愛情が満杯状態。サミット開催中の北海道に、突然ギララが現れる。G8首脳たちは、それぞれの国の威信をかけて「必殺技」を繰り出すが、ことごとく失敗。結局、ギララを倒すのは、ビートたけし演じる謎の守護神「タケ魔人」なのだ。って書いていても、そのバカバカしさと、監督の”本気度”が甦ってくる。

怪獣映画・特撮映画のファンにとっては、40年前と同じように「ギララ」をスクリーンで見られるのが嬉しい。それと、出演者がまた泣かせてくれるのだ。初代『ウルトラマン』の黒部進さん。このときウルトラマンのスーツの中に入っていて、次の『ウルトラセブン』ではアマギ隊員を演じた古谷敏さん。『キャプテンウルトラ』の中田博久さん。67年の松竹映画『宇宙大怪獣ギララ』の主演・和崎俊哉さんなどが総出演なのだ。彼らを一人でも多く知っていれば知っているほど、楽しめる。それにしても、まあ、よく集めたこと。

札幌の街をギララが破壊する。逃げ惑う市民。でも、画面をよく見ると、市民が悲鳴をあげながら逃げている道は、私がこの映画を見ている札幌劇場の前の舗道なのだ。思わず笑った。笑ったといえば、各国首脳のパロディや、ザ・ニュースペーパーの面々が風刺を効かせて演じる日本の首相や元首相にも大笑いだった。

河崎監督も、例によっての「出たがり」で画面に登場していたし、まあ、監督ご本人が一番見たい映画で、また、ご本人が一番楽しんでる映画ではないかと思った。

ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発 オフィシャルフォトブック

文苑堂

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映画鑑賞後は、ススキノにある行きつけの蕎麦屋さんで昼飯。6年間、千歳から札幌に来るたび、このお店で必ず食べてきた「鴨せいろ」だ。食後は、すぐ隣にある、これまた行きつけの古本屋さんで、100円均一ワゴンと店内の棚のチェック。ああ、至福のひととき。

しかも、100円均一ワゴンで、25~30年前に出た「手塚治虫全集」(講談社・全400巻!)の端本(はぼん)10数冊を発見。即、購入。この中の1冊である『紙の砦』には、高校1年生のときに雑誌「COM」で読んだ記憶のある作品「トキワ荘物語」も入っていた。ちょっと感激。

紙の砦 (手塚治虫漫画全集 (274))
手塚 治虫
講談社

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そして、古本屋さんを出てから向かったのが札幌ドームだ。午後2時から、ドームでファイターズ対ソフトバンクの試合があることを、突然、知ったのだ。タクシーで駆けつけたら、間に合ってしまった。当日券も買えた。

私は6年間も「北海道民」だったのに、一度もドームに入ったことがなくて、ファイターズの試合もナマで見たことがなくて、ずっと残念に思っていたが、それが、ついに実現したわけだ。

FMノースウエーブ「なんてったって大人塾・リターンズ」の生放送が4時過ぎからあったので、3時40分にはドームを出て、札幌駅近くまで戻らねばならない。結局、試合は4回までしか見られなかった。

しかし、何と、スレッジの満塁ホームランも、稲葉さんの2ランも、しっかり観客席から見ることができたのだ。いやあ、興奮したなあ。初めて、見知らぬお姉さんたちとハイ・タッチもしたし。

ドームからノースウエーブへと急ぎ、もちろん生放送にも間に合い、ヒロさん、ケイコさんと一緒に、さっきまで見ていたドームの試合や、『ギララ』や、小説『優しい悪魔』&減煙体験といったお話をさせていただいた。

出番が終わって、局の近くのラーメン屋さんで夕食をとり、札幌から千歳空港へ。千歳から羽田へ。羽田から我が家へ。ということで、「疾風怒濤の”短期決戦”北の旅」が終わったのでした。ほんと、濃かった。北海道の皆さま、お世話になりました。

大人の「放課後」はいつまで続くのだろう

2008年07月12日 | 本・新聞・雑誌・活字
羽田もそうだったけど、千歳空港も人でいっぱいだった。世間は旅行シーズンなのかねえ。

北海道は梅雨がないのだが、昨日は雨。それでも、この時期の関東のじとじとした雨とは違うような気がするから不思議だ。

そういえば、って全然関係ないけど、内田けんじ監督作品『アフタースクール』を見た。いや、関係なくはない。たぶん北海道に来て、大泉洋さんを連想したのだ。北海道では、全国の人々が想像できないくらい、「大泉洋とその仲間たち」は一大勢力なのである。

さて、大泉さん主演の『アフタースクール』。わざと、まったく予備知識なしで見て、大正解。いやあ、面白かった。

出演:大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、常盤貴子、田畑智子など。

大泉洋さん演じる中学校の教師を訪ねてきたのは、同じ中学の同級生だという佐々木蔵之介だ。佐々木の仕事は探偵で、やはり同級生だった堺雅人を探しているという。人のいい大泉は、佐々木につきあって、堺を探し始める。堺は、一体何をして、どこに行ってしまったのか・・・。

前半は、少々やきもきした。いや、ちょっと退屈かな、などと思った。ところが、後半からギアがトップに入ると、もう目が離せなくなった。見ながら先の展開を読もうとするが、そうは問屋がってやつだ。後はもう、内田監督の思うがまま、ゴールに向かって引き回されていった。

男優3人が、どんぴしゃのハマり方。大泉洋は、ドラマよりも格段にいい。佐々木蔵之介の怪しさも際立っていた。堺雅人は『クライマーズ・ハイ』に続いて見たことになるが、ほんと、何にでもなっちゃう感じだ。あと、田畑智子もドラマのときより田畑智子らしい。

もちろん、それもこれも内田監督の脚本・演出がしっかりしているおかげだ。

まずは「やられたなあ」という快感。そして、先日見た『歩いても 歩いても』とは別の意味で、「やるなあ、日本映画」である。

アフタースクールへようこそ!―映画『アフタースクール』OFFICIAL BOOK (Gakken Mook)

学習研究社

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文庫本に入った「最後の講演でサヨナラ」

2008年07月11日 | 本・新聞・雑誌・活字
『文藝春秋』2月号での特集「見事な死 阿久悠から黒澤明まで著名人52人の最期」が、再編集されて文春文庫『見事な死』となり、昨日発売された。

文庫になる際、52人から48人へと人数は減ったが、私の淀川長治さんについての証言「最後の講演でサヨナラ」も収録されている。

98年10月7日、病と闘っていた淀川さんが、決死の覚悟でしてくださった慶應での講演会。それから約1ヶ月後の11月11日にお亡くなりになったため、この講演が人生最後のものとなった。

あれから、ちょうど10年になる今年。淀川さんとの思い出が、文庫本となって残ることになったのは本当に嬉しい。やはり一つの「ご縁」のような気がするのだ。

見事な死 (文春文庫 編 2-37)

文藝春秋

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<テレビ・ラジオ出演>

さて、今日11日(金)の午後、HTB北海道テレビの「イチオシ!」に、ゲスト・コメンテーターで生出演させていただく。放送は、午後3時45分から。

そして、明日12日(土)はFMノースウエーブ「ステーション・ドライブ・サタデー」だ。私の出番である「なんてったって大人塾」は、午後4時15分から30分間の予定で、こちらも楽しい生放送。

北海道で、見ることができる、聴くことができる方は、ぜひ。

ものごとを普段とは違う角度から見つめるということ

2008年07月10日 | 本・新聞・雑誌・活字
NHK朝の連ドラ『ふたりっ子』『オードリー』、大河ドラマ『功名が辻』などの脚本家、大石静さんの最新エッセイ集『ニッポンの横顔』(中央公論新社)を読む。昨日が小石さんで今日は大石さん、って別に意味はない。久しぶりの単行本で、しかも大石さんのエッセイは面白さの”歩留まり”がいいのだ。

世間の大半の人が右と言うとき、「私は左だと思うな。うん、断然左だね」と言ってくれる人は貴重で、大石さんのエッセイにはそれがある。

チャールズ皇太子とカミラ夫人の再婚話がイギリスで不評だったころ、大石さんは「私はいいと思う」とつぶやいている。公立高校での履修単位不足が話題になれば、「学校だけが悪いと叫ぶ人は、決定的におかしいと思う」と言い切る。(それらの理由は、ぜひ本書で)

また、映画や小説の宣伝で「絶対泣けます」「涙が止まりませんでした」と煽れば、「本当に感動したら、むしろ呆然としてしまって、泣けないと思う」とバッサリ。これこれ、これがいいのだ。大石さんが書くドラマにも、こうした「世間のお約束」を裏切ることで生まれる「リアル」が、地雷のように隠されている。だから面白い。

この本の巻末の一編は『飛んだ風船』。街で見かけた光景・・・子どもが風船を空に飛ばしてしまい、泣いていた・・・から、大石さんは、その子のこれからの人生を思う。そして、こう書く。

 「絶望は一人で引き受け、一人で立ち直っていくしかないのが人間だ」

そうかもしれない。たぶん、そこから人間の(リアルな人生の)ドラマが生まれるんだよな、と思った。

ニッポンの横顔
大石 静
中央公論新社

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まるでマジックのように現れた「世界初」の小説

2008年07月09日 | 本・新聞・雑誌・活字
「小石至誠」という名前を見て、すぐに分からない人も多いと思う。またの名をパルト小石さん。というか、マジックの大御所「ナポレオンズ」のお二人のうち、小さいほうの人(失礼!)、もしくはメガネで大柄の人(ボナ植木さん)じゃないほう、という説明で納得してもらえるかもしれない。ちなみに、至誠は、まんま「しせい」と読む。

6年前、北海道の大学に赴任する直前まで、プロデューサーとして制作していたのが『マジック王国』(テレビ東京)という番組だ。当時、ほとんど忘れられていたマジックというジャンルで、しかもレギュラー番組を作るというのは冒険だったが、そ後「マジックブームへの道を拓いた」ということで、マジシャンの協会から表彰されたりしてしまった。

嬉しかったのは、マジックという自分の好きなものを番組化できたこと。そして、クロースアップ・マジックの前田知洋さんも、コミカルな藤井あきらさんも、イケメン系のセロさんも、かわいい山上兄弟も、たくさんのマジシャンの方々が、みんなこの番組で多くの人に知られるようになったことだ。

この”日本初のマジックのレギュラー番組”『マジック王国』が成功だったとしたら、それは番組の司会と監修を務めてくださった、ナポレオンズのお二人のおかげなのだ。

そんな小石さんの小説が発売された。タイトルは『神様の愛したマジシャン』(徳間書店)。ご本人の弁によれば「おそらく世界初の、プロのマジシャンが書いたマジシャン誕生の物語」である。

ひとりの少年が、プロのマジシャンを目指して歩んでいく物語。五木寛之さんの小説『青年は荒野をめざす』の主人公ジュンはジャズのミュージシャンを目指して世界を放浪するが、こちらの主人公・誠の場合はマジシャンだ。

そもそも、誠のお父さんがプロのマジシャンで、その名を北岡宇宙という。ちょっと特殊な環境で育ったことになるが、子どもの頃から自然にマジックに親しんできた誠は、大学でもマジック・サークルに入る。そこでの4年間が物語の軸だ。

世界のマジックと日本のマジック。プロのマジシャンとマジックのアマチュア。マジックを見せることと見ること。いや、そもそもマジックとは何なのか・・・。

小石さんが持っている、マジックに関する知識や技術、さらに哲学や美学といったものが、この小説には散りばめられている。ある時は父であるマジシャン・北岡宇宙の口を借りて。またある時は誠自身の言葉となって。

この作品は稀有なマジック小説であると同時に、少年の成長物語であり、父子物語であり、爽やかな青春物語でもある。どんなに難しいマジックも、まるで軽々とやっているように見せるのが小石さんの技と美学だが、この小説も、そんな小石さんのスタイルが貫かれていて見事だ。

神様の愛したマジシャン
小石 至誠
徳間書店

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伝説のヒーローたちと一緒に見た夢

2008年07月08日 | 本・新聞・雑誌・活字
うーん、弱い。このテの本には弱いのだ。だから、本屋さんでタイトルを見たとたんにレジまで行っている。本日の獲物(って、どっちが捕獲されたのか、わからんが)は、岩佐陽一さんの新著『昭和特撮大全~蘇る伝説のヒーローたち』(三才ブックス)だ。

帯のうたい文句がいいじゃないの。なんてったって<『月光仮面』誕生50周年記念出版>である。そうか、50周年。そんなの、いったい誰が数えていたのか。「世のため人のために『昭和特撮大全』も末永くヒットしますよう願っております」という、主演の大瀬康一さんの「推薦の弁」も泣ける。もう買うしかないではないか。

登場する”昭和の特撮ヒーロー”たちは・・・
30年代:月光仮面、怪傑ハリマオ、遊星王子、隠密剣士など
40年代:ウルトラマン、光速エスパー、仮面ライダー、シルバー仮面など
50年代:秘密戦隊ゴレンジャー、仮面ライダーストロンガーなど
60年代:美少女仮面ポワトリン、うたう!大龍宮城など

まあ、壮観である。現代の「SFX」はもちろん素晴らしいが、「特撮」の味も(子ども時代に刷り込まれていることは承知で)また捨てがたいのだ。

岩佐さんの、愛情あふれる解説文がいい。そして、ヒーローごとに添えられたモノクロ写真もまたいい。これまでに見たことのないスチルも結構あるぞ。

『ウルトラセブン』の章で、監督の欄に、円谷一(はじめ)監督の次に、我が”お師匠さん”実相寺昭雄監督の名前がある。当然だが、『シルバー仮面』の監督一覧ではトップだ。ああ、今度、お墓参りに行こう。

寝る前に、枕元でランダムにページをめくってみる。それだけで、いい夢が見られそうな気がするのだ。

昭和特撮大全―蘇る伝説のヒーローたち
岩佐 陽一
三才ブックス

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「新人賞」受賞作は、いつもスリリングなのだ

2008年07月07日 | 本・新聞・雑誌・活字
本を選ぶとき、「受賞作」というのは、かなり気になるものだ。芥川賞・直木賞クラスだと、何はともあれ読んでおくとか、おさえておく、みたいなことになる。

微妙なのが「新人賞」で、ときどき、「あれれ・・」という作品にぶつかったりする。そんなときは、「選んだのは誰だい?」と選者に文句を言ったりして。また、逆に「この人が選んだ新人なら」と、書店で手を伸ばしたりもする。

さて、「小説宝石新人賞」受賞作である『草葉の陰で見つけたもの』(光文社)だ。しかも、この新人賞の第1回。さらに、受賞者の大田十折(おおた・とおる)さんは22歳ときた。

ここはもう選考委員に頼るしかない。この賞は、奥田英朗さんと角田光代さんである。書き手としてはもちろんだが、読み手として、そして選者として、私は信頼している方々だ。

その「推薦の辞」が、また凄い。奥田さんが「奇想天外。この新人作家は天才かもしれないので、みなさんご注意を」だって。おいおい、天才とか言っちゃっていいの?いや、何か裏(まさかホメ殺し)はないのか?などと考え込んだりして・・・。

角田さんは「ぶっとんだ想像力と、それを言葉にする繊細な力。この作家は、今まで見たことのない世界に読み手を連れていってくれる」。これもかなりの賛辞だ。想像力、繊細、見たことのない世界、と並べば、これは読んでみるしかないよね。

で、『草葉の陰で見つけたもの』を読んでみた。おお、やるやる。くるくる。

舞台は戦国時代。ある有名な武将の居城に、”こそ泥”に入ろうとして、捕まった男あり。その天才的武将に首を刎ねられるところで、意識を失う。やがて気づいた男。何と、自分の首が胴体から離れ、板の上で「さらし首」になっていた。しかも、自分という意識は保ったままだ。その時、一人の女が男に近づいてきた・・・。

22歳の大田さん、天才かどうかはともかく、奇想天外な作品であるのは確か。また、角田さんの評価は、まんま当たっていた。男が意識する肉体感覚などが、文章を通じて、こちらに伝わってくる。その奇妙な現実感は、なかなか得がたい代物だ。「文学ならでは」の体験・体感がここにある。

草葉の陰で見つけたもの
大田十折
光文社

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小説から映画へ、男たちの熱が伝わる『クライマーズ・ハイ』

2008年07月06日 | 映画・ビデオ・映像
原田眞人監督の映画『クライマーズ・ハイ』が公開された。原作は『半落ち』の横山秀夫さんの小説で、エンドロールには「文春文庫版」のほうでクレジットされていた。

昭和60年の夏に起きた日航機墜落事故。現場である御巣鷹山が群馬県だったことから、地元の新聞は中央紙に負けじと独自取材でがんばった。まさに、その地元紙(上毛新聞)の記者として事故の取材に当たったのが、横山さんだったのだ。

この小説が世に出たのは5年前であり、事故から18年を経ていた。横山さんがこれを書くまでに、それだけの時間を必要としたということだ。確かに重い題材だったと思う。

原田眞人監督といえば『金融腐蝕列島〔呪縛〕』を思い出す。「組織と個人の葛藤」というテーマは、今回の映画でも生きている。いや、一層ダイナミックに描き出される。原作よりも、新聞社内部の”熱気と混沌”に、より軸足を置いているのだ。

堤真一(好演)が演じる取材責任者や、実際に御巣鷹山に登り、自分の目で現場を見てきた記者・堺雅人(熱演)はもちろん、ワンマン社長(山崎努)、編集や販売のトップたちも、なにやら「ヤクザの出入り」(東映作品だし)のような雰囲気とテンションの中でうごめいていた。

映画の中で、新聞社の中にまだパソコンがなく、原稿用紙に手で書きなぐっていることに、あらためて驚く。そういえばケータイもまだない。記者が現場から送稿するのに公衆電話を使っているのだ。アナログ時代と言わば言え。人間が取材し、人間が記事を書く。つまり、人間が新聞を作っているということが強く伝わってくる。

それにしても、再現されたこの航空機事故の修羅場には、思わず息をのむ。また、それを伝えようとしたジャーナリストたち、いや古い言葉でいえばブンヤさんたちのエネルギーにも圧倒された。

今、日本映画が元気だ!ということを実感する快作だ。

クライマーズ・ハイ (文春文庫)
横山 秀夫
文藝春秋

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<減煙コーナー・最終回>
垣谷美雨さんの”禁煙小説”『優しい悪魔』が取り上げていた「減煙法」を試してみようという、ほんの出来心で始めた減煙チャレンジ。

開始が6月24日。そして今日、7月5日。思い出せないほど久々に、タバコをまったく吸わない1日を過ごした。これが今回のゴールだ。

吸うタバコが普段より大幅に少なかったこの10日ほどの間、辛いときも何度かあったが、思ったほどにシンドイということはなかった。これが意外。

一方、やはりノドは楽だった。「エヘン」という咳払いも少なかった。これは気持ちよかった。

それと、減煙に関して、「やろうと思えば、こうして出来るんだなあ」という実感は、結構貴重かもしれない。タバコなど些細なことかもしれないが、自分で自分をコントロールしている感覚も悪くなかった。

とにかく、今回の目標だった「まったく吸わない1日を体験する」は達成できた。味わった。これから先、タバコとどう付き合っていくかは、まだ決めてない。どうなるか、また楽しみでもある。

このコーナーも店じまいだ。まずは、おつかれさま! そして、何ものかに感謝。

あっちもエコ、こっちもエコと、まあ、うるさいこと

2008年07月05日 | 本・新聞・雑誌・活字
洞爺湖サミット、迫る。別名「環境サミット」というわけで、開催国ニッポンは、あっちもエコ、こっちもエコと、まあ、うるさいこと。

商品のCMを見ても、売りはやっぱりエコが中心だ。JRでさえ、「新幹線は他の交通機関よりもエコなんですよ」という内容のCMを打ち始めた。エコにあらずんば善人に非ず、優良商品に非ずだ。

最近はコンビニの24時間営業までやり玉にあげられている。テレビの深夜放送は、すでにNHKでは政府の意向を”忖度”して、一部「自粛」しているが、この営業時間短縮もどれだけエコ的に効果があるのか、疑問だ。

とにかく、海外(というか特にアメリカ)に対して、「ウチもちゃんとやってます」という、いい顔をしたいのだろう。

武田邦彦さんの近著『偽善エコロジー~「環境生活」が地球を破壊する』(幻冬舎新書)を読んで、大いに溜飲を下げた。

政府もエコ、企業もエコ。今の日本はエコという一神教に支配された国だ。ならば、この本は神をも恐れぬ危険な一冊ということになる。

武田さんによれば、レジ袋を使わないのは、エコならぬ単なる「エゴ」だそうだ。なぜなら、レジ袋は石油の不必要な成分を活用した優れものだから。また、プラスチックのリサイクルは危ないという。リサイクル品の「毒物含有」と「劣化」が、とても危険なのだ。

さらに、温暖化はCO2削減では防げないことも科学的に説明されて納得。

資源材料工学の専門家である武田さんは、「環境のため」ではなく、「人生のため」の生活に切り替えることを提案している。うん。それならやってみたいではないか。

偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書 (た-5-1))
武田 邦彦
幻冬舎

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<減煙コーナー>
昨日は1本だった。泣いても笑っても1本。これは、夜、吸いました。「ここまで来たんだなあ」の感慨はもちろんあったが、それよりも「明日からは吸わなくてもいいんだなあ」の気持ちのほうが強かった。

減煙を続けてきたこの10日くらいで分かったことの一つが、自分はタバコを吸いたくて吸っていたのではなく、「吸わねばならない」「吸うものなのだ」という、まるで使命感のようなものに勝手に動かされて吸っていた、ということだ。

自由だったはずの「タバコを吸う」という行為が、いつの間にか、ずいぶん「不自由」を自分に強いていたように思えたのだ。まさに思い込みかもしれないが、確かにそう思えた。一種の発見だった。

今日(5日)は、本当に何年ぶり、いや何十年ぶりで「タバコを吸わない1日」となる予定。1日でもいいから、これを体験してみたかった。ようやく、その「歴史的1日(笑)」がきた。さて、どんなだろう?

辺境の旅が好きな人は面白くって少しヘン

2008年07月04日 | 本・新聞・雑誌・活字
「旅が好きか」と聞かれたら、何と答えるか。その回答によって、その人の生まれや育ち、性格みたいなものが、かなり分かるんじゃないかと思う。また、行き先として都市や街が好きか、地方や田舎を選ぶかでも、人柄の一端が見えてきそうだ。

ならば、「辺境」を志向するのは、どんな人間なのか。つい「高野秀行さんみたいな人」と言いたくなる。『辺境の旅はゾウにかぎる』(本の雑誌社)は、”辺境ライター”高野さんの新著だ。

ミャンマー(ビルマ)を舞台とする話が中心で、どれも抱腹絶倒の可笑しさ。アヘンの”名産地”に滞在し、生活するうちにアヘン中毒になったり、ヤマアラシの肉を食べたり、日本への急な帰国のため悪戦苦闘したりする。そして、高野さんは「さあ、大変」などと思いつつも、明らかに楽しんでいる(ようにみえる)。これが”辺境体質”か。

中でも傑作なのが、バイク12台を仕立ててのテレビ取材の話だ。「This is 辺境」という感じのミャンマーの山岳地帯を、原チャリみたいなのが群れとなって走りまくる光景を思い浮かべるだけで、十分笑える。しかも、高野さんが後部座席に乗ったバイクのブレーキが壊れ、坂道を突進していくのだ。まあ、よく生きて帰ったものだと思う。

この本には、複数の対談も収録されている。旅好きの作家・角野光代さんや、高野さんにとっては早大探検部の先輩でもある船戸与一さんなどが相手だ。そういえば、作家の西木正明さんも早大探検部出身だった。何だか、大変な梁山泊だ。先輩たちに倣って、高野さんもいずれ小説を書き出すのだろうか。ちょっと読んでみたい気がする。

辺境の旅はゾウにかぎる
高野 秀行
本の雑誌社

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<減煙コーナー>
2本が規定数の昨日は、結局、午前中で吸い終わってしまった。たった2本なんだから、当たり前か。その後は、どうしたか。タバコの存在自体を忘れたふりをしていたのだ。そう、「ふり」。

しかし、実際に「ない」わけで、そりゃ買いに行けば手に入るが、うまい具合に研究室のある建物と、タバコが買える店が入った建物とが結構離れている。面倒くさい。授業などで立て込んでもいた。で、行かなかった。忘れたふりをしたまま、吸わなかった。

もしかしたら、毎日20本だった人が、これだけ減らしてきたので、「ニコチン欲しい」体質も、渋々減退してきたんじゃないだろうか。希望的観測かもしれないけど。

今日は1本となる。1本なんて、吸わないのと同じみたいだが、「1本ある」というのと、「ゼロ」とは、きっと違うと思う。いつ吸うかを楽しみにしているが、その1本を吸い終わったときの感じが予測できない。「終わりだあ」と嘆くのか、「やったあ」と喜ぶのか。いや、買いに走るかもしれない。さてさて。