碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

じんわりとしみてくる「朝倉ワールド」の滋力

2008年07月03日 | 本・新聞・雑誌・活字
昨日(2日)、朝日新聞夕刊の一面下に、朝倉かすみさんの『田村はまだか』(光文社)の広告が、どどーんと出ていたので驚いた。どうやら、TBSの「王様のブランチ」で、「今年度上半期要注目作品」として紹介されたらしい。

次々と出てくる新刊を読んでいると、ついこの間読んだ本のことさえ忘れてしまいそうになる。『田村はまだか』は今年の2月に出た本。もう懐かしい。でも、この小説のことは、よく覚えている。とてもよかったからだ。読了後、家族にも薦めたので全員が回し読みしている。

そうそう、2月には、まだこのブログを立ち上げてはいなかったのだ。

深夜、路地の奥にある小さなスナックに5人の男女が集まっている。小学校の同級生で、皆40歳。クラス会の3次会だった。そして彼らは田村を待っている。店に向かっているはずだが、現れない。ふと誰かが口にする。「田村はまだか」・・・。

田村は小学校時代から不思議な男だった。父親はいない。男出入りの激しい母親との二人暮らし。年中ジャージを着て、頭は虎刈り。だが、勉強はできたし走るのも速い。とはいえ、田村が皆から一目置かれていたのは、一人だけどこか大人の風格があったからだ。「孤高の小6」だった。

実に巧妙な小説である。そこにいない田村のことを各人が想い、同時に「忘れられない人」「自分に影響を与えた人」のことを振り返る。それは会社の先輩だったり、年下の“恋人”だったりする。共通するのは「その人がいなければ今の自分はない」と思えるような人物であることだ。深夜のスナック、昨日と今日の境目で、彼らの過去と現在とが交錯していく。それにしても田村はどうしたのか。

朝倉さんの作品の特徴である小気味いい短文の連打と、深い情感をさりげない言葉に託す表現に、益々磨きがかかっている。

田村はまだか
朝倉 かすみ
光文社

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朝倉さんの作品を初めて読んだのは、2005年11月の『肝、焼ける』(講談社)だった。上手い!と思った。新人とは思えないほど、独自の小説世界を巧みに構築していた。こういう嬉しい”出会い”があるから、「本読み屋」はやめられないのだ。

第72回「小説現代新人賞」を受賞した表題作を含む本書は、朝倉さんの初作品集だ。主人公の「わたし」は、年下の男と遠距離恋愛中の独身女性31歳。相手の自分への気持ちがつかめない。そんな「肝、焼ける(じれったい)」状態から脱したくなって、男が住む北の町へとやってきた。

会うまでの微妙な時間を過ごす銭湯や寿司屋。これまでの仕事や恋愛の回想が、ほろ苦くも愛しい。そして、ついに男と向き合う瞬間が近づいてくる。

朝倉さんの文体の特長は、短いセンテンスの連打にある。観察と表現に齟齬と遅延がなく、リズムが心地よい。また、ヒロインの眼から見た若い男女、中高年の男女がリアルでユーモラスだ。そして、全作品に共通するのは、30代女性の日常と本音をすくい上げる力の確かさである。新人とはいえ、すでに自分の「ポジション」を持っているのだ。

他には、小さな田舎町の小さな事務所で働く独身女性の心の軌跡を優しく描いた「コマドリさんのこと」(北海道新聞文学賞受賞作)。同僚である40代独身女性たちの恋や不倫を眺めながら、自身も揺れている若い女性がヒロインとなる「一番下の妹」など、いずれも30代女性の“普通の生活”が非凡に描かれている。

肝、焼ける
朝倉 かすみ
講談社

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<減煙コーナー>
もしかしたら、このまま「ゼロ本」まで行けるかも、と思えてきた。昨日は3本ということで緊張していたが、意外や、無事1日を乗り切ってしまった。

あらためて認識したのは、「食事をしたら吸う」とか「会議の後は吸う」とか、自分に対して勝手に「決まりごと」を作っていたんだなあ、ということ。「吸いたいから」というより、「吸うことになっているから」吸う、といった具合だったようだ。習慣って、そういうものなのかもしれないけど。

今日は2本だが、もはや、どのタイミングで吸うとかいう問題じゃなく、きっと、「あ、今日の分、終わっちゃった」という感じで、それ以上は抵抗しないような気がするのだが、どうだろう。

84歳の現役作家・江川晴さんから元気をいただく

2008年07月02日 | 本・新聞・雑誌・活字
江川晴さんが、『小児病棟』で第1回読売「女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞」優秀賞を受けたのが1980年。このとき、24年生まれの江川さんは56歳だったことになる。その後、何作もの医療小説を書いていらしたわけだが、健筆ぶりは84歳の今も変わらない。もちろん、新作の『麻酔科医』(小学館)もそうだ。

主人公は新米の麻酔科医・神山慧太。南関東医療センターに赴任してきた慧太が、最前線の医療現場で悪戦苦闘しながら、少しずつ一人前の麻酔科医へと成長していく物語だ。

その物語の中では医療事故も起こる。死亡してしまう患者もいる。私生活では恋愛もある。しかし、小説としての背骨は、あくまでも「現場」にある。その現場で、医療従事者たちが毎日必死になって格闘している姿をこそ、描きたかったのだと思う。

江川さんは、長く看護師として働いてきた経験をもつ。主人公の慧太に大きな影響を与えている元看護師の祖母は、まるで江川さんご自身のようだ。医師としての自信を失いかけた慧太に、戦争中、K大学病院の新人ナースだった自分の体験を語って聞かせる。

それは足に大怪我をしている患者に対して、麻酔なしでその足を切断した手術の話だ。「あのころを思うと、慧太さん、あなたがやっていなさる麻酔科医療は、なんと尊い仕事か」。

もう一つ、祖母の言葉。麻酔科医は、完全に無抵抗な人間となった患者の「代弁者」だというのだ。「患者のために最善を尽くす、患者の立場になって考え行動する、という医師の本分を、これほど、具体的に表現し実践しなければならない診療科はほかに無いのでは・・・」。

やはり、この慧太の祖母は、江川さん自身に違いない。

麻酔科医
江川 晴
小学館

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<減煙コーナー>
昨日の手持ちは4本。朝食後に1本摂取。残りの3本しか持たずに大学へ。昼食後に1本。そして、午後の長かったこと。帰宅して夕食後に1本。夜は原稿書きがあるので、1本をキープしておきたかったのだ。原稿完成後にそれも吸い終わって、キワキワだったが、なんとか完走。

少し変ってきたと思うのは、自分が、この状況を面白がっているらしいという点かも。

昨日から、全国的にタバコ自販機は、カードの「タスポ」が必要になった。この減煙を始める以前に、タスポを作るのが面倒で、なんだかシャクで、結局作らなかったのも、丁度よかったみたい。本日(2日)は、いよいよ3本なり。

映画と小説、それぞれの『歩いても 歩いても』

2008年07月01日 | 映画・ビデオ・映像
是枝裕和監督の新作映画『歩いても 歩いても』を見てきた。味わいのある佳作だった。見てよかった。

ある夏の日。海辺の町の、老夫婦(原田芳雄と樹木希林)だけで暮らす家に、娘(YOU)夫婦と次男夫婦(阿部寛と夏川結衣)が、それぞれ子ども連れで集まってくる。この日は、若くして亡くなってしまった長男の命日だったのだ。

みんな、それぞれに事情も、思いもあり、言うこと、言わないこともある。そんな登場人物たちの気持ちを巧みに書き込んだ脚本は是枝監督によるもの。おかげで、見ていて、微笑や苦笑の連続だった。

そして、なんといっても、樹木希林が圧倒的。この年齢の、こうした境遇の母親を、細部までものの見事に現出させている。とぼけた味の原田芳雄もいい。また、次男と「子連れ再婚」した夏川結衣のたくましさも好ましかった。

テレビのホームドラマとも違う、やはり映画ならでは、という”読後感”で外に出た。


小説は、阿部寛の次男が「僕」として語っているため、映画よりも内面については、分かりやすい。これはこれで、独立した作品ということだ。

歩いても歩いても
是枝 裕和
幻冬舎

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<減煙コーナー>
1日5本。なんとか耐えたが、やはり、きつかった。もはや配分とかいう問題じゃなく、午後には規定数を吸い終わってしまい、その後は水やコーヒーなどで紛らわせるなど、大変。

再度、いや再々度、減煙挑戦のきっかけとなった垣谷美雨さんの小説『優しい悪魔』のあちこちのページを開く。

「小学生だった自分はタバコを吸っていなかった!
 自分にもタバコを吸わない時代があったのだ」

そんな当たり前のことに、主人公の佐和子の思いがいく。元々、水や空気と違って、摂取しなくてもよかった物質じゃないか、と自分に言い聞かせたいのだ。その気持ち、分かる。ということで、今日(もう7月だあ!)は、4本の日だ。おお!