あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第136回

2025-02-03 11:20:03 | Weblog

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第136回

 

西暦2025年睦月蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第435回

 

久し振りに『紅白』をニョロニョロ見物。「緑黄色社会」の長屋晴子の曲と歌唱、星野源の「ばらばら」、氷川きよし、高橋真梨子は良かったが、ラストの3人、とりわけ福山某とミーシャとかいう女の低能歌詞と阿呆莫迦歌唱は、聴くに堪えない最低最悪。あれが『紅白』トリとは酷すぎる。1/1

 

先行する若手親戚組に追いつこうと朝夷奈峠に登ろうとしたが、途中で力尽きひとりで引き返す。歳は取りたくないものなり。1/2

 

ひとたび命終すれば速やかに忘却されるが、誰かが想起した時だけは、ただちに蘇ってつかの間の友となる。1/3

 

なんと安全保障上の理由で、ニッポンの製鉄屋がアメリカの製鉄屋を合併できないんだって。するてえと日帝最愛の同盟国であるはずの米帝は、日帝によるパールハーバーの再来を危惧しているってか。ずいぶん買い被られたもんだぜ。1/4

 

私の遺言である「佐々木眞詩歌全集」が底をつき、市中在庫は、アマゾンの2冊と鎌倉駅西口の「たらば書房」の1冊だけとなった。1/5

 

商品は自分で市場に行くことはできないし、自分で自分たちを交換し合うこともできない。だから我々は商品の番人、商品所持者を探さなければならない。商品は物であり、従って人間に対しては無抵抗である。もし商品が従順で無ければ、人間は暴力を用いることが出来る。言い換えればそれを捕まえることができる。岡崎次郎訳「資本論第2章」より1/6

 

商品は自分を価値として実現しうる前に、自分を使用価値として実証しなければならない。なぜなら商品に支出された人間労働は、ただ他人にとって有用な形態で支出されている限りでしか数に入らないからである。ところがその労働が他人にとって有用であるかどうか、したがってまたその生産物が他人の欲望を満足させるかどうかは、ただ商品の交換だけが証明することが出来るのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/7

 

ただ社会的行為だけがある一定の商品を一般的等価物にすることができる。だから他の全ての商品の社会的行動が、ある一定の商品を除外してこの除外された商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表すのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章

(承前)このことによってこの商品の現物形態は社会的に認められた等価形態になる。一般的等価物であることは、社会的過程によってこの除外された商品の独自な社会的機能になる。こうしてこの商品は、貨幣になるのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/8

 

東京に自宅があるという元プロレスラーの富山県知事が「能登半島マラソン」なるいかにもな計画を発表したが、そんな悠長な噺の前に、現場責任者の知事として、今どのように具体的に復興と取り組んでいるのかを聞きたい。1/9

 

貨幣的結晶は、種類の違う労働生産物が実際に互いに等置され、従って実際に商品に転化される交換過程の必然的な産物である。交換の歴史的な広がりと深まりとは、商品の本性のうちに眠っている使用価値と価値との対立を展開する。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/10

 

この対立を交易のために外的に表そうという欲求は商品価値の独立形態に向かって進み、商品と貨幣とへの商品の二重化によって最終的にこの形態に到達するまでは少しも休もうとしない。それゆえ労働生産物の商品への転化が実現されるのと同程度に商品の貨幣への転化が実現されるのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/11

 

浅尾とか三反園とか広瀬とか河村とか、元は民主党出身であったり、無所属で反ジミン候補と戦ってきた政治家が、いともあっさりとジミンや右派政党に転向するのは、どういうことだろう。志操がないのかジミンも民主も一つ穴の貉なのか。1/12

 

どういう風の吹き回しか朝日俳壇に初めて入選した。「柚子ふたつ我に近づく柚子湯かな」(長谷川櫂選5席)。「ゆずどものつかずはなれえずうかびけり」(高山れおな選7席)1/13

 

商品交換がその局地的な限界を打ち破り、従って商品価値が人間労働一般の物質化に発展してゆくにつれて、貨幣形態は生来一般的等価物の社会的機能に適している諸商品に、貴金属に、移ってゆく。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/14

 

貨幣商品は純粋に量的な区別が可能なもの、つまり任意に分割することができ、その諸部分から再び合成することができるものでなければならない。ところが金銀は生来これらの属性を持っているのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/15

 

「立木で縁取られた広大な庭園の中で、夏の夜霧に濡れた芝の上を思いっきり駆け巡る恋する女をめぐって、あすこで鳴っていたのはBGМではない。匂うような夜の沈黙の中で音楽の精が踊る、その音だった」by吉田秀和(映画「恋人たち」とブラームスの第一弦楽六重奏)1/16

 

貨幣商品の使用価値は、二重になる。それは、商品としてのその特殊な使用価値、例えば金が虫歯の充填や奢侈品の原料に役立つというような使用価値のほかに、その独自な社会的諸機能から生ずる一つの形態的価値を受け取るのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/17

 

他のすべての商品はただ貨幣の特殊的等価物でしかなく、貨幣は他の諸商品の一般的等価物なのだから、他の諸商品は一般的商品としての貨幣に対して、特殊的諸商品として相対するのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/18

 

ヨハンネスの求愛に対するクララ・シューマンの反応は曖昧である。少なくとも後世の目にはそう見える。ヨハンネスとクララの40年にわたる往復書簡集にはいくつかの欠落したページがあるが、その大部分はクララが自分の手紙を即刻破棄するよう望んだからである。吉田秀和「ブラームス」1/19

 

ガザ停戦は朗報だが、悪辣非道なイスラエルは、パレスチナ人皆殺し政策を撤回していないので安心できない。人質全員が解放された段階で総攻撃に転じるのではないだろうか。1/20

 

「アメリカ第一主義」を絶叫するトランプの狂気に隷従するより、この際日米安保条約を破棄して、「自分本位」の進路を主体的に選び取るほうが、よほど真っ当な行き方だと思うのだが。1/21

 

たかが一国家の繁栄のために、移民を殺し、環境を破壊し、生と性を壊し、世界を敵に回すなら、全世界がお前を滅ぼすだろう。1/22

 

どの商品もそうであるように貨幣もそれ自身の価値量をただ相対的に他の諸商品で表すことができるだけである。貨幣自身の価値は貨幣の生産に必要な労働時間によって規定されていて、それと同じだけの労働時間が凝固している他の各商品の量で表現される。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/23

 

一商品は、他の商品が全面的に自分の価値をこの一商品で表すので、初めて貨幣になるとは見えないで、逆にこの一商品が貨幣であるから、他の諸商品が一般的に自分たちの価値をこの一商品で表すように見える。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/24

諸商品は何もすることなしに自分自身の完成した価値姿態を自分の外に自分と並んで存在する一つの商品体として眼前に見いだすのである。これらの物、金銀は地の底から出てきたままで同時に一切の人間労働の直接的化身である。ここに貨幣の魔術がある。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/25

 

テレビドラマの主役の多くが刑事や検事や警官である。報道機関はみな警察にデスクを持っているし、警察を身内の組織と思っているから、一朝事あらば報道機関も民衆も徹底的に取り締まる暴力装置とは夢にも思っていないのだ。1/26

 

数多い悪徳後見人を罷免できるように改定されない限り、現行の成人後見人制度は、直ちにその運用を停止すべきだ。1/27

 

人間の中で最も善良な要素が残されている最後の空間、それは障害者とその関係者がいる空間なので、健常者たちが主流を占め、清濁を併せ呑む世間は、そのことの特異性と貴重さに刮目しなければならない。1/28

 

本当は隠しておきたかったのだが、某放送局が某人気タレントに忖度して、自社の若い女性を人身御供に捧げたことが明るみに出たため、世間の総スカンを喰らったので、周章狼狽して仕方なく外部に調査を頼んだり、トカゲのシッポ斬りをしたりしているところ。1/29

 

長い間文章を書き続けていても、「これは我ながら良いことをうまく言い当てた!」と思えたことがないのは悲しいことだ。1/30

 

一物体が絶えず他の一物体に落下しながら、また同様に、絶えずそれから飛び去るということは、一つの矛盾である。楕円は、この矛盾が実現されると共に、解決される諸運動形態の一つである。岡崎次郎訳「資本論」第3章1/31

 

Xもソフトバンクもメタメタもおかしなおかしな独裁者に靡く 蝶人

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