照る日曇る日 第2166回
2022年に創元社から出た「定本宮柊二全歌集」を読んだのだが、それは1956年(昭和31年)作者44歳までの全作品で、第5歌集「日本挽歌」までは収録されていたが、それ以降の「多く夜の歌」「藤棚の下の小室」「濁石馬」「忘瓦亭の歌」、死後に妻宮英子の編集で世に出た最終歌集「緑金の森」「純黄」「白秋陶像」はいっさい含まれていなかったので、作者の全貌を知ることはできなかった。
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会社勤めから解放され、精力的に作歌した「藤棚の下の小室」「濁石馬」「忘瓦亭の歌」では浪漫的な抒情歌よりも冷静に生を見つめた写生歌の秀作が多い。
走りゆく炎の後にあらはれて黒く潤ふごとき焼け跡
萌えいでし若葉や棗は緑の金、百日紅はくれなゐの金
岩盤が水に入りゆくその岸に羊歯繁りつつ飛沫に揺るる
合歓のはな紅生ぐさく咲きつぎて家族七人顔古び生く 「藤棚の下の小室」
川水に泉の見えて新しき水うごきつつ砂たえず舞ふ
採血の済みたる耳を抑へ戻る二十年斯く切られの柊二
単純に単純に歌を作さんとしどろどろとせる心を鎮む
きさらぎの風通りつつ梅の花咲き満たんとする多摩の横山
一日に五首づつ詠むと決めてきて老人なればもう駄目だ 「濁石馬」
しかしながら、最晩年の「純黄」「緑金の森」「白秋陶像」については、作者が苦しめられた病気と怪我、そこに起因する体力、気力の減退、そして何よりも小生と同様の老衰の意識が災いしてか、はっきりいうて「純黄」における作者の代表作「中国に兵なりし日の五ヵ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」を除くと、蛇の抜け殻のような「軽みと脱力」の歌しかないと思う。だからそこがいいのだと強弁されるかも知れないが。
頭を垂れて孤独に部屋にひとりゐるあの年寄りは宮柊二なり「緑金の森」
中国に兵なりし日の五ヵ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ「純黄」
「コスモス」を創刊して昭和の短歌世界を牽引した宮柊二は、その前途をわが奥村晃作に託して、1986年(昭和61年)74歳で永眠した。
キンギョーエー、キンギョーエーと呟けり頻尿で2時間おきに起こされて 蝶人