あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

紅葉山やぐらと東勝寺橋

2007-10-02 09:45:55 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語81回

宝戒寺の奥には昭和8年1933年に発見された「紅葉山やぐら」がある。

この附近のやぐらは鎌倉・室町の上層階級の墳墓と考えられているが、ここからは五輪塔、納骨堂、さらに海蔵寺と同様の十六井戸が見つかった。

そして平成11年1999年の大崩落の際に、神奈川県教育委員会の調査で、ここが北条執権ゆかりの納骨個所であることが確認された。

紅葉山やぐらに渡る橋から滑川の下流を眺めると、鎌倉で現存する最も古い赤くて瀟洒なな東勝寺橋が見える。

最近これを味けないコンクリート橋に架け替えようとする計画が発表されたようだが、四季折々の見事な景観を維持するために、どうかこのままにしておいてほしいものである。

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鎌倉の宝戒寺を訪ねて

2007-10-01 16:25:09 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語80回

この寺の一帯は北条義時の代に一門の屋敷が築かれ、その後歴代の得宗家が最後の執権十六代守時の代までここで総指揮を執った。三つ鱗は三菱ではなく、北条家の家紋である。

その後、北条氏打倒の命を下した後醍醐天皇が北条一門の怨霊鎮護のために足利尊氏に命じて同じ場所に建てたのがこの宝戒寺である。

その後醍醐天皇を滅ぼした形になった足利尊氏が、亡き天皇の慰霊のために京都に建立したのが天龍寺であるから、思えばこの二つの寺は不思議な縁によって結ばれているともいえる。

本堂には本尊の菩薩像のほかに梵天像、帝釈天像、不動明王などが安置されており、境内右には2世普川国師が鎮護国家を祈念して歓喜天を安置した大歓喜天堂、左には北条氏を供養する宝篋印塔が建てられ、さらに本堂を巡る庭園には、正月の羽子板の羽根の重石に使われるムクロジュなど、四季折々のさまざまな花や植物が植えられている。

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