あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

大野和士指揮リヨン国立の「夜鳴きうぐいすウグイス」を視聴して

2012-06-15 06:55:13 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第265回

ベルギーのモネ劇場を経てリヨンオペラのシェフに就任した大野の実力を遺憾なく発揮したストラビンスキーの2010年エクサンプロバンス音楽祭のオペラ公演ビデオです。

指揮もいいし、曲もいいのだが、ロベール・ルパージュによる演出と人形、影絵が最高で、観客の心を遠い昔の中国の宮廷に飛ばしてしまい、しばらくは現実に戻ってこれなくなったほどの幻想力の猛威を振るうのです。

最近は行きすぎた演出が音楽の良さを台無しにするオペラが多いのですが、こういう見事な演出なら大歓迎です。

それにしても大汗かいて泣いていた佐渡裕なぞより遥かに実力のある大野を招かないベルリン・フィルって、馬鹿じゃないだろうか。

夜鳴きうぐいす:オリガ・ペレチャトコ、料理人:エレナ・セメノヴァ、死神:スヴェトラーナ・シロヴァ、漁師:エドガラス・モントヴィダス、中国皇帝:イリヤ・バニク、侍従:ナビル・スリマン、僧侶:ユーリ・ヴォロビエフ
演奏:リヨン国立歌劇場管弦楽団、合唱団、指揮:大野和士
人形製作:マイケル・カリー、人形振付:マルタン・ジュネスト、影絵製作:フィリップ・ボウ 演出:ロベール・ルパージュ



これよりは皇族もパンは己で稼ぐべしさなきだに平成の民の貢は日々重ければ 蝶人
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岩井俊二監督の「市川昆物語」を見て

2012-06-14 08:17:44 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.259

映像作家としての市川昆に感動したことはない。けれどもこの映画を見て、彼の作品を「東京オリンピック」まで支えた和田夏十の人柄とシナリオについての思いを新たにした。

映像の職人の長きに亘る活動を背後から支えていたのは、じつに美しく聡明な女性だった。

岩井は繊細な編集技巧を駆使して尊敬する先達の生涯と作品の軌跡を追っている。


寒い朝葉に止まるルリシジミに息を吹く掛けるとうれしそうにじっとしていた 蝶人

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ラファエル・クーベリック指揮「偉大なる交響曲集」を聴いて

2012-06-13 07:26:36 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第264回

お馴染みソニーの超廉価盤でクーベリック指揮バイエルン放送交響楽団の名コンビによるモザールの後期交響曲やシュウマン、ブルックナーを聴きました。

70年代のパリで彼らの「リンツ」とマーラーの4番を耳にして思わず落雷じゃなくて落涙したことがあるけれど、こうゆうスタジオ録音ではそういう霊感の降臨はないのが残念無念。やはりベームやバーンスタイン、クレンペラー、ムラヴィンスキー、テンシュタットやクーベリックはライヴで燃える人なのです。

この7枚組だってどれも悪い演奏はないけれど、強いて挙げるならブルックナーの3番と4番が面白かった。が、やはりギュンター・ヴァントには一籌を輸する。彼ならモザールの40、41はもっと感動的な演奏が出来るはず。きっとスタジオでは緊張しまくりだったに違いない。



いきなり誰かに刺されないよう気をつけながら新宿を歩きました 蝶人

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行定勲監督の「遠くの空に消えた」を見て

2012-06-12 11:05:20 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.258

物語はとうとう完成した空港の一角にうずもれた1足の靴型から始まる。

ちょっとに似た少年少女思い出物だ。最初から脚本と音楽のコンビネーションが拙劣で一体これはどうなるのか先が危ぶまれたが、三日月が満月に膨らむ頃には監督の脳髄に浮かんだ夢と浪漫の幻想譚は次第に大きな輪郭を描きはじめ、人力飛行機が夜の森に舞う。

ヒコーキは高級物理学上では飛行できないのに、それを可能にするのは飛ぼうとする意志であるというシナリオは日ごろのわたくしの考えと一致していてうれしかった。ラストは冒頭に戻って予定調和の美しい円弧を描く。


自公民駄目民社駄目その他も皆駄目と思う心の皐月闇 蝶人


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中島哲也監督の「下妻物語」を見て

2012-06-11 07:07:03 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.257


嶽本のばらの原作を中島哲也が映画化した快速ジェットコースター&スラップスティックワンダーランドムービー。下妻のロリータちゃんに扮した深田恭子とヤンキーに扮した土屋アンナの圧倒的な怪演を引き出した監督の手腕には脱帽の他はない。

驚きと緊張と笑いが凝縮した短いシークエンスを次々に積み重ねていく手法は長丁場で失速する危険をともなうものだが、この中堅ディレクターは恐るべき膂力でなんとかかんとか持ちこたえ、あっと驚く大団円になだれ込むことに成功している。

深キョン一世一代の大啖呵はじつに見事だが、冒頭のバイク交通事故でどうして死んでしまわないのかはちと疑問。死んで花実を咲かせる展開になるのかと観客は思うに違いなし。




歌も人間も失敗作のほうが味がありますね 蝶人
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NHKミュージック・ポートレート「山本耀司×高橋幸宏」を見て

2012-06-10 08:15:10 | Weblog


バガテルop155&音楽千夜一夜 第263回&ふぁっちょん幻論第70回

老境を迎え最後の後退線を懸命に戦う山本耀司の人世の応援歌は、中島みゆきの「ヘッドライト、テールライト」の「旅はまだ終わらない」というルフランであり、彼が人世の最期に聴きたい曲は、中島みゆきの「愛だけを残せ」だと言いながらいつのまにか涙目になっている無惨というも愚かな姿を見た私は、思わず目頭が熱くなるのを覚えた。

若き日の革命的な成功は徒遠い日の打ち上げ花火と去り、老残の身に襲いかかるのは破綻した事業と華麗なキャリアのおとしまえ。耀司はいま栄光に包まれた己の過去を振り返り、「僕はこれまで誰か一人でも幸せにすることができただろうか?」と呟くと、相方の高橋幸宏も涙ぐんで言葉も無い。

「愛だけを残せ 壊れない愛を 激流のような時代の中で 名さえも残さず 生命の証に 愛だけを残せ」と中島みゆきの唄は耀司を励ますのだが、耀司は「鏡に向かって笑ってみたら 男の抜け殻が写ってた」といつのまにか年老いた少年のように、平成の浦島太郎のように、悲しく頬笑むのだった。


犯人は捕まらなくても構わない防犯カメラは即止めるべし 蝶人

日本全国防犯カメラ基本的人権肖像権ゼロ 蝶人

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レナード・バーンスタイン著「バーンスタイン わが音楽的人生」を読んで

2012-06-09 09:19:20 | Weblog


照る日曇る日 第519回

原題は「Findings」という素晴らしいタイトルなのに、なんでこういう邦題になってしまうのだろう。彼は生涯に5冊の本を書いたそうだが、これが最後の著作で、いわば自叙伝的な作品であるという。それは良いとしても彼のハーヴァード大学の卒論やら誰それへの書簡やら日記のようなメモやらエッセイやインタビューやスピーチやらの集積が時系列で並べてあるだけで、統一的な視点はまるでない。いわば玉石混交の寄せ集めであるが、多くの細石に混じってたまにきらりと光る原石も散見できるので、大のレニーファン出ない人にもそれなりの存在理由もあるのだろう。

イスラエル・フィルの指揮者になることを決意した折のインタビューで、「自分は国家主義者ではない。あらゆる国境や境界線が撤廃され、パスポート、関税、検問、國歌がなくなれば素晴らしい」と語るレニーはいかにも彼らしいし、フランスのピアニスト、ナディア・ブーランジェの臨終に立ち会った2人の会話もこの世のものとも思えない美しさと哀しみにあふれている。

彼は昔からマーラーが得意だったが、この音楽に関しては「マーラーはn倍されたドイツ音楽である」と断じていて、なるほど彼の最高傑作である「大地の歌」にはバッハからワーグナーに至る偉大なドイツ音楽のすべてのエッセンスが混入していることにはじめて気付かされた。

ではベートーヴェンはどうかというと、「もはや全てが語り尽くされているはずの第9交響曲に、私は可愛らしさを発見したのです」と、我ながら驚いたように1970年に述懐している。

「ベトちゃんの可愛らしさとはロココ趣味でもモザール風の洗練でもなく、子供のように信じる純粋な単純さです。子供のように信じること以上に可愛らしいことがあるでしょうか。それは完全であり圧倒的です」と述べたレニーは、第3楽章と終楽章の解釈に触れて、「ベートーヴェンが子供から触発された「兄弟たちよ」「歓喜よ」という叫びを信じ、どこまでも彼と共に進まなければ絶対に演奏不可能なのです」と断じ、「彼の思想よ音楽を不滅にするのは彼の信念がもつ、抗いがたい可愛らしさなのです」と結んでいる。

「可愛い」は平成ニッポンのファッションのキイワードとばかり思っていたが、なんとバーンスタインの熱血ベートーヴェン演奏の合言葉だったのである! 

またレニーは、1980年5月30日に米国ジョンズ・ホプキンズ大学の卒業式で行われた講演でイェーツの「再臨」の1節を引用していて、今なおわれらの心臓をグサリと刺す。
「血に混濁した潮が解き放たれ、いたるところで無垢の典礼が水に呑まれる
最良の者たちがあらゆる信念を見失い、最悪の者らは強烈な情熱に満ち満ちている。」(岡野弁訳)


日本アカデミー賞より聞きごたえがあったなあAKB女子の入賞スピーチ 蝶人
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フィリップ・ジョルダン指揮パリオペラ座バスチーユの「ペリアスとメリザンド」を視聴して

2012-06-08 08:07:04 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第261回

何の期待もせずに見物しはじめたビデオだったが、ロバート・ウイルソンの美術と演出が素晴らしい。04年10月15日の大野和士指揮のモネ劇場の「アイーダ」でも、さながらルネ・マグリットの演出でイプセンの演劇を見せられているような不思議な気分になったのだが、ここでは効果的で簡素で抽象的な舞台に登場人物を影人形のように取り扱ったり、能のような所作をさせたり、手首に手話のような振りつけを施したり、創意工夫の限りを尽くして巴里の観衆を楽しませている。

当節の新進気鋭の演出家、例えば昨日紹介したアホ馬鹿クリストフ・ロイのような手合いは、歌劇の本質とは無縁な仕掛けを強引に外部から持ち込んで音楽と歌唱の有機的な流れをずたずたに断ち切って恬として恥じることがない最低野郎だが、この英国紳士はフランス風トリスタンとイゾルデとでも評すべき神秘的な純愛物語に終始優しく寄り添いながらかつてのブーレーズ&ウエールズ国立歌劇場に比肩するような名舞台を鮮やかに立ち上げている。

指揮者のフィリップ・ジョルダンはかつてスイス・ロマンド管のシェフであったアルミン・ジョルダンの息子だが、父親の凡庸さをそっくりそのまま引き継いだような交通整理的凡演を繰り広げており、その演奏はブーレーズはもちろん大野和士の音楽性には到底及ばないが、世界のオペラハウスはこういう痛くも痒くもない衛生無害の連中によって占拠されてゆくのだろう。

バスチーユの劇伴はなんせ本場物ということでまずは無難にこなしているが、第4幕の幕切れなどは指揮者ともどももっと死ぬ気で感情を込めて演奏してほしいものだ。これならわが東フィルのほうがもっとちゃんと仕事をするに違いない。

 ところでこのオペラのキモは国王アルケルの配役だが、フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒはまずまずの出来栄え。ジュヌヴィエーヴ役のアンネ・ソフィー・フォン・オッターが衰えたのは悲しい。

ペレアス:ステファーヌ・デグー、ゴロー:ヴァンサン・ル・テクシエ、アルモンドの国王 アルケル:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ、イニョルド:ジュリー・マトヴェ、医師:ジェローム・ヴァルニエ
ゴローの妻 メリザンド:エレナ・ツァラゴワ、ジュヌヴィエーヴ:アンネ・ソフィー・フォン・オッター 

なおこの日のNHKBS3には、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルによるベートーヴェンの6番と7番の交響曲ライヴがグリコのおまけのようについていたが、こーゆー過去の凡演に屋上屋を積み重ねるような演奏はもうたくさんだ。重箱の隅をつつくようなちまちました新解釈を喜んでいるのは演奏しているあんたたち当事者と一部の変態的な暮し苦音楽関係者だけで、一般の普通の聴衆はもううんざりなんだよ。

皇室を飛び出し障碍者のために働きたかったんだってね髭の殿下逝く六十六歳 蝶人

テングチョウとルリシジミ数多生まれた日髭の寛仁殿下蒙じたり 蝶人

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ティーレマン指揮・ウイーンの「影のない女」を視聴して

2012-06-07 09:22:22 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第260回

2011年のザルツブルク音楽祭における公演をライヴ収録した映像です。

演出のクリストフ・ロイという奴が天下一品の大馬鹿者で、ホフマンスタールの原作を現代にもってくるのはまあ仕方がない、(けっして良いとは言わない)が、その舞台をこの公演のライヴ録音スタジオに設定するという(演出家本人だけが得意になって大喜びしている)糞アイデアのお陰で、聴衆はもちろんオケも指揮者も手ひどいダメージを喰らっています。

ここで出演者を除外したのは、可もなく不可もない彼らの全員がつねにこの作品のオリジナルスコアを携行していて事あるごとにアンチョコを覗き見できるという利点!?があったからで、本来丸暗記すべきあの長いオペラのセリフや♪をずいぶん省エネできたのではないかと愚考するからです。

リヒアルト・シュトラウスを得意とするドイツ期待の俊英クリスチアン・ティーレマンの指揮はこの音楽の本質を精妙にとらえ、名門オケを完璧にドライヴしながら緩急自在な歌の調べを繰りだしますが、ともかくこのちょいと出ました演出野郎に完全に足を引っ張られ、画面は見ないで音楽だけ聴いていたほうがよっぽどマシというザルツブルク音楽祭史上最悪の公演でした。




その日金星は一匹の黒い天道虫になって向日葵の花の周りをゆっくり歩いていきました 蝶人

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ドナルド・キーン著「続百代の過客」を読んで

2012-06-06 09:05:09 | Weblog


照る日曇る日第518回

前巻に続いて本書で取り上げられたのは、万延元年1860年に日米修好通商条約を批准するためにアメリカ合衆国に渡った村垣淡路守の「遣米使日記」にはじまり、明治42年1909年に中央公論に発表された永井荷風の「新帰朝者日記」で終わる日本人によって書かれた32種の日記類であるが、いずれもできたらすべて原著に当たって隈なく目を通したくなってしまうほどの無類の面白さである。

冒頭の村垣淡路守や夏目漱石が異国の風俗習慣文物等に対して、(私と同様)苛立たしい拒否反応を示しているのに対して、「奉使米利堅紀行」の木村摂津守や新島襄、津田梅子、私の大好きな成島柳北、鴎外、荷風などはごく自然に西欧世界になじんでいるのが羨ましい。西欧に憧れたり同化を願ったりする知識人の多くが、同胞であるアジア人や黒人を一段低く見ているなかで、アイヌをこよなく尊敬し友愛をはぐくんでいた「北方日誌」の松浦武四郎は、まさしく時代を超越した本当のコスモポリンタンであったと思う。

西欧文明との接触の仕方は別にして殊に興味深いのは明治の自由主義者、植木枝盛の日記である。そこで彼は自らを天皇に擬して己を「朕」と呼び、京の芸妓に民権踊りを教え彼女たちと果てしなき性交を繰り返しながら日本革命の夢を見ている。羨ましいことに、彼の性的放縦と自由主義イデオロギーはなんの矛盾もなく一体化していたのである。

性的な記述に関しては「一葉日記」や石川啄木の「ローマ字日記」がつとに知られているが、圧巻は徳冨健次郎の「蘆花日記」で、ここで穴の毛端まで包み隠さず開陳されたその旺盛な性欲は、彼の女性に対する暴力や兄蘇峰に対する強烈な憎悪とともに、一読して容易に忘れることができないだろう。

また国木田独歩の「欺かざるの記」は、正岡子規の晩年の有名な3つの日記と並ぶ明治日記文学の傑作であるが、若き日にワーズワースのリリック「The Idiot Boy」を読んだ独歩が、ここに登場する母親と知的障碍の息子の無償の愛に感銘を受けて彼の短編「源おぢ」を書いたのではないかという推察は、「さすがは鬼怒鳴門!」とその学者魂に強い感銘を受けたことだった。

いずれにせよ正続2巻の「百代の過客」は、これを読まずに泉下に沈めば大いに後悔すること請け合いの文芸文化遺産である。


滑川に平家蛍乱舞す七時半 蝶人

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渋谷実監督の「本日休診」を見て

2012-06-05 09:06:59 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.256


井伏鱒二の原作を渋谷実が1952年に映画化したモノクロ作品で、柳永二郎扮する医者がたまさかの休診日もなげうって滅私奉公する献身的な医師を演じている。むかしは医は仁術をまともに実践する「赤ひげ医者」が日本中のあちこちで健在だったのである。

冒頭で大阪から上京してきた娘が悪い奴にだまされて暴行されるので、どうも憂鬱な気分になるが、貧しい長屋の住人たちのやっさもっさのドタバタ話のほとぼりが覚めた後は、三國連太郎扮する頭のおかしい軍隊帰りが、狂気と現実とが幻想的に一体化するめくるめく夕焼けのラストに突入して、観客の襟を粛然と正さしむるのである。

かのワーグナーと同様、井伏もまた人間と人世の真実が無垢なしょうぐあい者の狂気の心底に存することを洞察していた芸術家のひとりであった。

なおこの映画ではその他淡島千景、鶴田浩二、佐田啓二、角梨枝子、岸惠子などが出演している。



「じゃあまた」と明るく別れを告げたり吉田秀和『名曲のたのしみ』 蝶人


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穂村弘選手に「日経歌壇」で選ばれて

2012-06-04 08:19:33 | Weblog


バガテルop154

最近はここで「一日一歌」と題して下らない唄のような屁のやうなものをアップしているわたくしであるが、時々日本経済新聞の俳壇や歌壇に投稿することもあるのだ。

 思い返せば今を去る一〇年ほど前、日経俳壇の黒田杏子氏に

死者のこともう忘れよとダリア咲く

という母哀悼の句が選ばれたので、意を強くして毎週じゃんじゃん投稿していたのだが、それっ切りで全然選ばれない。頭にきて放置していたら、「ハガキでなくてネットでも投稿可能」に規定が変わったので、よおしこれならお手軽にできるぞ、とまた投稿をはじめたんだ。

ところがくだんの黒田嬢ならぬ黒田婆は、「ネットでの投稿は認めない」という偏屈女、もしくは古式豊かなインテリおばさん。仕方なく短歌路線に切り替えてときどきトライしていたら今日の「重い崖無い」吉報が舞いこんだという次第です。で、くだんのお作は

障碍の息子を持ちて身につけし障碍の子を見つける速さ 蝶人

というきわめて個人的な事情をそれこそひそかにつぶやいてみたものだが、わたくし的には最近余り良い事がなかったので、それなりに心が晴れたうれぴい一日でした。

そもそもこの穂村選手が小生の拙い短歌を選んでくれたのはやはり今からおよそ一〇年程前のこと。当時マガジンハウスで編集者をしていたSさんに誘われて、彼が主宰するネット短歌会『猫又』の「夏の思い出」というお題に

ひとしきり手のひら這いし黄金虫やがて消え行くゆきあいの空

という歌を投じたらがいきなり選ばれてうれしかったなあ。(これは角川ソフィア文庫「ひとりの夜を短歌とあそぼう」所収)。同じ『猫又』で穂村選手に選ばれた作品は、他にもあって、

朝寝して宵寝するまで昼寝する槿の下のムクになりたし

「狂犬病の注射に出頭されたし。佐々木ムク殿」と鎌倉保険所は葉書を寄越せり

くれないの琉球絣ひらひらと陋屋を行く隠者がひとり({くりひろい}の折句)

黒髪のりんどう娘ひめやかに路銀数えぬ一夜の宿に(同上)

などを選首していただくたびに、狂気でもなく凶器でもなく狂喜していたのだが、

耕ちゃんがもし障害児じゃなかったら眞とは別れていたよと美枝子いいけり

という涙なしには読み返せない世紀の迷作は、関川夏央著「現代短歌そのこころみ」(NHK出版)において関川選手拍手喝采絶賛の上で再録されている。なんちゃって。

思えば流星幾星霜、わたくしが生涯はじめて歌らしきものを舌上に転がらせたのは、当時鎌倉は長谷の海岸近くの旧鈴木清順邸に住んでいた、のちにわたくしの妻君になる人の住居を訪ねた折のことで、わたくしが

鎌倉の海のほとりに庵ありて涼しき風のひがな吹きたり

と詠んで悦に入っていたら、当時わたくしの勤務先の総務課にいらした俳人の井戸みづえさんが、「たり」より「おり」の方がいいわよと助言してくださった。その時はふふんと嘲笑って長く顧みなかった生意気なわたくしであったが、最近ようやく先達の彼女の意図が成程と呑み込めたことであったわいな。

鎌倉の海のほとりに庵ありて涼しき風のひがな吹きおり

んで、今後のわたくしとしては、今日の日を区切りに、一連の愛犬物やまたかと嘲弄されそうな障碍物を遠く離れて、俳句にしろ短歌にしろ自由詩にしろ、自分ならではの雲古無手勝創歌流の只一筋の道を人知れず歩み続けたいと念じておる次第であるんであるんであるん。


風に向かいてわれ歌を放つ唄をうそぶく 蝶人

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パッパーノ指揮ロイヤルオペラ「トスカ」を視聴して

2012-06-03 09:32:10 | Weblog

♪音楽千夜一夜 第259回

レバインが病気降板したNYのメトでは凡庸な指揮者どもの登板と楽員の質の急速な低下で惨憺たるアンサンブルの乱れを呈し、ウイーン国立とミラノスカラ座また低迷久しい現在、アントニオ・パッパーノが指揮するコベントガーデンほど充実した演奏を繰り広げているオペラハウスは、世界でも稀ではないかと思うのだ。

これは両者のコンビがかつてのショルテイ時代を超える高みに到達していることを確信させる素晴らしいトスカの公演ライヴであった。
1幕はヨナス・カウフマンのカバラッドッシとアンジェラ・ゲオルギューのトスカのノリがいまいちだが、ブリン・ターフェルのスカルピアが登場すると場が俄かに引き締まり、画家と高名な歌手の2人を我がものにするとイヤーゴのように歌いあげると凄い喝采が贈られるんだ。

2幕はターフェルの黒い欲情が全開。ろうたけた美女を我がものにせんと迫真の演技で迫るとパッパーノはオケをあおりにあおるので、すべての男性観衆は、ゲオルギューのあの豊かな乳房をギューと鷲掴みにしたいしたいと完全に肉欲のとりことなってしまうのである!

そして突然暗闇にくず折れたゲオルギューが静かに歌い始める「歌に生き、恋に生き」の素晴らしさを何に譬えよう。恐らくかつてカラスが所も同じロイヤルオペラで歌って以来の奇跡的な名演であろう。虫も殺さぬトスカが冷酷無比な暴虐の独裁者をナイフで刺し殺し、「お前は女に殺されるのだ」と絶叫する場面、荘厳な逆光を浴びて退場する幕切れも圧倒的な感銘を与えずにはおかない。

終幕のトスカの投身も鮮やかで、ここでもジョナサン・ケントの演出が冴えわたる。これはNHKの衛星放送で上映された映像だが、間違いなく歴代ビデオの5指に入る名演奏だろうね。

吉田翁死して「名曲のたのしみ」残れり本年中は放送し続けるという 蝶人
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高橋源一郎著「さよならクリストファー・ロビン」を読んで

2012-06-02 10:39:21 | Weblog

照る日曇る日第517回

毎日毎日砂を噛むように空虚な時間が流れて行き、ともすれば天変地異も勃発し、人々はおのれの存在理由を見失う。慣れ親しんだ友人や物や世界が、気がつけばどんどん失われていくのである。

この明るい崩壊の時代にあって、それでもなお正気を保ったままよき社会人、家庭人として生き続けていくためにはなにが必要か。おそらくそれは毎日ささやかな夢を見ること、どんなに絶望してもあえて見続けることである、と著者は説いているようだ。

表題作の主人公、クリストファー・ロビンも、3.11の衝撃で精根尽き果てたあの吉田秀和翁のように老いさらばえて両手を上げて、静かにあの世へ旅立ってしまった。しかしクリストファー・ロビンも吉田秀和翁も、遥かな遠い世界へ去ったのではなく、きっと私たちの傍にいて私たちのことを温かく見守っているに違いない。

それどころか、著者が「ダウンタウンへ繰り出そう」で書いたように、死んだ人たちは愛犬ムクと手を携えて、遠からずわたしたちの世界へ帰還してくるのかもしれない。死者と生者が現世と来世をお互いに行き来しながら共生するという夢は、誰もが一度は夢見る夢かもしれない。

しかしそれが他ならぬ高橋ゲンちゃんによって組み立てられると、ある朝君が目覚めたら、ベッドの隣に鉄腕アトムが眠っているような驚きとリアルな相貌、そして一抹のノスタルジーを帯びてくるから摩訶不思議だ。

大切なもの、偉大なもの、愛しいもの、壊れやすいものはどんどん消えてゆくが、著者が力説するように、わたしたちが消えるまでになすべきことは、まだたくさん残っているのである。

明日を生き抜くために今夜しっかり夢を見ること 蝶人

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西暦二〇一二年皐月 蝶人狂歌三昧

2012-06-01 13:46:48 | Weblog


ある晴れた日に 第110回


人参の葉っぱを残して下さいな黄揚羽の幼虫の大好物なので
一芸に秀でていても駄目ですか?
口丹波春の綾部の寺山にふわり浮かびしギフチョウの羽根
置き石のために遅れたり山手線なぜその置き石を置きたるか男よ
通史の書けない歴史家は蛸壺の中の蛸だ
新しきバベルの塔が建ちにけり諸人こぞりて虚空を目指す
過去に向きあうなんてそんな恐ろしい事あっしにはできまへん
お台場がお台場がと二言目には抜かすフジテレビ大地震で即海没する職場のどこが嬉しいのか
しょうぐあいのある人が盲目にならぬよう月曜日には雨が降りますように
スマホもfacebookも要らないでしょ、ホントは
要らぬものを持って余計なことをしたがるのが人間
実入り無き息子が贈りしカーネーション病の母をいたく慰む
世の中は所詮金なりとく消えよ金なくば生きてゆけぬこの世の中
思い屈したる時は黙っているより発語したほうが楽になるよ嗚呼
雨の日にはすべてのチューリップに傘をさす高橋睦郎こそ詩人というべし
からたちのそばで泣きたる少年が「からたちの花」を作曲したり
音楽を聴くときは必ず目を瞑ってしまうので免許は持っていないはずの世界のサカモトが日産のEVの広告に出ている摩訶不思議
雲雀鳴き燕子咲けども君いずこ東京青山根津美術館
血と肉を切り売りするんだサラリマン
「報連相」する間もなくて喉に落つ
百年の孤独閲して杜鵑
イタドリのなかには必ず蛇が眠ってる
無惨やな子等に盗られしオタマジャクシ
霊園の果てに佇ちたり聖マリア
彼奴があのとき云うたるはこういうことかと20年後に得心することもあるなり
梨の花が咲いたら重治の「梨の花」を読んでみよう
結婚を諦め筆一本に賭ける男哉
ただ一軒日章旗を掲げてるさすがは十二所町内会長
その文を読めばその音楽を聴きたくなる吉田秀和翁みまかりぬ九拾八

「百年の孤独」を読みて
山の彼方の空遠く 空の向こうに海がある 
海の向こうから人が来て 人はどんどん人を産む
親の因果は子に報い、子供の因果は孫に来て、
孫の良き血も悪き血も 曾孫と玄孫に流れます 
それでも切れぬ因縁は
巴里にロンドン、ニュウヨオク、
ボストン、東京、リオデジャネイロ、
コマンド、柳河、ローデンバック、
丹波の国の里山の、世界のどこに生まれても、
来孫、崑孫、仍孫、雲孫と 家族大樹は果てもなく
どこどこまでも伸びるのじゃ 
東西南北変わりなく 成さぬ仲でも親は親、豚の尻尾でも子供は子供、
子供を産むのは両親で、二人の親には祖父母あり、
その祖父母には親がいて、親の因果は子に酬い、
奇人変人みな死んで 死んだとおもうたはこりゃ目の錯覚
あれそこに飛ぶ黄色い蝶 真っ赤な雪が降るぞえな 
大きな栗の樹の下で 身の丈十丈の大男 
死んでも見切れぬ夢を見て 色即是空 輪廻転生
一目瞑れば百年で 二目瞑れば千年で 三つ瞑ればスフインクス  
因果は巡る風車 西郷隆盛娘です 
さあさ皆さんお手を拝借 五十六十洟垂れ小僧 
八十九十糞喰らえ 百歳なんてあっと言う間 
万人善人 霊魂不滅 一族再会 倶会一処 
さてもさても
なんのおめえが孤独哉
百年の孤独閲してリラの花 蝶人
箱根羈旅歌
新しき光求めて旅に出ん
しょうぐわい者と老母の介護に追われたる妻に恵まれし一泊の旅
ユニクロの980円の緑色のポロシャツを着て箱根行きけり
風が吹き小雨落ち来る強羅坂公園目指して君と登る
吹上の水は碧の池に落ち深紅の薔薇は今盛りなり
窓近くつばくら飛ぶ宿に泊まりけり
箱根来て山の宿より見上げれば翠の山に白き霧湧く
箱根路の山の上なる宿に来て妻と憩えばつばくらめ鳴く
箱根路をわれ越え来れば青嵐山より里へ激しく渡る
箱根路の宿の露天より見上ぐれば山頂近く稲妻光る
腰白きつばくら低く飛びゐたり箱根町立仙石中学校
三年振りに湿生花園に来て見たら耕君の好きなコウホネが咲いていたよ
どこよりも我が家が一番と思うが旅の終わりなるべし
二人して光を観んか喰らわんかくわんかう旅行は楽しいな 

ディースカウ、畑中、吉田、新藤、懐かしい人たちがどんどん死んでいくなあ 蝶人


コメント
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