あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

アナトール・リトヴァク監督の「さよならをもう一度」を見て

2012-07-16 08:22:51 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.277&♪音楽千夜一夜 第271回


歌を忘れたカナリアのような夫イヴ・モンタンのつれなさにいたく傷つき、「踊れないダンボ」のような鈍い演技を見せるイングリッド・バーグマンが、神経衰弱患者のようなエキセントリックな演技で応える年下のアンソニー・パーキンスと浮気するが、やっぱり元の鞘に戻る話。

原作はむかし熱病のようにもてはやされたおフランスの通俗三流作家フランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」で、どうして人気が出たのかといえば名前とタイトルが良かったとしかいいようがない下らない三文小説だ。

二人が逢い引きするのがサル・プレイエルで行われたブラームスの演奏会で、その他幾度となく第三交響曲第三楽章のポコ・アレグレットが鳴り響くが、このような通俗映画の主題歌に引用されたのではブラームスが可哀想だ。

人世でいっとう大事なことは額に汗して働いて生計を立てて一人静かに死んでいことなので、それすら出来ない高等遊民が愛のない生活は地獄だとか生きている値打ちがないなどと抜かして不倫に走ったりそれでも満たされないであらぬ妄想に耽ったりするのはいかがなものか。左岸のサガンのような連中にはいまでも虫唾が走る。


薔薇が咲く港に浮かぶイージス艦YOKOSUKAは今日も仮想敵と戦う 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマス・ピンチョン著「LAヴァイス」を読んで

2012-07-15 10:52:01 | Weblog



照る日曇る日第523回


ロスの私立探偵が70年代の洛陽悪徳都市で例によって例のごとく繰り広げるという、まあんずアホ馬鹿パラノイア物語だなあ。

ここでは60年代の明るい歌と踊りは影をひそめ、ニクソン流の新資本主義と現実主義が新たな法と秩序の締め付けをあたりかまわず強要してくるんだが、本書のとんちき主人公は「舗道の敷石の下はピーチ!」などとうそぶきながらすでにあらかた失われた60年代のノリでハッパを吸い吸い、時代の巨悪に向かって孤立無援の蟷螂の斧を振りかざそうとするんだね、これが。

既にして悲愴であり滑稽そのもののテイタラクであるが、ピンチョンときたら今が21世紀のはじめであると知りながら、あえてこの不毛と苦渋の時代におのれの分身を突入させて、もういちど宴のあとのアホ馬鹿踊をやらかそうとしているみたいだ。

しゃあけんど2009年に書かれたというのに、なんて不敵な面魂だろう、経歴も年齢も不明なこのダイマイトガイは!

と、 “チンポの根っこから”(注 翻訳原文のまま)思うよ。

おいらも当時のロスに潜入して、フランク・ザッパとロス・フィルの異文化交流コンサートとやらを聴いてみたかったゼイ。


ここでは私は一人の芸人として自由に歌うことが許されている 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィクター・フレミング監督の「オズの魔法使い」を見て

2012-07-14 11:01:23 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.276


主人公のジュディ・ガーランドが愛犬を意地悪ばあさんにいじめられて行き場所がないといって、いきなり『オーバー・ザ・レインボウ』を少女なのか大人なのかわからない声で歌い始める。それがかの「虹の彼方に」というわけだが、すべてのミュージカル映画が唐突に歌い出す不自然さをもつのと同様あまりにも唐突で不自然である。

カンザスの郷里の田舎に(現代と同様)突然竜巻が現れ、彼女はそれこそ虹の彼方に飛ばされ舞い降りた不思議な小人たち(村上春樹のリトル・ピープルのように不気味)の村に降り立ち、オズの魔法使いを訪ねる旅に出るところから画面は突然カラーになるが、世界的な人気は別にしてこの監督の演出は、かの大愚作「風と共に去りぬ」と同様まったく凡庸そのものである。

それはともかく、少女が道中で出会うかかし男、ブリキ男、ライオン男、最後に登場する魔法使いの全員が懐かしい郷里の知り合いたちの扮装になっていて、この物語の全篇がヒロインの少女の白昼夢でもあるという仕掛けになっている。

しかしてそのキーワードはThere is no place like home。「おうちほど素敵な場所はない」という文部省唱歌と共に全巻の幕が閉じられるがここで画面は再び褐色のモントーンに戻るのであった。

劇中でライオン男が「僕はタンポポのように弱虫」と歌うのは、ライオンをフランス語で“ライオンの歯”ともいうことから。私の長男が通っている県央福祉会のカフェの名前と同じです。なお日本の歌うたいの「ラルクアンシエル」もフランス語で空の孤、つまり虹の意だから、まあこの映画の主題歌にちなんだネーミングと考えてもいいだろう。



この頃は玉葱ばかりなり百円野菜 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マーク・ローレンス監督の「噂のモーガン夫妻」を見て

2012-07-13 08:57:08 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.277


2009年製作のいかにも最近のハリウッド出来の軽佻浮薄な即席コメディ。NYでテロリストに命を狙われた元夫婦がワイオミンングの田舎に緊急避難しているうちにだんだん鞘が戻るというお粗末な一席。

原題は「Did You Hear About the Morgans?」なのに、こういう生きた英語のグルーヴ感をあまり反映していない邦題ではあるが、モーガン夫妻という名詞を使っているからまだマシとはいえよう。

モーガン氏はヒュー・グラント、元妻をサラ・ジェシカ・パーカーが演じている。ヒュー・グラントという名前は2拍子、サラ・ジェシカ・パーカーという名前は発音が3拍子になっていて音楽的でいいが、演技は必ずしもそうとうはいえないな。


NHKおはよう日本まちかど情報室鈴木奈穂子と鹿島綾乃は飛びっきりの仲良し 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シェーカル・カブール監督の「エリザベス」を見て

2012-07-12 13:49:25 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.276


エリザベス女王をケイト・ブランシェットが、スコットランドのメアリー女王をファニー・アルダンが演じているが、後者は前者より年齢が若いのでこの配役はおかしい。むしろ逆にした方が良かったかもしれない。

それに波瀾万丈のエリザベス女王の生涯を描くのにメアリーの処刑に触れずに済ませているのはもっとおかしい。

また彼女の生涯の恋人がロバート・ダドリー卿であったことは事実だが、この映画では彼女がロバートとのセックスに夢中になる有様を侍女たちにのぞき見させており、これがどうして「処女王」なのか理解に苦しむのである。

メアリー女王と共謀したノーフォーク卿の陰謀にロバート・ダドリー卿も加担したように描かれているが、その事実はないし、恋人を失いながらも英国と国民を夫とする処女王として悲愴な決意で能面のような顔を晒すラストシーンで流れるのは、なんとモーツアルトのレクイエムであるのには苦笑の他はない。それまで劇中で使用されていたのは同時代の音楽なのだから、せめて少し時代が下がるがパーセルなどを流すべきだろう。

それより何より私はロバート・ダドリー役のジョセフ・ファインズの顔が死ぬほど嫌いなので吐き気をこらえながら2時間我慢して眺めていたのであった。


被災地より昨日着きたる柴犬次郎我が家のムクに生き写しなり 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポール・オースター著「ブルックリン・フォリーズ」を読んで

2012-07-11 14:17:45 | Weblog



照る日曇る日第522回


朝日新聞の朝刊で、もはや何の噺だったのかも分からず意味不明の学校ネタと自動車ネタを小林秀雄の晩年の講演会の如く垂れ流している奥田英朗、伊坂幸太郎。そして吹けば飛ぶよなこんにゃく文体で下らないヨタ噺を書き飛ばして原稿料を略取している重松清に失望落胆かつあきれ果てたら、この1冊を手にとってみよう。

オースターは毎年1冊のペースで力作を出し続けているようだが、これは2005年の作品でニューヨークのブルックリン界隈に棲息する市井の人々のいかにもありそうで、しかし絶対にない話を抜群のストーリーテリング術を駆使、するのみならず、舌なめずりして楽しみながら書いている! から空恐ろしい。

「私は静かに死ねる場所を探していた」

という出だしからして読む者をじゅうぶんに惹きつけるが、続く数ページでもはや読者は完璧に著者が繰り出すものがたりの蜘蛛の糸の虜になってしまうに違いない。

んなわけであるからしてあらすじ等については触れないが、晩年のカフカが公演で出会った人形を無くして悲しんでいる少女のために、なんと3週間続けて渾身の力を振るって人形からの手紙を書き続けた、という感動的な逸話ははたして本当なのかしらん。

そんな手紙は少なくとも私が読んだ2種類の全集には収められてはいなかったが、これもオースターの「天才的な」作り話だったりして。
ともあれ小説家のプロの仕事の最良の見本が、ここにある。



     そんな情けない声でしか鳴けないのかニイニイゼミ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森崎東監督の「時代屋の女房」を見て

2012-07-10 11:45:46 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.275


村松の原作は読んだことがないが、渡瀬恒彦が演じた映画の主人公と違って、私は夏目雅子が演じた女房のキャラクターの流動性と不確定性にまったく魅了されなかった。

野良猫のように野性的で気まぐれな女はそれなりに魅力的なのだろうが、そういういわゆるひとるのファムファタルに振り回されている男に対しては、てんで同情する気にはならない。

森崎の演出も脚本もちあきなおみの主題歌までも不発で、強いて挙げれば津川雅彦の演技が多少光ったくらいのもの。こんな映画を2時間近く見物する値打ちはてんで無かったな。



   鎌倉の谷戸のはずれの一軒家「隅田の花火」人知れず咲く  蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根岸吉太郎監督の「ウホッホ探検隊」を見て

2012-07-09 07:55:13 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.274

この監督で私がいたく感じいったのは「ひとひらの雪」(津川雅彦の名演!)だったが、出来不出来もある人で、「探偵物語」とかこの作品ではその実力はほとんど発揮されていないといえよう。
 
 そもそも田中邦衛が藤真利子と浮気したり、十朱幸代が主婦兼ライター役という配役自体に問題がある。ゆいいつよい味を出していたのは野球選手役の柴田恭平くらいで私が好きな斎藤慶子ともっと好きな速水典子はいまイチ、いまサンだった。森田芳光の脚本も冴えない。

 干刈あがたはもう少し生きて、いろんな小説を書いて欲しかった。




一人しか子供産ませぬその国に自由と人権あるはずはなし 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山崎貴監督の「ALWAYS三丁目の夕日」正続編を見て

2012-07-08 10:02:35 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.272&273


あんまり世間ラアラア騒ぐのでずっと見ないでいたのですが、どこか生理的快感が湧きだす不思議な映画でした。

昭和30年代の東京に生きる人々を主人公にしたお話だからそうなるのではなくて、原作者や製作スタッフ、とりわけこの監督の母体である「白組」の社長島村達雄氏、そしてロボットというちょっと風変わりな会社の感性がうまく合体してこの微妙なバランスでなり立っている映画を現象させたといえるのではないでしょうか。

堤真一という芸達者のまわりを薬師丸ひろ子、堀北真希、もたいまさこ、吉岡秀隆、小雪などの役者がレイアウトされ、絶妙な味わいを醸し出しています。特に素晴らしいのは薬師丸ひろ子で、昔から隠れファンだった私は、彼女の起用と妙演に熱い拍手を贈ったことでした。

続編では桃井かおり、田中邦衛と同様少し口跡に嫌な癖のある吉岡秀隆がなんとかぐあんばり、子役の須賀健太を巡って敵役の小日向文世と張り合うのですが、ここで踊り子役の「降れ降れ」小雪が儲けものの名演を見せてくれます。

芥川賞を逃したものの恋人と息子を一挙に手に入れるという逆転サヨナラ満塁ホーマーの幕切れはいかにも出来過ぎたお話とはいえ、高速道路無き日本橋の欄干に降り注ぐ夕陽と共にいわゆるひとつの感動をお茶の間にもたらすのでありました。


無神論者も頭を垂れる神社かな 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ロリン・マゼールの芸術」30枚組CDを聴いて

2012-07-07 10:35:33 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第270回

昔むかし音響効果が犬小屋のように最悪なNHKホールの、しかも3階席で、N響を振る内外の指揮者たちの演奏を聴いていましたが、弱音はほとんど届かない。仕方なく2時間丁度居眠りをしてから立ち去っておりました。

ところがある時、フランス国立管弦楽団と来日したマゼールがベルリオーズの「ロメオとジュリエット」をやったときは思わずたまげて腰を抜かした。あの空虚な犬小屋を怒涛のように揺るがすフォルテッシモが、3階席でねんねぐーしていたわたくしを直撃したのです。

そのあとパリで聴いた彼のドビュッシーの「ペリアスとメリザンド」がこれまた眼の覚めるような名演で、このとき私はロリン・マゼールという人の指揮術の手練手管に恐れいった次第。

その手練手管があんまり度が過ぎて器用貧乏になってしまったので、だんだん敬して遠ざかるようにはあいなりましたが、ここで聴くクリーブランド菅とのベートーヴェン全集やベルリオーズの「幻想」、ピッツバーク響とのシベリウスの全集やサンサーンスの「オルガン付き」、ベルリンフィルとのワーグナーなどは、1枚130円の値段以上に聴きごたえがあります。


豚死せよマーラー9番アダージョに携帯呼び出し音を伴奏する男 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジェームズ・アイボリー監督の「日の名残り」を見て

2012-07-06 10:34:02 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.271

カズオ・イシグロの小説をハロルド・ピンターが脚色し、ジェームズ・アイボリーが映画化した威風堂々の文芸映画。主人公の執事を演じるアンソニー・ホプキンスと女中頭役エマ・トンプソンの好演でいにしえの英国貴族の面影が鮮やかによみがえった。

おそらくここに登場するダーリントン卿のような英独協調路線からナチ擁護へ傾斜していった善意のエリート層が存在し、それはチェンバレン内閣の融和政策をもたらしたのだろう。

そんな主義主張を抱く雇用者の思惑とは無関係にひたすら忠誠を尽くして止まない執事的な存在とはある意味では妖怪のごとく亡霊の如く奇怪な複式複製動物と呼ばざるをえない。

かくの如く己をして自縄自縛の鋳型にはめこんだ男は、異性への素直な恋情をも見事に圧殺してはばかることがなかったのである。




おじさんが頭を掻いてやると純ちゃんはうっとりと眼を閉じていた 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スティーヴン・フリアーズ監督の「クイーン」を見て

2012-07-05 10:09:55 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.270


ダイアナ妃の交通事故死への対応を誤ったために危機に陥った当代の英国エリザベス女王(ヘレン・ミレン)を、当時のブレア首相(マイケル・シーン)が献身的に救助するという感動?の物語。

 皇室には冷淡であってよいはずの労働党の党首が、英国首相に就任すると同時にイデオロギーを投げ捨てて?国民感情の動向に鈍い時代遅れの女王に同情的になるのが不思議で、この点ではブレア夫人のほうがよっぽど正常である。

 この映画を見る限りでは、チャールズ皇太子はかなり普通の神経の持ち主と思われるが、度し難いのはエリザベスの母親と夫エジンバラ公フィリップの保守頑迷さで、これに比べたらエリザベス2世はよっぽど庶民的とでもいえそうである。考えてみれば、そもそも彼らが大衆と遊離した雲の上の存座であったればこそ、民間から浮上してきたダイアナに人気が集中したのであろう。

しかしこの映画に見られるように英国の王室と国民の関係はつねに一定の批評性と緊張関係を保っている点がわが国とは一味もふた味も異なるようである。


フェイスブックにはキリギリスミクシィにはアリさんが棲んでいる 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田洋次監督の「馬鹿まるだし」を見て

2012-07-04 10:42:58 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.269

ハナ肇が無法松のような役回りで桑野みゆきのご新造さんを恋い慕うというどこかで見たり聞いたりしたような人情ヨタ噺。

演技以前のハナの周囲をクレイジーキャッツの面々が取り囲んで観客を笑わせようとするが、ただの一度も笑えない喜劇映画。山田洋次も凡作の多い監督である。


馬鹿まるだしを屁とも思わぬ奴ばかり 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンドリュー・マクラグレン監督の「大いなる決闘」を見て

2012-07-03 09:37:15 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.268

原題は「最後の硬派男」なので、こういう訳のわからない邦題はやめてもらいたい。

かつて保安官のチャールトン・ヘストンによって逮捕されたならず者のジェームズ・コバーンが、牢屋から出てきてヘストンの娘を誘拐して復讐しようとする、というありきたりなお話です。

だが、娘(バーバラ・ハーシー)がコバーンの仲間に強姦されたり、ヘストンをうまく捕えたコバーンが直ぐには殺さず急所をはずして弾を撃ち込んだりしていたために、ナイフで心臓を抉り取ろうとしたところを1発で逆襲されて1巻の終わりとなる。1976年製作のB級、いなC級西部劇です。



堤家や正田家の如き巨大墳墓は嫌みなりわれらがテナーの墓所くらいがよし 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栗山富夫監督の「釣りバカ日誌3」を見て

2012-07-02 08:58:07 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.267


わたしのようにそれなりのリーマン生活を送った人間としては、いかに釣りの師匠と弟子とはいえ、同じ会社の中で社長と社員がプライベートな場面で上下関係が逆転とはいかずともほぼ対等になれるという関係性に驚く。

公人としての上下関係は私人同志の自由な人間関係に多大な影響を及ぼすものであり、ふつうの企業ではこのようなずぼらな社員の存在は許されないだろう。

しかしだからこそこの映画は多くの奴隷的リーマンの支持を集めたのだろう。この映画で描かれている釣りバカ社員の野放図なアナーキズムとその跳梁跋扈を許している企業の寛容さと底抜けの無秩序の素晴らしさにいたく感銘を受けたことであった。

1990年製作のこの映画では携帯電話が重要な役割を果たしているが、ちょうどこのころから私たちの社会は情報技術に翻弄される不幸で不毛な時代に突入していった。


アホ馬鹿の巨人が勝てば腹が立つ中日の監督を権藤に変えよ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする