あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

高校生になった日

2012-10-13 09:19:01 | Weblog



バガテルop160& 鎌倉ちょっと不思議な物語第262回


待てど暮らせどクライアントからの仕事の依頼の電話は鳴らなかったので、久しぶりにバスに乗って駅前まで出かけた。

つい先だってまで油蝉が末期の歌をうたっていたのに辻のあちこちで薄の穂が出てすっかり秋の景色となっている。知らない間に屋敷が取り壊されたり、レストランが廃業したり、新しいビルジングが建ったりして、まるで見知らぬ街のようだ。

そうこうするうちに私もどんどん歳を取って時代から取り残され、親しい友も無く、寂しい死を迎えるのだろう。東急ストアで黒と茶の靴墨を買い、「鎌万」で6個300円の和歌山柿を買い、帰りのバスに乗った。

八幡宮の前にさしかかると、修学旅行の生徒たちが大勢歩いている。私の後ろに座った若い男女の話声が聞こえてきた。

「あいつら中学生かなあ? それとも高校生かなあ?」
「女の子を見てもわかんないよ。男の子を見なきゃ」
「男の子? どうして分かるの?」
「男子はね、高校生になったその日から突然背がシャキッと伸びて、肩幅がズーンと広がるの」
「へええ、初めて聞いたなあ。それってどこの高校へ行って調べてきたの?」
「どこで調べたって? あんたって馬鹿ねえ、そんなの見れば分かるじゃん」
「……そうか、見ればわかるのか」

二人は楽しそうに笑っている。けれどもいかに人生が長くとも、こういうどうということのない会話を交わせる相手と時期は限られていることを、恐らく彼らは知らないだろう。浄明寺のバス停で降りてゆく二人を見ながら、私は彼らの幸せを祈らずにはいられなかった。

究極の幸せとは人に愛され人に褒められ人の役に立ち必要とされること 蝶人
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大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」を見て

2012-10-12 09:42:14 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.328

 
大島渚はどうもホモセクシャルに敏感に反応する人であるらしく、この作品でもデビッド・ボウイの妖艶さに一目惚れした坂本龍一の心情の揺れが、その後の彼らの運命に大きな影響を与えている。

タケシは、個人としては善良そのものだが、上意下達の軍隊組織ではジュネーブ協定などはどこ吹く風、命令通りに英国空軍捕虜たちを遠慮なく痛めつける帝国陸軍の鬼軍曹をものの見事に演じている。

しかし物語の中心に居るのはあたかも日英双方の文化や慣習の中庸を模索するような役割を与えられている通訳中佐役のトム・コンティで、彼がキャメラの中軸にいるからこそ、戦場における逸脱と狂気が相対化されるのである。

デビッド・ボウイの少年時代の苦い思い出が哀しい旋律とともに心に残る。



けふこそはクライアントの電話あらんか手ぐすね引いて朝から待ちおり 蝶人
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シドニー・ルメット監督の「十二人の怒れる男」を見て

2012-10-11 09:24:35 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.327

一人の少年の父親殺人疑惑事件の陪審員として呼びだされた年齢も、生まれも育ちも、思想も暮らしもまちまちな12人の市民が繰り広げる密室内の討論劇である。

状況証拠から予断に囚われ、はじめはヘンリー・フォンダ一人を除いて全員が有罪を確信していたのだが、疑問を懐いたこの建築家がひとつひとつの問題点を解明していくそのプロセスが、スリルとサスペンスを呼ぶ。

有罪説と無罪説の論理的な戦いというよりも、猛暑にいらだち、野球や私事にかまけて早く評決して帰宅したい多くの普通の市民たちと人間の生死に誠実な判断を示そうとする一人の男の良心のせめぎあいが、この映画の主題である。

最後まで反対し続けるリー・J・コップの孤独な心情がまことに哀れであるが、一二名の無名の市民の良識に一人の人間の命運を託す合衆国の法的制度の素晴らしさと恐ろしさを、二つながらに体感する映画でもある。



朝っぱらからオオミズアオの幼虫を4匹も殺してしまって気色悪し 蝶人

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ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」を観て

2012-10-10 09:07:02 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.326

アラン・ドロンが思い人マリー・ラフォレに「俺のためにギターを弾いてくれ」と言って、ついに自分の女にするときのアップの壮絶な美しさ! この恐るべき魅力に陥落しない女はまずいないだろう。

いろいろな思いが交錯したのだろうが、稀代の色男の手におちたマリー・ラフォレの憂いを帯びた瞳が哀しい。

しかしそのドロンが殺したモーリス・ロネの着物や靴を身につけている心情は私には理解できない。ホモの人には分かるのかもしれないが。

ナポリの市場を歩くドロンが見い出す首を切り捨てられた魚や楽しそうに笑うエイのアップが捨てカットのように見えて隠された意味を持っているようにも思える。



刺青は大嫌いだけど入れたい人は入れなさいここは自由の国だから 蝶人
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ドナルド・キーン著「正岡子規」を読んで

2012-10-09 08:30:22 | Weblog


照る日曇る日第543回


俳句と和歌の革新者である子規を論じた書物は、その大半が熱烈な賛辞と圧倒的な高評価で埋め尽くされているのが通例だが、最近本邦に帰化して新・日本人となられたキーン翁のこのたびの評伝は、けっして贔屓の引き倒しの悪弊に陥らず、非常に冷静かつ正確な語り口で終始していて、例えば子規に師事しながら「その人格冷血」などと指弾した若尾瀾水の悪口を紹介しているところなどが、かえって新鮮だ。

しかし脊椎カリエスのためにかのモーツアルトと同じく弱冠三五歳にして泉下の人となったこの偉大な文学者は、「詩歌」と「俳句」と「短歌」という日本語を創成しただけでなく、翁が結論付けておられるようにわが国の短詩形文学の「本質を変えた」のだった。今日私たちが「俳句や短歌で現代の世界に生きる経験を語る」ことができるのは、ひとえにこの早世した天才のおかげなのである。

古今集や新古今、芭蕉をおとしめた功罪は相半ばするとはいえ、万葉集を再評価し、実朝、蕪村を「発見」した功績は、子規の実作がそれらの影響を殆んど受けていないとはいえ、他の誰もがなしえなかった日本文学史への貢献であった。

また子規が童貞ではなかったこと、漱石と共に大学予備門で学んでいた当時の英語の実力を侮るべきではないこと、彼が生涯で九〇篇の個性的な新体詩を作ったこと、西洋音楽のレコードを蓄音機で聴いた子規が、(みずからヴァイオリンを弾き、ワーグナーを愛した彼より一九歳若い石川啄木には及ばないとしても)、想像力を駆使して三つの歌を創作したなど、博学のキーン翁ならではのエピソードも鏤められていて読み応えがある。



秋茄子を一袋百円の有り難さ 蝶人




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モウモウ牛さんねんねぐー

2012-10-08 09:51:25 | Weblog



ある晴れた日に 第115回


山にはうぐいすホーホケキョ

遠いお空に雲ひとつ

モウモウ牛さんねんねぐー

父さん母さんそして僕

みんな揃ってねんねぐー

アスパラ海を泳いで渡る

難儀な夢を見ています

やがて朝寝が終わったら

モウモウ牛さんミルクを飲んで

しばらくお昼寝ねんねぐー

モウモウ牛さんねんねぐー

すると太鼓がドデスカデン 

みんな揃って大行進

大きな音で夢からさめた

山にはカラス クワクワクワ

遠いお空はあかね色

あっと言う間に夕方だあ

モウモウ牛さん霜降り食べて

家族揃って宵寝する

モウモウ牛さんねんねぐー

はてさてこれからどんな夢

夢は第二のじんせいだ

大冒険のはじまりだあ

モウモウ牛さんねんねぐー

夢を見るのに疲れたら

時々起きて居眠りしましょう

モウモウ牛さんねんねぐー



襤褸襤褸の羽根にてなお食草めざすアゲハにとって生とは何か 蝶人


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ケビン・サリバン監督の「赤毛のアン」を観て

2012-10-07 09:05:47 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.325

カナダの女流作家モンゴメリ原作のこの映画を初めて観たのは、確か80年代後半の松竹富士の試写室だったと思うが、はじめからしまいまで涙涙でスクリーンがかすんで試写が終わってもしばらくは席を立てなかったことを思い出した。

ちょうど同じ頃「ローマの休日」のニュープリントによる試写が新橋のヘラルド映画で行われ、その時はヘプバーンが、「いいえ、ローマです」と有名なセリフを吐いたあたりでググググワアとばかりに一人号泣してしまったので、思えばこの頃はわたくしの神経が少々おかしくなっていたのかもしれない。

ところがあれからおよそ四半世紀が過ぎたと言うのに、デジタルリマスター版のこの「赤毛のアン」を観ていると、またしても滂沱の涙が落下して感想文を書くどころの騒ぎではない。思うにここに出てくるアンの養父が亡くなった私の父に似ており、養母がまた母なる者の普遍性を体現しているからだろう。

もとより主役の赤毛のアンも正直で率直で可愛らしくてとてもいいのだが、親切な女の先生とか「心の友」ダイアンの伯母さんなどの脇役がみな基本的には「いい人」なので、それが私の安っぽい涙腺を刺激するのだろう。

そういえば寅さんを観てもだいたいこういうことになるのは、きっと私が徒に馬齢を重ねたからだろう。



往年の大スタア次々に逝くめれどわが原節子のみ永遠に生くらむ 蝶人
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スティーブン・ソダーバーグ監督の「オーシャンズ11」を見て

2012-10-06 09:12:27 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.324

「オーシャンと11人の仲間」のリメイクだが、全体にとてもお洒落でシックなトーンに仕上がっているのはソダーバーグのファション感覚からだろう。

とくにカッコいいのは主演のジュージ・クルーニーだが、ただ一人彼の元女房役で登場するジュリア・ロバーツはミス・キャスト。ソダーバーグとしては「エリン・ブロコビッチ」以来の付き合いで出演させたのだろうが、個人的にはあのなにもかもが大ぶりの造作がどうにも好きになれないのであります。


国産のゴマダラチョウが中国のアカボシゴマダラに駆逐される関東平野
 蝶人
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ジョージ・C・ウルフ監督の「最後の初恋」を観て

2012-10-05 09:25:36 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.323

消えたはずだよお富さん。どっこい生きていたアラフォーのダイアン・レインちゃんが70近い色男のリチャード・ギアとロダンテという海際の別荘地でまだまだやるじゃないか大恋愛をするぐあんばれ中年激励映画である。

それしにても題名の「最後の初恋」っていったいどういう意味なんだろう。いくら考えても分からない。なぜ原題通りの「ロダンテの夜」にしないのか不可解である。

「オーバー・ザ・ムーン」からおよそ10年が経過したわけだが、ダイアン・レインちゃんまだまだ小皺だって可愛い。勝手知ったるリチャード・ギア選手と相変わらずの素人っぽい演技を繰り広げておりました。



AKBなんてみな同じ顔しょんべんくさいイモねえちゃんばっかり 蝶人
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トニー・ゴールドウイン監督の「オーバー・ザ・ムーン」を見て

2012-10-04 08:57:35 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.322

ダスティンホフマン製作のサンダンス映画でダイアン・レインがヒロインである。原題は「 A Walk on the Moon 」なのだが妙な邦題をつけたものだ。

 ダイアン・レインとかグレタ・スカッキはプロの俳優のくせにどこかアマチュアというか普通の女性のおももちや風情をいつまでも漂わせていて、その中途半端な曖昧さが私たちを魅了し、かつやきもきさせるのである。

 本作でダイアン選手は旦那への不満と性的欲望に悩む若き人妻をやきもきと熱演、夏のリゾート地にやって来たブラウス売りのヒッピーに惚れて浮気し、なんと近所で開催されたウッドストックになだれこむ。

母親に内緒でボーイフレンドと出掛けた16,7の娘が、10代のギャルのように「弾ける」(この厭らしい手あかにまみれた決まり文句を、一度だけ使ってみたかった!)
ヤンママ、ダイアン選手を偶然目撃して、たまげて蹌踉と帰宅するシーンがいちばん面白かった。

1969年現在の不穏な社会情勢のなかで、日常からの逸脱を夢見るだけでなく、実践しようか、いややめようかと小さな胸を痛めるそのあえかなおののきが、画面からじかに伝わって来る切ない人世映画である。


ここで飛べ1969ウッドストック 飛んだ奴らはどこへ行ったか? 蝶人
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マイケル・ウオドレー監督の「ウッドストック」を見て

2012-10-03 08:39:12 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.321


1969年8月15日から17日までおよそ50万人を集めてNY州ベセルで開催された屋外ロックコンサートをライヴ収録した長編ドキュメンタリー映画である。

個人で広大な農場を提供した白人の好意あふれるコメントや、白哲の仕掛け人、糞尿をバキュームで汲みだして掃除するオジサン、宴のあとの廃墟のような会場で西瓜を喰らう若者や黙々と後片付けをするボランテイア、河の中で全裸で泳ぐ男女、草っぱらでファックする2人などなど実に興味深い映像がインサートされているが、なんといっても演奏の白眉はジョーズ・バエズの「Swing Low, Sweet Chariot」、ジャニス・ジョプリンの「Work me Lord」オオトリのジミー・ヘンドリクスの「アメリカ国歌」である。このように悲愴な歌唱と超絶的なギタープレイは、まさに空前にして絶後であろう。

それにしてもこのような途方も無い楽天的な暴挙が、ベトナム戦争当時のアメリカで可能になったのか今となっては不可解であり、さながら夢の夢のまた夢のように思えてならない。アメリカはその後ものたうちまわって9.11を経験するのである。


来る朝ごとにブッロクフローテ練習していた小学生いつしか髭のリーマンになりおおせたる 蝶人
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クリント・イーストウッド監督の「アウトロー」を見て

2012-10-02 08:54:53 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.320


平和な生活を送っていた農夫がならず者に妻子を殺され、一転決意して復讐に乗り出す西部劇です。

ちょっと拳銃を練習したくらいでどうして突如早撃ちガンマンに変身できるのか謎だが、北軍にまぎれこんだ殺し屋集団に積極果敢な戦いを挑む。

余談ながらクリント・イーストウッドは共和党の支持者らしい。今回の大統領選挙でもロムニーを支持するそうだが、それは北軍嫌いとなにか関係しているのだろうか。もっとも他の映画で南軍贔屓を表明しているかどうか知らないのだが。

ならず者たちに襲われていた開拓者家族の中に可憐な娘役のソンドラ・ロックを素裸にして尻の割れ目までも映しだそうとしているが、エロチシズムを通り越したそういう酷薄さがこの人の持ち味かもしれない。


Go ahead, Make my day!ドラ猫が三毛猫にいきまく真夏の昼下がり 蝶人
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西村雄一郎著「殉愛 原節子と小津安二郎」を読んで

2012-10-01 08:49:51 | Weblog


照る日曇る日第542回

家から歩いて10分くらいのところにこの大スタアが住んでいたので、けっしてパパラッチということではなくて散歩がてら浄妙寺まで出かけたものだったが、家内と違ってとうとうその実際のお姿を瞥見することは叶わなかった。

小学館の元編集者でかの「日本国憲法」をものした島本脩二さんも、かつてここで何日も張り込みを続けたそうだが、結局駄目だったという。

浄妙寺の隣の熊谷さんと家内は顔見知りだったが、その熊谷さんの父親が原節子の姉の連れ合いであり、戦前戦後に活躍した映画監督兼プロデューサーであり、この「永遠の処女」の処女を奪ったかもしれない、などと噂されているとは知らなかった。

その噂を信じた東宝の元社長の藤本真澄が原節子への恋を諦め、しかし彼女を経済的に庇護し続けたのみならず、パパラッチどもの特ダネ情報の公表を何度も阻止していたとは、これまたついぞ知らなかった。

そういう下世話な話が満載の実録ドキュメンタリーでもあるのだが、本書は表題のとおり、この日本映画界を代表するビッグネームが生涯にわたって貫き通したプラトニック・ラヴを巡る考察と推論であり、「麦秋」などの作品に影を落とした彼の戦争体験について具体的に言及した初めての解説書でもある。

小津の有名なロー・アングルは、正確には「ロー・ポジション、水平アングル」であることや、全作品で台詞のラスト10コマと次の台詞の冒頭の6コマの合計16コマ、3分の2秒が必ず空けられており、これが彼の映画に独特のテムポを創造したことなども、私は本書で初めて教えられた。

こういう人の娘さんならと結婚しましたいまの家内と 蝶人

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