あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

岡松和夫著「実朝私記抄」を読んで

2012-12-16 08:38:37 | Weblog


照る日曇る日第553回

私が住んでいる鎌倉の小邑には二人の有名人が住んでいた。一人は日本画家の小泉淳作氏、もう一人は芥川賞作家の岡松和夫氏であったが残念ながらお二人とも本年一月に相次いで逝去された。本書はその岡松氏が綴られた鎌倉幕府の第三代将軍右大臣実朝の悲劇的な物語である。

鎌倉は中世の武家の都であるが、そこは殺戮と阿鼻叫喚の死都でもある。源氏ゆかりの将軍のみならず頼朝の御家人の代表的存在である畠山氏も和田氏も三浦氏も、ことごとく北条時政とその子孫たちが謀略と武力で屠ったのだった。

頼朝を殺したのも北条氏であるという説もあるが、その後継者の頼家を伊豆の隠れ里で謀殺し、三大将軍の実朝も頼家の甥公暁を指嗾して八幡宮階段下で暗殺せしめ、あわせて公暁も亡き者にすることによって源氏の直系を根絶やしにしたのは、他ならぬこの伊豆の成り上がり者一族である。下賤の北条が高貴な源氏を打倒したのがけしからんという気はさらさらないが、聞いてあまり愉快な話ではない。

この小説の中で著者は実朝の暗殺者は公暁であると断定されているが、その前後の義時の挙動不審を考えに入れると、政子を蚊帳の外に置いた執権が黒幕であることに疑いを挟む余地はなさそうだ。

実朝はみずから行政者と風雅の人と仏教者の三つの役割を担っていたが、著者は栄西や行勇、陳和卿などとの交友を詳しく辿ることを通じて、彼が由比ヶ浜での(義時の妨害による!)宋船建造失敗の後も宋への渡航を具体的に計画していたことをあからめ、もし彼が非業の死に斃れなかったとしたら前代未聞の将軍僧として本邦の歴史を変えていた可能性に触れている。

尼将軍とは子に先立たれた北条政子の別称であるが、みずからが宋の高貴な僧の生まれ変わりであると半ば信じていた実朝の二七歳以降の「もしも」は、甚だ興味深いものがある。夫を喪った妻の西八条禅尼は京に戻って八二歳の長命を全うしたそうだが、著者の繊細にして旺盛な想像は彼女の行状にまで及んでいるのである。


北条に睾丸切り取られて絶命す二大将軍頼家哀れ 蝶人
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勝長寿院入口の「文覚上人屋敷跡」を訪ねて

2012-12-15 11:42:30 | Weblog


茫洋物見遊山記第97回 & 鎌倉ちょっと不思議な物語第267回

文覚上人(1139-1203)の鎌倉の屋敷跡は、滑川に面した勝長寿院(大御堂)の入り口にあった。

彼は平安末期から鎌倉時代初期の真言宗の僧で、元は遠藤盛遠という俗名の北面の武士だった。芥川龍之介の「袈裟と盛遠」に登場するのがこの遠藤盛遠で、彼は渡左衛門尉の美貌の妻に横恋慕して誤ってわが手で殺めてしまい、仏門に入って熊野で苦行したという。

後に高雄山神護寺を再興し東寺の大修理を主導したほか、源頼朝の挙兵を助け、幕府創設後その帰依を受けたが、頼朝の没後は佐渡・対馬に流罪となった

全盛時代の文覚上人は頼朝に対して影響力があり、平家直系の最後の子孫、平維盛の子、高清、通称六代御前の助命を嘆願して認められ、彼を神護寺に匿っていたが、上人が事件に巻き込まれて佐渡に流されている間に、六代は逗子の田越川の傍で処刑されてしまった。六代御前の墓は、キマグレンというポップグループのメンバーが通っていた逗子スポーツクラブのすぐ近所に実在するが、ここが平家一族の終の住処となった。

一方平家と覇権を争った源氏の一族の最後の地といえば三大将軍実朝の墓地ということになるが、「吾妻鏡」によればそれは文覚上人屋敷跡からほど近い勝長寿院(一説では寿福寺)にあった。実朝と六代の墓の距離は車なら一〇分もかからないので思いのほか近い場所に武士社会を創始した源平二つの部族の末裔が眠っていることになる。

寿福寺は、昔源頼朝の父義朝が住んでいた跡に政子が実朝の師であった栄西を迎えて創建された臨済宗の名刹で、ここにも実朝と政子の墓があるが、形式的なもので実際に骨はないだろう。しかし私はこのお寺を訪れる度に、これらの歴史上の人物が歩んだ苔むした敷石の上を、この境内の借家に住んでいた晩年の詩人中原中也がふらふらと歩いていた姿を思わずにはいられないのである。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=389838797&owner_id=5501094


ああ亡羊茫洋すべての人は通り過ぎて行く 蝶人


*今日掲載の写真は寿福寺です。
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鄙びたる軍楽の憶ひ~“自民大勝”の後に来るもの

2012-12-14 10:33:08 | Weblog


バガテルop161

いよいよ運命の日が近づいてきた。

昔から政治や政治家が嫌いで極端な変化を嫌う私は、今回もどこに入れようかと迷っている。そんな混迷派の私が愚かにも政変を期待して清き一票を投じた元逗子市長の長島選手は、選挙民への挨拶もなく、義理も果たさず、落ち目の民主党から足を洗って早々と戦線から逃亡してしまった。なんと自分勝手な奴だろう。

今回も選挙のポスターやテレビスポットなどを一瞥すると、私利私欲と権力欲に目が眩んだと思しき醜い顔貌ばかりが並んでいてウンザリする。いま日本経済新聞の「私の履歴書」では、かつてこの国の総理大臣を務め、IT革命を「イット革命」と読み下して平然としていた男の自慢話が延々と続いているが、この男が「自分はバカダ大学や産経新聞にコネで入った」と恥じらいもなく公言しているので仰天したが、他の政党の首領も推して知るべし。こんな手合いがコッカコッカコケコッコー!と偉そうに呼号しているから困ったものだ。

さて今回は2大政党の他にいわゆる第三極が出現し、表向きでは原発や災害復興や経済再生政策等を巡って多種多様な選択肢が登場したように見える。それらはどれひとつゆるがせにできない重要な問題ではあるが、それらの帰趨はそれとして、じっさいには現行憲法を基軸とした戦後政治の是非こそが、水面下で激しく問われることになるのではないだろうか。

もとより現行憲法はアメリカ帝国からの押しつけであることは否めず、私のように第1章に異論があったり、第2章に文句をいう連中が増えてきたり、様々な問題点を含んでいることは事実だが、しかしそれが全体としてわが国の指導者と国家の恣な権力の発動と暴走に対する決定的な最後の枷と砦になってきたことは周知の事実である。

あの品性劣悪で極悪非道な暴走老人が口走っているように「憲法のお陰で人が殺されている」のではなく、憲法のお陰でわが国は彼が望むように他国とはみだりに戦争できず、その結果およそ70年の長きにわたって「人を殺したり殺されたりしないで済んだ」のである。自虐とかサドとかマゾなぞと口をきわめて罵っている人たちも、たまにはそんな石原慎太郎憲兵隊長の命令で尖閣諸島に突撃しないですんでいる僥倖を、せめて年に一度くらいは感謝したらどうだろう。「ありがとう憲法!」と。

自民党はすでに本年4月に新しい改憲案を策定し、そこでは「国防軍」「非常大権」「天皇元首制」などが麗々しく謳われている。現行憲法を廃棄してより強権的な内容に改定するだけではなく、象徴天皇制を改めて明治時代のような元首制に変えるというのだが、それは「日本を取り戻す」のではなく、歴史の針を2世紀前の非民主的な昔に戻すという時代錯誤の試みというべきだろう。

もし自民党が第1党となれば石原・橋下の維新と合体した独裁的な極右政権が「合法的に」誕生し、戦後まがりなりにも継続されてきた“民主政治”は楽天的な私たちが思っているより早く崩壊するだろう。

現行憲法はたちまち骨抜きにされて強権的で偏狭で好戦的な国産憲法が誕生し、集団的自衛権を裏打ちするための徴兵制が復活して若者はささやかな愛と自由と平和を奪われ、いともたやすく戦場へ送られるだろう。「シナ」と対抗するアジアの最強国をめざして富国強兵と核武装への道が我等臣民の前途にたのしく、ルンルンとひろがっていくのである。

そういう次第であるからして、今回の選挙で私たちに問われているのは、「短兵急に決められる戦前型強権政治」への回帰か、それとも“相変わらずなかなか決められない、非効率でカッコ悪いオタンチン・パレオロガスでモモンガーのようなお馴染みの「俗流あらえっさっさあ的民主主義」の継続”か、という二者択一である。  

自民大勝の後にやって来るのは、私たちがこれまで見たこともない“地獄の季節”だ。政権交代の果実を収穫できなかった民主党のアホ馬鹿さをサディステイック・ミカバンドのように厳しく懲罰することも大事だが、私たちがとっくの昔に見捨てた超無能政党の「イトレル・チャプリン的」妄想の成就に加担し、戦後70年掛けてようやく形成し得た国家国民の現有政治遺産を根こそぎに崩壊させる愚だけはなんとしても避けたいものである。


ウレピーナ楽しいなニッポン全国ウヨクがウヨウヨ 蝶人
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小栗康平監督の「泥の河」を見て

2012-12-13 08:59:03 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.364

泥の河を挟んだ廓船と食堂に住む人々、とりわけ3人の少年少女の出会いと別れを描いた日本映画の傑作である。

冒頭の馬車曳きの死、橋の下に蠢く大魚、引き続き描かれる水の人と陸の人とのつかのまの友愛の姿は儚くも美しい。

廓船で客を取る加賀まり子の怪しいまでの妖艶さを見よ! それは焼かれて燐光を発しながら悶える蟹の残酷なまでの美しさともシンクロしている。何度見ても心に響く見事な映画である。


原宿の竹下通りでごろつきに殴られたルネ・コロいたまし 蝶人
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今村昌平監督の「豚と軍艦」を見て

2012-12-12 09:02:16 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.363

この映画でいちばん驚いたのは、生命力あふれる長門裕之の演技でもなく映画初出演の吉村実子の新鮮な肉体でもなく、ましてやどぶ板通り狭しと荒れ狂う豚共の大暴走でもなく、胃がんで余命三日と通告された丹波哲郎の親分が横須賀線に飛び込もうとしてできずに見上げたその視線の先に堂々と掲示されている日産生命の「つかもう明るく豊かな暮らし」の巨大看板であった。

ちなみにこの生命保険会社はこの映画の協賛スポンサーになっているのである。
ロケ地の横須賀狭しと暴れ回る今村の自由奔放な演出ぶりにおしみなき拍手を!

鎌倉ざーます夫人は「紀ノ屋」ビンボー人のおいらは「鎌万」に行く 蝶人
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ジョン・シュレシンジャー監督の「遥か群衆を離れて」を見て

2012-12-11 09:19:20 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.363

サザエ「一九六七年製作の素晴らしい英国映画。トーマス・ハーディの原作を名匠シュレシンジャー監督が見事な映画に仕立てましたね。

カツオ「人ひとり見えない英国エセックスの荒野に放牧されている羊と牧羊犬。意地の悪い牧羊犬が羊たちを断崖絶壁においつめて海に追い落とすシーンには息を呑みました。

ワカメ「群衆から遠く離れその荒涼とした風景がしみじみと都会の喧騒に疲れた心に迫ってきます。でもそんな大自然に生きる男女の間にも凄まじい愛の放電が交錯するのよね。

マスオ「愛する人には愛されず、どうでもよい人からは熱愛される。ヒロインのジュリー・クリスティもヒーロー役のアラン・ベイツともどもこの世の不条理のドツボにはまってのたうちまわるんだけど、ジュリー選手はけっこうガードが甘いというか男を見る目がないというのか、押しの強い男にずるずる気押されてしまうね。

イクラ「初恋に一途にのぼせあがるところはとても可愛い。けっきょく自分で自分がよく分からないから、どうしようもない男に入れ上げて大事なものを見失ってしまうのね。パブーン」

フネ「でも最後の最後には私たちが最初に予感したとおり落ち着くべきところに落ち着くんだけど、この映画でいっとう可哀想なのはいよいよ物に出来ると舞い上がったところでトンビに油揚げをさらわれる中年の牧場主ピーター・フィンチ。死んだはずの恋敵テレンス・スタンプがあんなところで戻ってきたら逆上して拳銃で撃ってしまう気持ちも分からないではないわね。


十津川の流失家屋を眺めながら「観光に来て頂くだけで元気になれます」と語るガイド 蝶人
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岡本喜八監督の「独立愚連隊」を見て

2012-12-10 08:40:21 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.361

私にとってまっとうな戦争映画とは小林監督の人間の条件や極東裁判などであるが、この映画ではわが帝国の中国侵略戦争が、面白おかしい見世物であり一種の活劇と化している。

満州に潜入した主役の佐藤允が、謎の「独立愚連隊」に興味を抱いてアンガージュしようとするのだが、対日ゲリラ部隊ならいざしらず、まがりなりにも帝国陸軍内の「独立愚連隊」ってはてさてなんのこっちゃ?

あの泥沼の日中戦争を観念的に無化して、まるでドンキホーテのような独立行動隊があったら面白かろうというこの監督の軽佻浮薄な思いつきから生まれたのだろうが、あまりにも深刻で重苦しい現実に対して屁のつっぱりぱりにもなら
ない三文漫画であった。

ポカンポカンと頭を西瓜のように叩いているもうやめてくれえ 蝶人

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森まゆみ著「千駄木の漱石」を読んで

2012-12-09 10:34:01 | Weblog


照る日曇る日第552回

漱石が49歳の若さで亡くなって1世紀近くの歳月が流れたが、しかし今でも嘗て彼が住んでいた千駄ヶ谷や早稲田の旧居跡を訪ねると、なにがなしに文豪在りし日の面影の断片がどこかに漂っているように感じられるのは奇特(どく)というか不思議なことだ。

 本書は「明治36年3月3日の雛の日から日露戦争を挟んで、明治39年暮れの12月27日まで千駄木に暮らした知識人」夏目漱石の日々を辿った回想録で、現場の近くで生まれ育った著者ならではの土地勘と地元密着情報と鋭い洞察を交えた20年がかりのエッセイで、漱石と明治の文芸と「谷根千」近辺の風土と文化に関心を懐く人にとって出色の読み物となっている。

些事ながら私は漱石の文業で一番好きなのはまずは膨大な書簡、次いで彼の絵画、詩歌、随筆、講演集(文学関係では名著「文学論」と「文藝評論」で読んで胃が痛むような重苦しい小説なぞなくても一向に構わない。強いて挙げると「猫」「坊ちゃん」「三四郎」「彼岸過迄」といった軽めのもの)だが、珍しく著者も彼の書簡を高く評価していたのは我が意を得たりの思いであった。

実際文豪漱石ではなく明治人夏目金之助のとびっきり魅力的な人となりに接するためには彼が日夜書きまくった書簡に接するに如くはないのである。

わたくしは、明治39年1月に亡くなった成り上がりの元幕臣の福地源一郎に対して「死んでも惜しくない人ですね」と弟子加計正文にさらりと書く漱石。その翌月問題児のアホ馬鹿弟子森田草平(彼は当時故樋口一葉の最後の下宿に住んでいた)に「天下に己以外のものを信頼するより果敢なきはあらず。しかも己ほど頼みにならぬものはない。どうするのがよいか。森田君、君この問題を考えたことがありますか」と迫る漱石。さうして漱石の親友正岡子規が在ロンドンの漱石に出した有名な最後の手紙「僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ。(中略)倫敦ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ」を読むたびに「胸の奥底から涙が湧き上がってくる」と記す著者が好きなのである。


ののへいはクライアントの言うことをみな聞く駄目なデザイナー 蝶人
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ジョン・フォード監督の「バッファロー大隊」を見て

2012-12-08 10:18:36 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.360

のび太 巨匠による一大「法廷」サスペンス西部劇だぞお!

スネ夫 騎兵隊に黒人がいたなんて知らなかったな。元は奴隷の身分だった黒人を南北戦争の後で軍人にしたんだそうだ。それなのに白人よりも勇敢な兵隊がいたんだって。

ジャイアン ぬれぎぬを着せられた黒人の軍曹のルックスも立ち居振る舞いも白人より立派。これでフォードが黒人に偏見を持っていないことがよく分かるが、彼は「追跡者」などを見るとどうもインディアンに対しては差別意識があるように感じられるな。

どらえもん おいジャイアン、今はインディアンは先住民っていうことに青島が都議会で決めたんだってヨ。

しずか 黒人の軍曹が白人の上司を射殺したうえに白人の少女をレイプしてから殺したといって裁判になるの。それを彼の上司の白人が弁護するんだけど、黒人に偏見と敵意を持つ検事役とのちょうちょうはっしの法廷闘争がアパッチとの銃撃戦よりスリリングね。

のび太 被告は自分が殺人を犯していないくせに重要な局面で証言を拒んだり、弁護士役の中尉自身も誰が真犯人なのか分からないまま(最後に突然気付く)弁護を続けるのでハラハラドキドキしながラストまで引っ張られてしまうんだよ。

どらえもん ボク、こんな西部劇は見たことない。裁判長とその奥さんのキャラクターがとても面白く、深刻な裁判劇に笑いとアクセントを与えているね。


3000円のごみ箱を買うか買うまいか1か月も迷っていた建築家ミケーレ・デ・ルッキ 蝶人
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ジョン・フォード監督の「リオ・グランデの砦」を見て

2012-12-07 08:55:00 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.359

お馴染みの騎兵隊長のジョンウエインが息子との「父子鷹」を見せてくれるが、その妻であり母親役でもあるモーリン・オハラがじつに美しい。おそらくジョン・フォードは、彼女を手を変え品を変え奇麗に撮るためにこの映画を撮ったのであろう。

またアパッチとの肉弾相打つ追撃戦などに目を奪われてあまり目立たないが、名人ビクター・ヤングの劇伴音楽がじつに見事。この作品はアメリカのさまざまな合唱曲を楽しめるミュージカル映画でもある。

アパッチとの掃討戦の最中にジョンウエインは敵の矢を胸に受けてどうと倒れ、これで一巻の終わりかとハッとさせるが、次のカットではなんとその矢は右腕に刺さっていた、といういい加減さはいかにもB級映画の本領発揮で素晴らしい。


平成の恐山イタコよ軽々に人たぶらかすな閉じよその口 蝶人
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伊丹十三監督の「お葬式」を見て

2012-12-06 10:00:16 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.358

きのう歌舞伎役者の中村勘三郎さんが57歳で亡くなられた。惜しみてもあまりある才能の持ち主の突然の訃報に言葉もない。本当に人の命は明日をも知れないとまたしても思い知らされたが、謹んでご冥福をお祈りしたい。

だからという訳でもないが、今日の映画はこれになった。老人の突然の死、親族の驚きと参集、お通夜とそのドンチャン騒ぎ、葬儀、出棺、火葬とそのすべての局面が見事に映画になっていることに驚き感心する。こうしてみると確かに葬式は結婚式以上の映画ネタである。

伊丹監督得意の特異なテーマを選んでそれを劇化するあざやかな手腕も見事だが、本筋を離れたいくちものエピソードが随所にちりばめられていてそれが映画の感興をさらに膨らませていることも見逃せない。

雨の中の死と通夜、階段からおっこちそうになる棺桶、香典を吹き飛ばす突風、通夜の夜に宮本信子が歌って踊る「♪東京だよおっ母さん」なども面白いが、突如やって来た愛人の高瀬春奈に迫られた山崎勉が別荘の近所で青姦するところなどもエロくてグロくて好ましく、その間妻であり喪主でもある宮本信子が大きな横長のブランコに乗ってブヨーン、ブヨーンと漕ぎ続けるのも相当不気味で、ラストの美しいほほえみと好対照をなしている。

菅井きんも好演で、脇役の江戸家猫八、大滝秀治、財津一郎、藤原釜足がこれまた不気味な味わいを醸しだしていた。


私はゴキブリをゴム輪鉄砲でぶっ殺す名人 蝶人
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ヘンリー・ハサウェイ、ジョン・フォード、ジョージ・マーシャル監督の「西部開拓史」を見て

2012-12-05 10:34:59 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.357

先住民時代から南北戦争の混乱を経て現代に至るまでのアメリカの西部開拓史をある開拓家族3世代の歴史をつうじて、3人の監督が全5部構成で演出している。

ファミリーのエピソードを追いながらアメリカの歴史を回顧するのは難題であり、しかも監督が1人でないから余計難しく、時折登場人物の相互関係がよく分からなくなったりもするが、全体的にはまずまずの仕上がりだろう。

この国を支えてきた底抜けの楽天性と反省や内面的な思索なき「ともかく西に行くんだゴーゴー前進主義」が野放図に発揮された、そういう意味では典型的にアメリカらしい映画といえよう。しかしここでジョン・フォードはたいした仕事をしているとは思えない。

 「大いなる西部」のキャロル・ベーカーとグレゴリー・ペックがここでも登場しているが、本作での彼女のお相手役はジェームズ・スチュアート(猟師役で好演)である。ギャンブラーのペックに惚れられる「雨に唄えば」のデビー・レイノルズが、本作でも見事なレビュー・ダンスを演じている。


今日もまた「行方不明者が出ました」と市の拡声機が叫んでる 蝶人
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マーティン・キャンベル監督の「バーティカル・リミット」を観て

2012-12-04 09:06:28 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.356

「バーティカル・リミット」とは無酸素登頂時の高度的限界を示す用語で、ある地点を超えると高山病による肺水腫で死に至る。原題通りの邦題は珍しいがそれでいいのである。

2000年に米国で製作された山岳映画で、冒頭のロック・クライミング事故から魔のK2登頂時の救難まで息もつかずにひっぱっていく演出は見事である。ニトログリセリンを使った腹腹爆弾登山まで登場して大いに興奮させられるが、単なるアクロバット物ではなく、そこでは倫理的な問い掛けもなされている。

もし登山中に事故が起こり、頭上に確保したザイルが切れるほどの重量の人間がぶら下がったら、どうするか? 芥川の「蜘蛛の糸」のカンダタがもしナイフを持っていたら、(最後にはお釈迦様から再度地獄に落とされたとしても)自分の下のところで糸を切ったに違いないが、この映画では「蜘蛛の糸」的状況が一度ならず2度、3度と出現して、生と死と自己犠牲ということについていろいろ考えさせられる。

主演の俳優はほとんど目にもとまらないが、助演のスコット・グレンが渋い脇役を務めていつものように光っている。


生きたまま入定されし空海の奥都城に舞う高野山の霧 蝶人
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豊田四郎監督の「夫婦善哉」を見て

2012-12-03 08:15:00 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.355

こないだ亡くなった淡島千影がもっと昔に亡くなった森繁久弥と組んで演じる大阪浪速の夫婦善哉。苦労と涙と儚い望がちょちょ切れる正統的な日本映画ですわ。偉いこっちゃ。

主役のヒロイン、ヒーローがいい味を出しているが脇の浪速千枝子、山茶花究が見事に脇を引き締めている。遠くの金より手近の銅というとこないだオリンピックの日本選手のようだが、いくら長男であってもこんな商魂商才のない長男坊には名門商店の跡を継ぐ資格など無い。

好きな水商売の女に救われたあかんたれの跡取りを森繁が好演。法善寺横丁の無水掛け不動尊に願掛けて老残の道を手に手を取って駆けだす2人に幸あれと願わずにはおれない。


君はどんな目に遭ったのと尋ねてもただ手を舐めるだけ被災地からの犬 蝶人

*上記の短歌が昨2日「日経歌壇」穂村弘氏の選に入りました。第1席は初めてなのでとてもうれぴいなあ。なおこの和犬の次郎がトップ映像。哀しい目をしています。
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ウォルフガング・ペーターゼン監督の「ネバー・エンディング・ストーリー」を見て

2012-12-02 10:01:52 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.354

「夢見る力」が衰えると現実にボロボロと穴が空いて「虚無」が忍び込み、世界を荒廃させるという原作者のミヒャエル・エンデの思想を元にして、潜水艦物の得意なペーターゼン監督が勝手に映画にしたものである。

 巨岩の妖怪や空飛ぶ竜や御姫様などがワンサカ登場して特撮てんこもりの面白さだが、この途方もない清らかな夢や希望がじつは汚泥に満ちた現実をその基底で支えている、という認識はいっけん独創性がなく、平凡な思いつきのように見えて、実はかなり物事の正鵠を射ているのではなかろうか。

 例えばどこかの国がどこかの強国に押しつけられた憲法を改めて読んでみると「国際平和を誠実に希求し、戦争と威嚇、暴力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」とか「陸海空軍は保持せず交戦もしない」などと、じつに単純明快で子供でも大人でもウンウンと頷いてしまう夢まぼろしのようなヴィジョンがいっぱい並べてある。

 わたしは不勉強なので世界中の憲法を読んだわけではないが、たとえアホ馬鹿と言われようがどこか一つくらいこういうドンキホーテ的な国があって、「たしかに非現実的ではあるが普遍的にまっとうな正論」というものを(たとえそのために国が滅び民が全滅するような不運に遭遇するとしても!)末代まで永遠の崇高な理想として掲げ続けることが、かえってその国民の安全と生存に逆説的に利するのではなかろうか、ということを、このお子様向けの幻想映画を見ながら思ったことであった。

生きながら葬られしと聞く遍照金剛弘法大師空海眠れる奥都城参りたり 蝶人
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