一坪たりとも渡すまい-米軍による土地取り上げに抗して戦った沖縄-

2016-06-05 21:37:54 | 政治
♪東シナ海前にして
 わしらが生きた土地がある
 この土地こそはわしらが命
 祖先ゆずりの宝物

 ♪わしらはもはや騙されぬ
  老いた固き手のひらは
  野良の仕事の傷の後
  一坪たりとも渡すまい

♪黒い殺人機が今日も
 ベトナムの友を撃ちに行く
 世界を結ぶこの空を
 再び戦(いくさ)で汚すまい

瀬長亀次郎氏の
『民族の怒りーもえあがる沖縄ー』の一節に
ベトナム戦争待っただ中
輸送物資を送る基地の強化のために
1965年12月
具志川村昆布農民の土地接収が米軍より発表され
それに抗して戦う人々の姿が描かれている。

もちろん 伊江島を始め数多くの土地が
地主の拒否の表明に関わらず
強権よって接収されたのは前回記したとおりである。

読み進むうちに
子どものころ、
成人となって、
東京で沖縄闘争に参加していた頃
口ずさんでいた歌の歌詞が突然ついて出た。
上記の歌である。

タイトルは
『一坪たりとも渡すまい』
という。
闘いの中で生まれた歌である。

これらの基地建設への土地収用は有無を言わさず
数多く行われた
土地の地主の拒否にも拘らず
無理やり取り上げられた。
こうした人権はおろか財産権すら保障されない占領下の沖縄で
それでも現地では
血のにじむような反撃の運動が行われ、
占領軍、占領国米国を追い詰めていた。
しかし、
その沖縄県人の努力に砂をかけ
ましてや 米軍の立場に立って沖縄県人を弾圧したのが
自民党の沖縄版 民主党(現民主党ではない)であった。

この昆布の土地収用は
米軍とそれに追随する琉球民政府の反共攻撃のデマ宣伝にも関わらず
1971年7月 破綻したのである。
沖縄県民の血のにじむような戦いと本土の人々の支援とが合いまった結果であると瀬長氏は書いている。
これを
批判することは何人たりともできないはずである。

「新基地に反対する人は 基地外(きちがい)の人である」
と言う神奈川県議会の議員の発言は
当時の
沖縄県民の願いに反し
基地の永久化を米軍の圧力に屈して実現しようとしていた
米軍の僕として
日本国民としての沖縄県人の望みを打ち砕くことに躍起になっていた
為政者たちの姿と重なる。

女性殺害事件後、オバマ大統領の遺憾の意の表明後も
米軍関係者の事件が起こった。

正に 神奈川県議会の議員の発言は
自分の人権と 沖縄の人々の人権を同等と見做さない
文字通り基地外の人の無責任な発言だと
私は思う。

沖縄の米軍基地が
ベトナム戦争の最前線基地であったことは
世界中の常識である。
沖縄の米軍基地は
今もなお 
アジアにおける米軍の最前線基地としての位置づけを無くしたくないのであろう。

戦後 71年間
基地によって 本土の私たちの想像を絶する苦しみを押し付けられた
沖縄の人々の願い
基地は廃止
を実現するべく日本中で要求すべき時であろう。