苦境と模索 眼鏡の里 福井・鯖江④
加工力・企画力で発信
産地創設の祖父を継ぐ 増水悟さんに聞く
福井県に眼鏡枠づくりの技術を普及した増永五左衛門(ますなが・ござえもん)を祖父に持つ、増永眼鏡社長、増永悟さん(64)に今後の展望を聞きました。
祖父は1900年代の初めごろ、貧しいこの地の村おこしとして眼鏡枠づくりを始めました。当時は日清戦争(1894~95年)の後の不景気の時代で、田んぼを相続できない農家の次男三男は現金収入もまともに得られない状態でした。「やらなければ」ととりくんだと聞いています。農閑期の冬に、雨や雪が多く屋外労働が適さないこの地域は、家のなかでコツコツとでき、大きな設備投資もいらない眼鏡枠づくりが適していたのです。人々の生活向上が目的なので、祖父は人を育て、眼鏡枠づくりで独立した人がまた人を育て独立させるようにしてきました。鯖江もそうして産地として発展してきたのです。
力をあわせる
産地は、製造過程が分業化し、モノや人が集積しており、物資の調達や流通にとても有利です。また、産地には力を合わせるという素晴らしいメリット(優位点)があります。新技術や新製品の開発への投資でも、1企業の投資額は少なくても産地全体では大企業を超える大きな額となります。開発・工夫の切磋琢磨(せっさたくま)もあります。「あそこでこんな工夫をやった。なら、うちでもこんなこともできる」とね。ある企業が「自社が独自に開発した技術」と考えたとしても、ここではほとんど産地全体で開発したといってもいいと思います。私たちは90年代に低価格出荷を迫られました。製造―卸―小売りという商晶流通のなかで価格決定権を握る者の逆転が起こったということです。以前はメーカーが一番強く、商品は「製造コスト」に「適正マージン」を上乗せして売られていました。しかし、大手小売業が価格の決定権を握り、自分たちが売りたい価格から逆算して製造出荷価格を求めるようになったのです。小売業が求める低価格で造れない製造業者は「滅びよ」ということです。
日本人の感性
これに対し今、私たちがとっている策が、産地メーカーによる自社ブランドの取り組みです。価格をたたかれやすい委託生産でなく、自社で企画・デザインし、製造・調達し、売り、商品保証や修理などのアフターケアまでして、量販店の価格勝負に負けまいとする努力です。メーカーだけでできることではありません。部品造りやその加工、仕上げまで産地ならではの共同と連携の力があってこそできるのです。世界の眼鏡枠の生産は今、量ではアジア、特に中国産が圧倒的です。確かに低価格は魅力の一つでしょう。しかし、加工の仕上がりの美しさ、正確さは、そう簡単に日本に追いつくことはできないでしょう。その美しさなどは日本の文化のなかで培われた日本人独特の、感性によるものだからです。日本人がヨーロッパのデザインカや色彩感覚の豊かさに簡単に追いつけないのと同様です。日本の加工力に自信を持ち、デザイン力や企画力を高めて、産地のみなさんとともに、国内や世界に発信できる新しい眼鏡づくりに挑戦していきたいと思います。(おわり)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年12月11日付
>加工の仕上がりの美しさ、正確さは、そう簡単に日本に追いつくことはできないでしょう
確かにそうかもしれませんね。しかし、さらに技と芸術性を磨いて、さらに上を目指してほしいものですね。
加工力・企画力で発信
産地創設の祖父を継ぐ 増水悟さんに聞く
福井県に眼鏡枠づくりの技術を普及した増永五左衛門(ますなが・ござえもん)を祖父に持つ、増永眼鏡社長、増永悟さん(64)に今後の展望を聞きました。
祖父は1900年代の初めごろ、貧しいこの地の村おこしとして眼鏡枠づくりを始めました。当時は日清戦争(1894~95年)の後の不景気の時代で、田んぼを相続できない農家の次男三男は現金収入もまともに得られない状態でした。「やらなければ」ととりくんだと聞いています。農閑期の冬に、雨や雪が多く屋外労働が適さないこの地域は、家のなかでコツコツとでき、大きな設備投資もいらない眼鏡枠づくりが適していたのです。人々の生活向上が目的なので、祖父は人を育て、眼鏡枠づくりで独立した人がまた人を育て独立させるようにしてきました。鯖江もそうして産地として発展してきたのです。
力をあわせる
産地は、製造過程が分業化し、モノや人が集積しており、物資の調達や流通にとても有利です。また、産地には力を合わせるという素晴らしいメリット(優位点)があります。新技術や新製品の開発への投資でも、1企業の投資額は少なくても産地全体では大企業を超える大きな額となります。開発・工夫の切磋琢磨(せっさたくま)もあります。「あそこでこんな工夫をやった。なら、うちでもこんなこともできる」とね。ある企業が「自社が独自に開発した技術」と考えたとしても、ここではほとんど産地全体で開発したといってもいいと思います。私たちは90年代に低価格出荷を迫られました。製造―卸―小売りという商晶流通のなかで価格決定権を握る者の逆転が起こったということです。以前はメーカーが一番強く、商品は「製造コスト」に「適正マージン」を上乗せして売られていました。しかし、大手小売業が価格の決定権を握り、自分たちが売りたい価格から逆算して製造出荷価格を求めるようになったのです。小売業が求める低価格で造れない製造業者は「滅びよ」ということです。
日本人の感性
これに対し今、私たちがとっている策が、産地メーカーによる自社ブランドの取り組みです。価格をたたかれやすい委託生産でなく、自社で企画・デザインし、製造・調達し、売り、商品保証や修理などのアフターケアまでして、量販店の価格勝負に負けまいとする努力です。メーカーだけでできることではありません。部品造りやその加工、仕上げまで産地ならではの共同と連携の力があってこそできるのです。世界の眼鏡枠の生産は今、量ではアジア、特に中国産が圧倒的です。確かに低価格は魅力の一つでしょう。しかし、加工の仕上がりの美しさ、正確さは、そう簡単に日本に追いつくことはできないでしょう。その美しさなどは日本の文化のなかで培われた日本人独特の、感性によるものだからです。日本人がヨーロッパのデザインカや色彩感覚の豊かさに簡単に追いつけないのと同様です。日本の加工力に自信を持ち、デザイン力や企画力を高めて、産地のみなさんとともに、国内や世界に発信できる新しい眼鏡づくりに挑戦していきたいと思います。(おわり)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年12月11日付
>加工の仕上がりの美しさ、正確さは、そう簡単に日本に追いつくことはできないでしょう
確かにそうかもしれませんね。しかし、さらに技と芸術性を磨いて、さらに上を目指してほしいものですね。